1. 【1】お世辞とか外交辞令というのはいやなものです。心にもないことを言われるのは気持ちが悪いという人もあります。しかし、出会いがしらに、
2.「お顔の色が悪いようですが、どうかなさいましたか」
3.などという親切を受けてはたまりません。【2】たとえ、すこし顔色がさえないとは思っても、
4.「お元気そうですね、みなさんお変わりありませんか」
5.と言われた方がよほどうれしい。ウソを言われて喜んでいる。【3】それでは
深刻な人生は送ることができないとしかられるかもしれませんが、こんなところで
深刻さを味わわされなくて
結構だというのがふつうの人の感想です。
6. 【4】本当のことを言うと当たりさわりがあって、聞く人の心に
傷をつける心配がある。お世辞だとかあいさつのことばは、ことばを
真綿にくるんで、
痛みを
与えないようにするのがやさしさになるのだということを発見したときに生まれた生活の
知恵だったのです。
7. 【5】このごろの
若い人は、
8. 「ウソも方便」
9.を
認めるという
調査があります。【6】
若いのに世間なれしていやだね、と言う人がいますが、ことばに
傷ついた苦い
経験が重なって、人を
傷つける真実よりも、
傷つけないウソの方がよろしいということに気がついたのだとしたら、これはたいへんな感覚です。
10. 【7】このごろの
若いものはことばを知らなくて……などと言っている年ぱいの人が案外、「ウソも方便」ということを知らないで、本当のこと、あまりにも本当のことを言って人をくさらせるのは皮肉です。【8】年ぱいの人の方が「ウソも方便」を
認める人がすくなくなっているのです。
11. われわれはどうも正直教育をうけすぎたようです。いつも本当のことを言わなくてはいけないと教えられてきました。【9】それでときどき正直の上になにかつくようになってしまいます。
12. 正直な話にはしばしばとげがあります。正直の
美徳を行うのに気をとられて、そのとげが相手の心をつきさすことを
忘れがちです。【0】同じ正直でも、言い方によってとげが出たり出なかったりします。∵
13. いい年をした男が青年のような
服装をしてあらわれたとします。
14.「これはまたずいぶん
派手ですね」
15.と言えばかどが立ちます。
派手であるのはまちがいないとして、
派手だと言ってしまえば、
非難していることになります。聞いた方ではうらみに思うでしょう。うらみに思ったことばはめったに
忘れないものです。同じことを言うにしても、
16.「これはまたずいぶん
若々しいですね。さっそうとしていらっしゃる」
17.とすれば、言われた方では内心いい気になるでしょう。
派手ではないかとちょっぴり不安に思っているのを、ほめてくれた、あいつはなかなか気のきくやつだ、となるでしょう。
18. 毎日朝から
晩まで使っていることばです。いくら気をつけても、どうしても、とげのあることばが口から出てしまいます。本人はそのつもりでなくても、相手が勝手に
傷ついてうらむということもあります。それをいちいち
後悔していては生きてはいかれなくなります。しかし、正直なことばには時にはとげがあるのだということを心におけば、ことばで人を
傷つけることはずっとすくなくなるにちがいありません。