1. 【1】
魏志
倭人伝によると、当時、海をわたって中国と交通する際に、必ず持
衰と
称する男を一人
伴っていたという。この男は、航海中決して頭を
梳らず、のみ、しらみを取らず、衣服を洗わず、肉を食わず、婦人に近づかず、
服喪中のひとのようであった。【2】無事に航海が終わって港に着けば数々の財物を
与えられたが、暴風に会ったりして難破すると直ちに殺されてしまった。こういう役割の男を持
衰といったのである。記録に残されているところは以上の通りである。【3】持
衰とよばれるこの男はどうやら一種のシャーマンであって、航海の安全を
祈ったものであろう。シャーマンというものは、成功してはじめて評価されるもので、失敗すればたちどころに殺されてしまう。殺されることが
呪力の持続の保証でもあったわけである。
2. 【4】ところで、いかに
呪力を持ったシャーマンとはいえ、航海中に一定の
禁忌を守りさえすれば、船が目的地に安着するというのはどういうことなのであろうか。それは時の持続、出発地の時間が目的地まで持続すること、そういう流れない時のシンボルなのではなかったろうか。【5】】あるいは、そういう時の演劇的表現が持
衰だったといってもよい。そして、そういった場合には、演劇的表現を生む以前のある時期には、流れない時のリアリティーがすべての人々に実感されていたに
違いないのである。
3. 【6】流れない時、時間をこえた時、そういう時はたしかにあった。創造というのは、そういう時に
出逢うことである。
竜宮城の
浦島太郎はこういう時を日常の時として不老不死であったが、故郷に帰って玉手箱を開けたとたんに、一挙に時間が流れ去ったのであった。【7】山川の流れにも、
淀むときがあり、
早瀬となって走るときがある。表層の水は白く
泡立って流れていても、深層の水は静かにたたえている。そういうことがある。時間も同じことである。
4. 時について考えるには、時をまずその原初の意味においてとらえ直す必要がある。【8】そうすると、時は『もの』である。手でつかまえることのできる『もの』、眼で見、耳で聞くことのできる『もの』である。時はタンジブルなものである。桜の花の
咲く時、梅の実の黄ばむ時である。そういう時に
逢う時、それが時である。古池∵や
蛙とびこむバシャッという音、それが時である。【9】『もの』を
離れて時はない。
5. かつて北部ラオスの村で調査していたときのことである。毎日、村の家々を訪ねて家族のあり方を聞いてまわっていた。ラオ語がよくできなかったから、簡単な質問ですむ調査を手始めにえらんだのである。【0】「あなたは今年、何
歳ですか」「あなたの
奥さんはどの村で生まれましたか」「長男の名前は……、
年齢は……」といった質問を
繰り返していた。
6. ところが、村びとは子供の
年齢をよく知らない。「一番下の子は何という名前でしたか」「サオ・ボーアです」「サオ・ボーアは何
歳ですか」「サアー、お前、サオ・ボーアは
幾つだったかナー」と
傍らの
奥さんに聞く始末である。しかし、それでもわからない。そうすると遊んでいた子供を呼びもどす。「先生、サオ・ボーアはこの子ですよ。何
歳だと思いますか」
7. 私はびっくりしてしまう。何
歳と思うかと私に聞かれてもどうしようもない。親が
娘の
年齢を知らないのだから、私が知るはずはないではないか。そう思った。文化の低いところは困ったものだ。そう思ったこともある。しかし、その後、考え直してみると、問われている本人を呼びにやって質問者の眼の前に連れてきたのである。本人が私の前に立っているのである。これほど確かなことがあろうか。(中略)
8. 時は、あるいは時間は、われわれの人生がその上に展開する座標ではない。最近、宇宙船地球号というイメージが
普及している。そういうイメージからすると、この地球に住む約三十八億の人間がそれぞれ
腕に
腕時計をはめて宇宙空間をただよっているような気分になるが、実はそんなことはない。日本の時間とボルネオの時間とは
違うし、現代の時間と古代の時間はちがう。私の時とあなたの時はちがう。時間は決して一つになってはいない。