長文集  4月4週  ○近代日本の悲劇は  nnga-04-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/15 14:39:06
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は
一番目の長文です。】
 すなわち、人間の社会的欲望には、他人を
模倣して他人と同一の存在であると認めても
らいたい模倣への欲望と、他人との差異を際
立たせて自己の独自性を認めてもらいたい差
異化への欲望との二つの形態があるのである
。いずれも、一体どのような他人によってど
のように認めてもらうかという点では大いに
異なるが、他人に認めてもらいたいという社
会的な欲望である点では変りがない。しか 
も、それらは往々にして同一の個人の中に共
存している。
 当然、このような社会的欲望の二つの形態
のちがいに応じて、モノに対する人々の欲求
の形態も異なってくる。模倣への欲望は、人
々に、他人が既に所有しているモノを求めさ
せ、他人と同じように消費させるであろう。
また、差異化への欲望は、人々に、他の多く
の人が所有できないモノや他の多くの人が未
だ所有していないモノを求めさせ、また他人
と異なった仕方で消費させるであろう。実 
際、すべての人間社会は、それぞれ独自の方
法で、この二つの形態の社会的欲望の存在、
とくにそのうちの第二の形態である差異化へ
の欲望に対処してきたはずである。たとえば
、多くの共同体的社会においては、共同体の
内部では差異化への欲望は抑圧され、外部と
接触する機会である祭やポトラッチや戦争に
おいてのみ一時的にそれを満たしていたであ
ろう。また、階級社会においては、この差異
化への欲望は支配者階級のみが全面的に満た
しうるものであったろう。実は、社会的欲望
の対処の仕方として今あげた二つの例は、そ
れぞれ大雑把に言って、商業資本的な利潤の
創出方法と産業資本的な利潤の創出方法とに
形式的に対応しているのである。そして、外
部も階級差も失いつつある現代の資本主義に
おいても、利潤の創出方法と社会的欲望への
対処の仕方にやはり形式的な対応関係が見出
しうることは、今までの議論から当然察しが
つくにちがいない。
 現代の資本主義においては、だれもが差異
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化への欲望をもち、それを満たしたがってい
る。一体どのようにすればよいのか。もちろ
ん、差異性という価値をもっている商品を買
えばよい。だが、そのためには単に他人と異
なった商品を買っても意味がない。他人が買
っていなくて、しかも他人が価値あると認め
る商品を見つけ出さなければならないのであ
る。もちろん市場には商品の種類は無数にあ
り、犬も歩けば棒にあたる。「いや、広告を
通じて、棒の方が犬に向ってあたってくる。
」そこで、だれかがどこかでそのような商品
に行き当たり、差異化への欲望を満足したと
しょう。これは、購買∵における一種の革新
である。しかし、その購買における革新の効
果も決して永続するものではない。なぜなら
ば、ある人がある商品を所有することによっ
て差異化への社会的な欲望を満足していると
いうことは、同時に、まだその商品を買って
いない他の人々がそれに価値を認めたことで
もあるからだ。それは当然これらの人々の心
の中に模倣への社会的欲望をひきおこすであ
ろう。それゆえ、購買力が許すならば、かれ
らもその商品を買い始めるにちがいない。そ
の結果、その商品の社会的な価値はますます
高まり、さらに多くの人の中に模倣への欲望
をひきおこし、模倣の群によって商品のブー
ムが生れる。だが、このようなブームの中で
、次第に差異性としての商品の価値は失われ
、差異性への人々の欲望は再び不満足の状態
に引きもどされる。それゆえ、また人々は差
異性という価値をもつ新たな商品を探し求め
ていくことになる。そのような商品が再び見
出されると、模倣によるブームがおこり、こ
のブームの中でその商品も差異性という価値
を失っていく。そしてまた……。
 ここでも、差異性の発見と模倣による差異
性の喪失という、シシフォスの神話に似た反
復の過程が支配しているのである。それは結
局、他人に認められたいという人間にとって
は絶対的である社会的欲望が、モノのもつ差
異性という相対的な価値を媒介としてしか満
たされないという、人間の欲望のはらむ根源
的なパラドクスの産物であり、その部分的で
一時的でしかありえない解決の終わることな
き反復なのである。

(岩井克人(かつひと)『ヴェニスの商人の
資本論』による)

