長文 8.4週
1. 【1】そこには、人と犬とが関係を結ぶようになった大昔の情景じょうけい綿々めんめんと生きている。犬は人間にはない能力のうりょく、つまり暗闇くらやみでも目がきき、その鋭敏えいびん嗅覚きゅうかく聴覚ちょうかく危険きけん迫っせま ていることをいち早く察知できたことから、夜、人間が寝静まっねしず  たあとの警戒けいかいの役目をしたり、狩猟しゅりょうのなかで人間の役に立ってきた。【2】犬が自分たちの生活の役に立つことを知った人間は、食べ物を与えあた 、かわいがって育て、犬たちも人に従順じゅうじゅんさをもって応えこた てきたのである。
2. それにひきくらべて、いまの日本の犬たちは何を求められているのだろうか。【3】もちろん、盲導犬もうどうけん麻薬まやく探知たんち犬などの社会に有用な犬もいるし、狩猟しゅりょう犬や番犬などもいるだろう。だが、概してがい  人間に役に立つ犬の仕事は少なくなっている。その結果、犬と人間の関係も変質へんしつしてきてしまっている。【4】現在げんざいのハンターと狩猟しゅりょう犬の関係は、昔の猟師りょうしであるマタギと犬の関係とはまったくちがう。マタギは自分の犬を捨てす たりしないが、ハンティングをする人のなかには、狩猟しゅりょうシーズンの終わりに使い捨てつか す にする人がままいるのだ。
3. 【5】結局、大多数の人は愛玩あいがんの対象として犬を飼っか ているのだろうが、そうだとしたら、人の愛玩あいがん応えるこた  ことだけが、その役目となったいまの犬たちは、はたして幸せなのだろうか。
4. 【6】わたしには、この関係はどうも人→犬の一方通行という気がしてならない。それに、愛玩あいがんというのはえてして、対象が変わりやすいし、飽きあ がくることもあるし、自分の都合で一方的にやめてしまうこともある。【7】これが毎年、おびただしい数の捨てす 犬が生まれる一因いちいんといったらいいすぎだろうか。ほんとうに自分の生活に必要だったら、犬を捨てるす  ことは、自分の手足をもぐのと同じことである。【8】犬が人間の役に立ちたいと思っている動物だとしたら、いまの人との暮らしく  のなかにその対象がないことは、ある意味で悲しいことではないだろうか。
5. ほんとうに人の役に立っている犬たちは、どれも生き生きしてい∵る。【9】わたし飼っか ているラブラドール・レトリーバーのベリーという犬は、麻薬まやく犬にするため、成田空港の税関ぜいかんにあずけた。しばしの別れはつらかったけれど、ときどき見にいってみると、立派りっぱ職責しょくせきを果たし、緊張きんちょうのなかで生き生きとしているのが手にとるようにわかる。【0】犬は何かの目的に向かって一生懸命いっしょうけんめい、働く動物である。人間の役に立つことで喜びを感じ、われわれもだからこそ彼らかれ を愛する。そのことを考えれば、もっと犬を有用なことに使ってもいいのではないか。
6. 麻薬まやく探知たんち犬、盲導犬もうどうけんしるべ犬、介助かいじょ犬、あるいは老人ホームを訪問ほうもんするボランティア犬、阪神はんしん大震災だいしんさい活躍かつやくした災害さいがい救助犬、精神せいしんを病んだ人たちを癒すいや セラピー・ドッグ、そういう犬たちの役割やくわりをもっと広げていってもいいと思う。また、アウトドアで遊ぶ友として、狩猟しゅりょう犬やそり引き犬、あるいはフリスビー犬だっていいが、彼らかれ 可能かのうせいをもっと広げてやってほしい。ただねこかわいがりして、愛情あいじょう過多かた状態じょうたいにとどめておくのは悲しい。犬にとっても、人間にとってもよりよい関係というものがきっとあるはずだ。

7.(富澤とみざわ勝『日本の犬は幸せか』(草思社)による)