長文集  5月1週  ★固有名詞が(感)  nnga-05-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/16 04:08:00
【一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の
長文は課題の長文で す。】
 【1】文化の発展には民族というものが基
礎とならねばならぬ。民族的統一を形成する
ものは風俗慣習等種々(しゅじゅ)なる生活
様式を挙げることができるであろうが、言語
というものがその最大な要素でなければなら
ない。【2】故に優秀な民族は優秀な言語を
有つ。ギリシャ語は哲学に適し、ラティン語
は法律に適するといわれる。日本語は何に適
するか。私はなおかかる問題について考えて
見たことはないが、一例をいえば、俳句とい
う如き(ごと )ものは、とても外国語には
訳のできないものではないかと思う。【3】
それは日本語によってのみ表現し得る美であ
り、大きくいえば日本人の人生観、世界観の
特色を示しているともいえる。日本人の物の
見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴む
にあるのである。【4】しかし我々は単に俳
句の如きものの美を誇りとするに安んずるこ
となく、我々の物の見方考え方を深めて、我
々の心の底から雄大な文学や深遠な哲学を生
み出すよう努力せなければならない。【5】
我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織
して行くと共に、我々の国語をして自ら世界
歴史において他に類のない人生観、世界観を
表現する特色ある言語たらしめねばならない
。本当に物事を考えて真に或物を掴めば、自
ら他によって表現することのできない言表(
げんぴょう)が出て来るものである。
 【6】日本語ほど、他の国語を取り入れて
そのまま日本化する言語は少ないであろう。
久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多
くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文
そのものによって自己の思想を発表して来た
。【7】それは一面に純なる生きた日本語の
発展を妨げたともいい得るであろう。しかし
一面には我々の国語の自在性というものを考
えることもできる。私は復古癖の人のよう 
に、徒ら(いたず )に言語の純粋性を主張
して、強いて古き言語や語法によって今日の
思想を言い表そうとするものに同意すること
はできない。【8】無論、古語というものは
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我々の言語の源であ り、我が民族の成立と
共に、我が国語の言語的精神もそこに形成せ
られたものとして、何処までも深く研究すべ
きはいうまでもない。しかし言語というもの
は生きたものということを忘れてはならな 
い。∵【9】『源氏』などの中にも、如何に
多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられ
ていることよ。また蕪村が俳句の中に漢語を
取り入れた如く、外国語の語法でも日本化す
ることができるかも知れない。ただ、その消
化如何(いかん)にあるのである。【0】

 「国語の自在性」(西田幾多郎)∵
 【1】固有名詞が、その固有の意味におい
てはっきりと姿をあらわすのは、かれ/彼女
が、父と母だけでなく(父も母も、そのこど
もにとっては一つしかないものだから、太陽
や月が固有名詞であるかどうかという、文法
学者の古典的な議論と同様に、純粋に普通名
詞でもなければ固有名詞でもない)、【2】
きょうだいや遊び仲間をもち、あるいは保育
園や学校のようなところに通って社会生活を
はじめたときである。かれ/彼女は、自分だ
けでなく、他者も、それぞれが名をもつこと
を知る。逆説的なようだが、固有名詞がある
というそのことが、言葉が本来的に社会的な
ものであるということの証拠になるのである

 【3】現代社会では、人やものが固有名詞
で呼ばれるものであ り、また呼ばれなけれ
ばならないということは、経験を通じて徐々
に学ばれるのではなく、たとえばこどもに入
学した学校の名をおぼえさせることによって
一挙に教えこまれるのである。【4】この過
程を通じて、こどもは、自分は一つの制度の
中にくり入れられ、ある組織に所属するのだ
という意識を植えつけられるから、固有名詞
はこどもを社会化するための基本的な道具と
なり、人間は死ぬまで固有名詞の支配下に置
かれるのである。【5】言語(ここに言う言
語とは、人間はことばを話す動物であるとい
うばあいの一般的な言語と、人間は何々語と
いう、特定の言語しか話すものではないとい
う意味での言語との二重の意味においてであ
る)が人間に与えられた宿命であるとするな
らば、固有名詞は、宿命としての言語の本質
的部分を体現していることになる。
 【6】まことに固有名詞こそは、人類が決
して一つではなく、さまざまな名前――固有
名詞をもって分かれ、それぞれが自分あるい
は自分たちに対立するものであるということ
を思い知らせ、相互のちがいをいやが上にも
きわ立たせ、それを固定させる道具である。
【7】名前、固有名詞こそは、ことばの中で
も抜きん出た地位を占めていて、これこそこ
とばの中のことば、名詞の中の名詞だと言っ
てもいいくらいである。人間は生きている間
のほとんどの時間を、名前とともに生き、苦
しみ、争ってきたと言えるのである。【8】
そのために、どれだけ多くの人が、名前から
逃れたいと思っただろうか。――自分自身と
その家族の名前から、国家や民族の名前、出
身地の名前等々から。
 ところが、ことばの科学――たとえば言語
学は、名前については∵本気で科学しなかっ
た。はじめから、それは科学できないものと
してとり除いてしまったのである。
 【9】とり除いた理由の一つは、方法論が
そうするよう求めたからである。そのことと
深いつながりがあるのだが、名前――固有名
詞の問題を、ひたすら普通名詞、一般名詞と
いかにちがうかを考えるにとどまり、社会の
コンテキストに置いて考えることをしなかっ
たためである。【0】ことばや記号は認識論
上の問題に限定され、はじめから、社会から
切りはなされていたのである。
 また代々の文法家や論理学者たちは、固有
名詞の本来の機能は、それが何かあるものを
一つしかないものとして孤立させて指し示す
ところにあると言いつづけてきた。純粋の固
有性というものをそのようなものとして考え
てきたからである。
(中略)
 このように考えてみると、まさに、名前に
、アイデンティティというものの二重性があ
る――自分は自分であって、それ以外のもの
ではあり得ないと主張される自分は、他方で
はどこかに所属している(どこにも所属しな
いことが、すでに所属である。人はこの独得
の所属のしかたにもまた名をつけるであろう
から)あるいは所属せざるを得ないというこ
の原理は、名づけ、すなわち、ことばの原理
そのものから発しているように思われる。
 人間の名前がその所属を示すように(もう
一度強調しておけば、その名前は、ある特定
の言語に属すからだ。このことは忘れないで
おこう)、山も河も海も、名づけられると同
時に、その領有への主張が背後にすべり込む
。こうして固有名詞は、たちまち緊張した政
治の磁場を作り出すのである。

(田中克彦「名前と人間」による)