長文集  5月2週  ★魏志倭人伝によると(感)  nnga-05-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】魏志倭人伝によると、当時、海をわ
たって中国と交通する際に、必ず持衰と称す
る男を一人伴っていたという。この男は、航
海中決して頭を梳(くしけず)らず、のみ、
しらみを取らず、衣服を洗わず、肉を食わず
、婦人に近づかず、服喪中のひとのようであ
った。【2】無事に航海が終わって港に着け
ば数々の財物を与えられたが、暴風に会った
りして難破すると直ちに殺されてしまった。
こういう役割の男を持衰といったのである。
記録に残されているところは以上の通りであ
る。【3】持衰とよばれるこの男はどうやら
一種のシャーマンであって、航海の安全を祈
ったものであろう。シャーマンというものは
、成功してはじめて評価されるもので、失敗
すればたちどころに殺されてしまう。殺され
ることが呪力の持続の保証でもあったわけで
ある。
 【4】ところで、いかに呪力を持ったシャ
ーマンとはいえ、航海中に一定の禁忌を守り
さえすれば、船が目的地に安着するというの
はどういうことなのであろうか。それは時の
持続、出発地の時間が目的地まで持続するこ
と、そういう流れない時のシンボルなのでは
なかったろうか。【5】】あるいは、そうい
う時の演劇的表現が持衰だったといってもよ
い。そして、そういった場合には、演劇的表
現を生む以前のある時期には、流れない時の
リアリティーがすべての人々に実感されてい
たに違いないのである。
 【6】流れない時、時間をこえた時、そう
いう時はたしかにあった。創造というのは、
そういう時に出逢うことである。竜宮城の浦
島太郎はこういう時を日常の時として不老不
死であったが、故郷に帰って玉手箱を開けた
とたんに、一挙に時間が流れ去ったのであっ
た。【7】山川の流れにも、淀むときがあり
、早瀬となって走るときがある。表層の水は
白く泡立って流れていても、深層の水は静か
にたたえている。そういうことがある。時間
も同じことである。
 時について考えるには、時をまずその原初
の意味においてとらえ直す必要がある。【8
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】そうすると、時は『もの』である。手でつ
かまえることのできる『もの』、眼で見、耳
で聞くことのできる『もの』である。時はタ
ンジブルなものである。桜の花の咲く時、梅
の実の黄ばむ時である。そういう時に逢う時
、それが時である。古池∵や蛙とびこむバシ
ャッという音、それが時である。【9】『も
の』を離れて時はない。
 かつて北部ラオスの村で調査していたとき
のことである。毎日、村の家々を訪ねて家族
のあり方を聞いてまわっていた。ラオ語がよ
くできなかったから、簡単な質問ですむ調査
を手始めにえらんだのである。【0】「あな
たは今年、何歳ですか」「あなたの奥さんは
どの村で生まれましたか」「長男の名前は…
…、年齢は……」といった質問を繰り返して
いた。
 ところが、村びとは子供の年齢をよく知ら
ない。「一番下の子は何という名前でしたか
」「サオ・ボーアです」「サオ・ボーアは何
歳ですか」「サアー、お前、サオ・ボーアは
幾つだったかナー」と傍らの奥さんに聞く始
末である。しかし、それでもわからない。そ
うすると遊んでいた子供を呼びもどす。「先
生、サオ・ボーアはこの子ですよ。何歳だと
思いますか」
 私はびっくりしてしまう。何歳と思うかと
私に聞かれてもどうしようもない。親が娘の
年齢を知らないのだから、私が知るはずはな
いではないか。そう思った。文化の低いとこ
ろは困ったものだ。そう思ったこともある。
しかし、その後、考え直してみると、問われ
ている本人を呼びにやって質問者の眼の前に
連れてきたのである。本人が私の前に立って
いるのである。これほど確かなことがあろう
か。(中略)
 時は、あるいは時間は、われわれの人生が
その上に展開する座標ではない。最近、宇宙
船地球号というイメージが普及している。そ
ういうイメージからすると、この地球に住む
約三十八億の人間がそれぞれ腕に腕時計をは
めて宇宙空間をただよっているような気分に
なるが、実はそんなことはない。日本の時間
とボルネオの時間とは違うし、現代の時間と
古代の時間はちがう。私の時とあなたの時は
ちがう。時間は決して一つになってはいない