長文集  4月2週  ★その昔、サングラスを(感)  nnga-04-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】その昔、サングラスを持つというこ
とは、ちょっとした冒険であった。それをか
けて街を歩くことは、もっとである。たとえ
ばサングラスというのは、世間に対して少し
ばかりうしろめたいところのある人がかける
ものであって、それだけにややロマンチック
な趣はあったものの、当然ながら周囲からそ
れらしい目で見られ る。【2】つまりサン
グラスをかけて街を歩くためには、常にその
種の視線を予定しなければならず、その中で
平然としていられる心構えがなければならな
かったのである。
 もちろん、今はもうそんなことはない。【
3】現在は、普通の人々が普通にサングラス
をかけて街を歩いているし、そんなものをか
けているからと言って誰も、振り返って見た
りはしない。どことなく、後暗いところのあ
る人、という印象も薄れたかわりに、それに
伴うロマンチックな趣も消えてしまった。た
だ、どうなんだろう か。【4】そうかと言
って現在サングラスをかけている人すべて 
が、光から目を保護するためにそうしている
とは思えない。
 夜の人工光線の中でもサングラスをはずさ
ない人がいて、彼に言わせると「サングラス
をとると、着ているものを脱いで裸にされた
ようで恥ずかしい」のだそうである。【5】
またひとりは、「私は人をじっと見る癖があ
るので、人に厭がられないようサングラスを
しているのだ」と言う。どうやらサングラス
の、「隠れ蓑」としての役割はまだ残ってい
て、それが一般に利用されているのであろ 
う。【6】もしかしたら、周囲の人々の「隠
れているな」という関心を引かなくなった分
、よりさり気なく隠れることが出来るように
なったのかもしれない。
 最近対人関係が淡泊になったと、よく言わ
れる。憎むことにも、愛することにも、さほ
ど情熱的でなくなったのである。【7】「君
子の交りは淡きこと水の如し」という考え方
からすれば、それぞれ君子の域に達したとも
言えるのであるが、実際にはどうなのだろう
か。私に言わせれば、それだけ人々がつつし
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み深くなったというより、むしろ対人関係の
そうしたわずらわしさに疲れた、という感じ
がし∵てならない。【8】そして、そのこと
とサングラスが、無関係ではないように思え
るのだ。
 私も何度かサングラスをかけて街を歩いて
みたことがある。もちろん最初のうちは、自
分で自分のサングラス姿が気になって落ち着
かないのだが、すれ違う人々が誰も気にして
ないのを知るにつれ、次第に或(あ)るひそ
かな快さを味わえるようになるのである。【
9】言うまでもなく、単なる自己満足には違
いないものの、何となく世間から一歩退いて
、それらの害の及んでこない安全地帯を、ひ
っそりと歩み去ることが出来るような気がす
る。
 極端なことを言えば、塀にあいた節穴から
、世間というものをのぞき見している心境か
もしれない。【0】恐らく、我々の内にある
自閉的な傾向がそれを快いと感じさせるので
あろうが、だとすれば我々は現在、人に見ら
れ、批評され、こちらからもそれを返すこと
によって形づくられていた対人関係のわずら
わしさから、一斉に逃避し、自分自身の内側
へこもりはじめたのである。しかもかつてな
ら、自らサングラスのかげに隠れようとする
と、「隠れているな」という人々の関心を集
め、それらを罰として引き受けなければなら
なかったのだが、今はそれもない。誰でも自
由に、自分自身を消すことが出来るのである

 もちろん、サングラスをかけたからと言っ
て、世間からその人間が見えなくなるわけで
はない。かけている本人が、世間から見えな
くなっているような、錯覚を得るだけである
。しかし、世間から見てその人間が、生々し
い実体であることを、幾分なりとも薄れさせ
ることは、事実であろう。もしかしたら我々
にとって他の人間は、サングラスなしで対面
するには、余りに刺激が強すぎるものになり
つつあるのかもしれない。

(別役実『カナダのさけの笑い』所収)