1. 【1】アメリカ人が日本にやって来ると、日本人のあいさつはうるさくて仕方ない、と思うようだ。例えば思いがけないところで知っている人とバッタリ会う。「どちらにお出かけですか」と
尋ねる。アメリカ人はうるさいと思う。【2】「どこに行こうと
俺の勝手だ。
俺の
秘密を
探ろうとしているのだろうか」。日本人は何もそういうつもりではない。「こんなところでお目にかかるとは思いがけないことだ。あなたの身の上に何か大変なことがおこったのではないだろうか。【3】もしそうだったら、
一緒に心配してあげましょう」とこういう気持ちで聞くわけである。
2. 「先日は失礼しました」。これもよく
私たちが口にするあいさつである。アメリカ人はびっくりする。【4】「
確かに先日この男に会った。しかしそのときにこの男は
俺に何にも悪いことはしていない。するとこの男は、
俺の知らない間にとんだことをしてくれたのではないか」と心配になるという。日本人の気持ちはそうではない。【5】「先日あなたにお目にかかった。
私としては失礼なことをした覚えはないけど、
私は不注意な人間である。もしかしたら失礼なことをしたかもしれない。もしそうだったらおわびする」。こういうことを言っている。【6】そういう言葉でも分かるように、
私たちは
謝ることが
非常に好きである。
感謝することよりも、
謝ることを
尊ぶ。
3. みなさんがバスに乗っている。おばあさんが乗ってきた。
誰かが席をゆずる。【7】おばあさんは何というか。「ありがとうございます」とお礼を言う人もいるが、「すみませんねえ」と
謝る人の方が多いだろう。おばあさんの気持ちはこうである。【8】「
私がもし乗ってこなければ、(あなたは
座っていられた。
私が乗ってきたばかりにあなたは立たなくてはならない。)すみません」とこういう
論理で、日本人は
謝ることを
非常に喜ぶ。
4. 【9】アメリカで
暮らしていた次男の話だが、次男の家にいるお手伝∵いさんが台所で働いていて、手からコップが
滑り落ち割れてしまった。日本人ならこういうとき「
私がコップを
割りました」と言う。【0】でもアメリカの人はけっしてこういうことは言わないそうだ。「グラスが
割れたよ」と言ってきた。「お前が
割ったんじゃないか、なぜ自分が
割ったと言わないのか」と言ったら、ビックリしていたという。英語で「
私がコップを
割った」というとどういう意味になるか。
壁か何かにコップをわざとぶつけて
割った、という意味になってしまうようだ。コップがあやまって手から
滑って
割れたときはコップが
割れたんであって、
私が
割ったんじゃない、と
頑張るそうだ。
理屈を言えば
確かにそうである。なぜ日本人は、手から
滑り落ちたコップに対して「
私が
割った」と言うか。これは日本人の
責任感だと思う。つまり日本人はこう考えるのである。自分の手からコップが
滑り落ちて
割れたのは、自分が
油断していたからだ。自分がしっかりしていたならばこのコップは
割れなかった。自分がうっかりしていたからコップが
割れた。このことの
責任は自分にある。だから「コップを
割りました」という言い方になるのである。こういう考え方は日本人の
美徳であると
私は考える。
5.(金田一
春彦『ホンモノの日本語を話していますか?』(角川oneテーマ二十一)による)