 【1】近代日本の悲劇は、自分を育て、自
分が発展させた文化 と、まるでちがった歴
史と伝統をもつヨーロッパ文化に支えられた
文明を、是が非でもとりいれなければならぬ
羽目におちこんだというところに、大きな原
因があるのは、多くの人の説く通りである。
【2】私たちは、紀元六世紀にかつて日本が
圧倒的に優勢なアジア大陸の文化に接し、そ
れを模倣することになった時、どんな大きな
眩惑を覚えたか、今となってはこれを如実に
心に浮かべることができない。【3】混乱は
大きかったに相違ないし、また、そこには、
彼らのかつて感じたことのない深く大きな歓
喜と恐れの入りまじっていた未聞の眩惑があ
ったろう。
 ところで、日本が今も昔も先進国を模倣し
たといっても、十九世紀日本がヨーロッパ文
化に接した場合と、この六世紀の経験とで 
は、そこにいくつかの違いがある。【4】第
一に、私たちの祖先が十三世紀以上前に、大
陸文化に接した時は、彼らはほとんど文化ら
しい文化を何ももっていなかった。日本には
、文字がなかったし、鉄器もなく、第一、こ
ちら側には国家の機構もまだ整わず、官僚も
組織されてなかった。【5】日本人は、徹底
的に無条件に、大陸文化をとり入れざるをえ
なかった。そうして、その影響は、『古事記
』のかかれた八世紀から計算しても、十九世
紀まで、十世紀以上におよんだ。
 ところが十九世紀になって、ヨーロッパ文
化が、日本に渡来した時には、日本はもうま
ったくの非文明国ではなかった。【6】そこ
には、たとえ荷風のいう本店と支店の関係は
あったにしたところ で、とにかく、それに
なりの宗教、哲学、政治、芸術の独自の体系
ができあがっていた。だから、西洋文化の影
響は、当然、昔の場合より、大きな抵抗にぶ
つかったわけだし、自分の独立を救うために
黒船の前に降伏を決意した日本側の態度は、
ある種の条件つきだった。【7】これは、た
とえ、国民の一部が昔と同じ無条件降伏をす
すんで希望したとしても、なお、不可避的に
、そうならざるをえなかった。そのうえ、こ
の西洋の影響は時間的にみても、まだ一世紀
に∵もたりない。【8】いまから半世紀以前
に、荷風がどんなに苛立ったにせよ、日本人
の多くが、根本的に彼とちがう目で、西洋を
見、日本を保存していたことは、やむをえな
いことでもあったわけだ。
(中略)
 模倣が生産的でありうるということを、私
が今ここで詳しくのべる必要もないであろう
。【9】たとえば漢字の採用一つとってみて
も、それが日本人の思考の仕方にどんな複雑
な得失をあたえたか は、現代の日本人を考
える場合にも、たいせつな問題を含んでい 
る。【0】かりに七世紀の日本人が漢字を採
用しなかったら――というのは、すでに、愚
かしい設問であるけれども――、日本はより
独自の文化を生みだしていたろうという結論
を出すことは、不可能ではないだろう。二十
世紀日本のある人たちは、漢字漢文を採用し
ている限り、日本人は正確にものを考えるこ
とができないと、主張しているようにみえる
。しかし、その場合の「正確な考え方」とい
う観点が、すでに西洋の影響であって、けっ
して日本人の自発的なものでないことは別に
しても――そうでなければ、日本人はシナ文
化渡来前は正確な考え方をしていたことにな
るはずだが、そんなことは滑稽である――、
現代の日本人のなかには、すでに、そういう
「正確な考え方」をしている人びとがいる。
その人たちは、すべ て、西洋の考え方を消
化し身につけているから、漢字と漢文を本店
とする国文・日本文をもって、正確に考える
力をもつようになったのだ。しかし、彼はそ
の能力を身につけるまでには、漢字の模倣に
はじまった日本語の働きが不可欠だった。簡
単にいってしまえば、今の日本語の状態にし
ても、考えるべきことは考えられるのだ。た
だ、それには、現在では「西洋」の消化を絶
対に必要とする。「わが日本は今も昔も、先
進国の模倣による」必要がある所以だ。

(吉田秀和『荷風を読んで』より、一部改変
。)