長文集  9月1週  ○明快な文章を(感)  ni2-09-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/06/14 17:49:09
 【1】明快な文章を、というのは、ただわ
かりやすければいいというのとはすこし違う
。戦後ずっと、わかりやすく書けと言われて
きたけれども、そのわりに文章は平明にはな
らなかった。字づらはやさしくても、ふにゃ
ふにゃして、とらえどころのないような文章
がふえた。【2】明快な文章は、骨を持って
いなくてはならない。筋道が通っている必要
がある。つまり、論理的であって、しかもわ
かりやすい、それが明快な文章ということに
なる。
 【3】この論理的というのが問題である。
どこかに客観的な論理なるものがあって、そ
れに則ってものを書き、言うことのように考
えている人がすくなくない。それなら、イギ
リス人の論理もエジプト人の論理も、日本人
と同じでなくてはならない。【4】たしか 
に、ごく基本的な次元では世界中が同一原理
に支配されている。しかし、論理にはもっと
人間的な論理もある。言葉で表現される論理
は、一プラス一が二になるような数式に比べ
てはるかに柔らかい論理で、柔らかい論理は
、民族の文化や言語によって微妙に違うのが
むしろ正常である。【5】だからこそ、完全
な翻訳ということがむずかしい。数学の式な
ら翻訳を要しない。
 一方、日本語の文章がわけのわからぬもの
になりやすいのも事実である。【6】論理的
にできるものなら論理的にしたい。それかと
言って筋道さえ通っていればいい、明快なら
よろしい、という文章観で割り切ってもらっ
てもわびしい。
 【7】川の水が濁っている。底が見えない
。この濁りをすっかり取ってしまえ、という
ので清水にしてしまったらどうか。透明には
なるだろうが、清水に魚すまず、川かならず
しも水の清さをもって尊しとせず、である。
【8】文章も同じこと。あまりごたごたして
いれば、一度蒸留水のようにすっきりしたも
のにしてみたいと思うのは人情であろう。方
向としては結構だが、それがそのとおり実現
し∵たら、ことである。「過ぎたるはなお及
ばざるがごとし。」である。
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 【9】古来、われわれの言語表現は、含み
を重んじてきた。「言い尽くして何があろう
。」と言った芭蕉も、魚のすめなくなるよう
な清水ではしかたがないと考えたのである。
【0】古くからあいまいを美学としていた。
にもかかわらず、われわれはいま芭蕉の考え
を捨てて、表現を透明にすることに関心を向
けている。おそらく、これは、それほどむず
かしいことではなかろう。たしかに、よけい
なものを取ってしまって、ぎりぎり言いたい
ことだけ言えば、いわゆる名文にはなる。だ
が、文章をそんなふうに裸にしてはみっとも
ない。適当に着物をきせている方がおもしろ
いのである。

(外山(とやま)滋比古(しげひこ)「日本
の文章」より)