長文 4.2週
1. 【1】その昔、サングラスを持つということは、ちょっとした冒険ぼうけんであった。それをかけて街を歩くことは、もっとである。たとえばサングラスというのは、世間に対して少しばかりうしろめたいところのある人がかけるものであって、それだけにややロマンチックなおもむきはあったものの、当然ながら周囲からそれらしい目で見られる。【2】つまりサングラスをかけて街を歩くためには、常にその種の視線を予定しなければならず、その中で平然としていられる心構えがなければならなかったのである。
2. もちろん、今はもうそんなことはない。【3】現在は、普通ふつうの人々が普通ふつうにサングラスをかけて街を歩いているし、そんなものをかけているからと言ってだれも、振り返っふ かえ て見たりはしない。どことなく、後暗いところのある人、という印象も薄れうす たかわりに、それに伴うともな ロマンチックなおもむきも消えてしまった。ただ、どうなんだろうか。【4】そうかと言って現在サングラスをかけている人すべてが、光から目を保護するためにそうしているとは思えない。
3. 夜の人工光線の中でもサングラスをはずさない人がいて、かれに言わせると「サングラスをとると、着ているものを脱いぬ はだかにされたようで恥ずかしいは    」のだそうである。【5】またひとりは、「私は人をじっと見るくせがあるので、人にいやがられないようサングラスをしているのだ」と言う。どうやらサングラスの、「隠れ蓑かく みの」としての役割はまだ残っていて、それが一般いっぱんに利用されているのであろう。【6】もしかしたら、周囲の人々の「隠れかく ているな」という関心を引かなくなった分、よりさり気なく隠れるかく  ことが出来るようになったのかもしれない。
4. 最近対人関係が淡泊たんぱくになったと、よく言われる。憎むにく ことにも、愛することにも、さほど情熱的でなくなったのである。【7】「君子の交りは淡きあわ こと水の如しごと 」という考え方からすれば、それぞれ君子の域に達したとも言えるのであるが、実際にはどうなのだろうか。私に言わせれば、それだけ人々がつつしみ深くなったというより、むしろ対人関係のそうしたわずらわしさに疲れつか た、という感じがし∵てならない。【8】そして、そのこととサングラスが、無関係ではないように思えるのだ。
5. 私も何度かサングラスをかけて街を歩いてみたことがある。もちろん最初のうちは、自分で自分のサングラス姿が気になって落ち着かないのだが、すれ違う  ちが 人々がだれも気にしてないのを知るにつれ、次第に(るひそかな快さを味わえるようになるのである。【9】言うまでもなく、単なる自己満足には違いちが ないものの、何となく世間から一歩退いて、それらの害の及んおよ でこない安全地帯を、ひっそりと歩み去ることが出来るような気がする。
6. 極端きょくたんなことを言えば、へいにあいた節穴から、世間というものをのぞき見している心境かもしれない。【0】恐らくおそ  、我々の内にある自閉的な傾向けいこうがそれを快いと感じさせるのであろうが、だとすれば我々は現在、人に見られ、批評され、こちらからもそれを返すことによって形づくられていた対人関係のわずらわしさから、一斉いっせい逃避とうひし、自分自身の内側へこもりはじめたのである。しかもかつてなら、自らサングラスのかげに隠れよかく  うとすると、「隠れかく ているな」という人々の関心を集め、それらをばっとして引き受けなければならなかったのだが、今はそれもない。だれでも自由に、自分自身を消すことが出来るのである。
7. もちろん、サングラスをかけたからと言って、世間からその人間が見えなくなるわけではない。かけている本人が、世間から見えなくなっているような、錯覚さっかくを得るだけである。しかし、世間から見てその人間が、生々しい実体であることを、幾分いくぶんなりとも薄れうす させることは、事実であろう。もしかしたら我々にとって他の人間は、サングラスなしで対面するには、余りに刺激しげきが強すぎるものになりつつあるのかもしれない。

8.(別役実『カナダのさけの笑い』所収)