長文 8.1週
1. 【1】お世辞とか外交辞令というのはいやなものです。心にもないことを言われるのは気持ちが悪いという人もあります。しかし、出会いがしらに、
2.「お顔の色が悪いようですが、どうかなさいましたか」
3.などという親切を受けてはたまりません。【2】たとえ、すこし顔色がさえないとは思っても、
4.「お元気そうですね、みなさんお変わりありませんか」
5.と言われた方がよほどうれしい。ウソを言われて喜んでいる。【3】それでは深刻しんこくな人生は送ることができないとしかられるかもしれませんが、こんなところで深刻しんこくさを味わわされなくて結構けっこうだというのがふつうの人の感想です。
6. 【4】本当のことを言うと当たりさわりがあって、聞く人の心にきずをつける心配がある。お世辞だとかあいさつのことばは、ことばを真綿まわたにくるんで、痛みいた 与えあた ないようにするのがやさしさになるのだということを発見したときに生まれた生活の知恵ちえだったのです。
7. 【5】このごろの若いわか 人は、
8. 「ウソも方便」
9.を認めるみと  という調査ちょうさがあります。【6】若いわか のに世間なれしていやだね、と言う人がいますが、ことばに傷ついきず  た苦い経験けいけんが重なって、人を傷つけるきず   真実よりも、傷つけきず  ないウソの方がよろしいということに気がついたのだとしたら、これはたいへんな感覚です。
10. 【7】このごろの若いわか ものはことばを知らなくて……などと言っている年ぱいの人が案外、「ウソも方便」ということを知らないで、本当のこと、あまりにも本当のことを言って人をくさらせるのは皮肉です。【8】年ぱいの人の方が「ウソも方便」を認めるみと  人がすくなくなっているのです。
11. われわれはどうも正直教育をうけすぎたようです。いつも本当のことを言わなくてはいけないと教えられてきました。【9】それでときどき正直の上になにかつくようになってしまいます。
12. 正直な話にはしばしばとげがあります。正直の美徳びとくを行うのに気をとられて、そのとげが相手の心をつきさすことを忘れわす がちです。【0】同じ正直でも、言い方によってとげが出たり出なかったりします。∵
13. いい年をした男が青年のような服装ふくそうをしてあらわれたとします。
14.「これはまたずいぶん派手はでですね」
15.と言えばかどが立ちます。派手はでであるのはまちがいないとして、派手はでだと言ってしまえば、非難ひなんしていることになります。聞いた方ではうらみに思うでしょう。うらみに思ったことばはめったに忘れわす ないものです。同じことを言うにしても、
16.「これはまたずいぶん若々しいわかわか  ですね。さっそうとしていらっしゃる」
17.とすれば、言われた方では内心いい気になるでしょう。派手はでではないかとちょっぴり不安に思っているのを、ほめてくれた、あいつはなかなか気のきくやつだ、となるでしょう。
18. 毎日朝からばんまで使っていることばです。いくら気をつけても、どうしても、とげのあることばが口から出てしまいます。本人はそのつもりでなくても、相手が勝手に傷ついきず  てうらむということもあります。それをいちいち後悔こうかいしていては生きてはいかれなくなります。しかし、正直なことばには時にはとげがあるのだということを心におけば、ことばで人を傷つけるきず   ことはずっとすくなくなるにちがいありません。