1. 【1】そこには、人と犬とが関係を結ぶようになった大昔の
情景が
綿々と生きている。犬は人間にはない
能力、つまり
暗闇でも目がきき、その
鋭敏な
嗅覚と
聴覚で
危険が
迫っていることをいち早く察知できたことから、夜、人間が
寝静まったあとの
警戒の役目をしたり、
狩猟のなかで人間の役に立ってきた。【2】犬が自分たちの生活の役に立つことを知った人間は、食べ物を
与え、かわいがって育て、犬たちも人に
従順さをもって
応えてきたのである。
2. それにひきくらべて、いまの日本の犬たちは何を求められているのだろうか。【3】もちろん、
盲導犬や
麻薬探知犬などの社会に有用な犬もいるし、
狩猟犬や番犬などもいるだろう。だが、
概して人間に役に立つ犬の仕事は少なくなっている。その結果、犬と人間の関係も
変質してきてしまっている。【4】
現在のハンターと
狩猟犬の関係は、昔の
猟師であるマタギと犬の関係とはまったくちがう。マタギは自分の犬を
捨てたりしないが、ハンティングをする人のなかには、
狩猟シーズンの終わりに
使い捨てにする人がままいるのだ。
3. 【5】結局、大多数の人は
愛玩の対象として犬を
飼っているのだろうが、そうだとしたら、人の
愛玩に
応えることだけが、その役目となったいまの犬たちは、はたして幸せなのだろうか。
4. 【6】
私には、この関係はどうも人→犬の一方通行という気がしてならない。それに、
愛玩というのはえてして、対象が変わりやすいし、
飽きがくることもあるし、自分の都合で一方的にやめてしまうこともある。【7】これが毎年、おびただしい数の
捨て犬が生まれる
一因といったらいいすぎだろうか。ほんとうに自分の生活に必要だったら、犬を
捨てることは、自分の手足をもぐのと同じことである。【8】犬が人間の役に立ちたいと思っている動物だとしたら、いまの人との
暮らしのなかにその対象がないことは、ある意味で悲しいことではないだろうか。
5. ほんとうに人の役に立っている犬たちは、どれも生き生きしてい∵る。【9】
私の
飼っているラブラドール・レトリーバーのベリーという犬は、
麻薬犬にするため、成田空港の
税関にあずけた。しばしの別れはつらかったけれど、ときどき見にいってみると、
立派に
職責を果たし、
緊張のなかで生き生きとしているのが手にとるようにわかる。【0】犬は何かの目的に向かって
一生懸命、働く動物である。人間の役に立つことで喜びを感じ、われわれもだからこそ
彼らを愛する。そのことを考えれば、もっと犬を有用なことに使ってもいいのではないか。
6.
麻薬探知犬、
盲導犬、
聴導犬、
介助犬、あるいは老人ホームを
訪問するボランティア犬、
阪神大震災で
活躍した
災害救助犬、
精神を病んだ人たちを
癒すセラピー・ドッグ、そういう犬たちの
役割をもっと広げていってもいいと思う。また、アウトドアで遊ぶ友として、
狩猟犬やそり引き犬、あるいはフリスビー犬だっていいが、
彼らの
可能性をもっと広げてやってほしい。ただねこかわいがりして、
愛情過多の
状態にとどめておくのは悲しい。犬にとっても、人間にとってもよりよい関係というものがきっとあるはずだ。
7.(
富澤勝『日本の犬は幸せか』(草思社)による)