長文集  5月3週  ★ロボットは人間か(感)  nnga-05-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】ロボットは人間かと問うのは、ロボ
ットにも心とか意識といったものがあるかと
問うことである。うまそうに食事をしている
ロボットは、本当に空腹を感じ、食欲をもち
、そして味わっているのだろうか、あるいは
単にすべてただ「振りをしている」だけなの
だろうか。【2】歯医者の椅子の上でうめき
声をあげているロボットは本当に痛がってい
るのだろうか。ただ痛そうな振りをしている
だけではないのか。
 だがこの問いに答える方法があるだろうか
。ロボットに「本当に痛いのか」と尋ねれば
もちろんのこと、「間抜けたことを言うな、
痛いったら痛いんだ」と答えるだろう【3】
(そしてその夜、日記に、差別待遇をうけて
心が痛んだ、と記すかもしれない)。嘘発見
器につないでも人間の場合とは違う反応であ
ろうがともかく嘘をついているときのロボッ
トとは違う正常な反応を示すだろう。【4】
切開をすれば人間の神経繊維と比べれば不細
工な金属線があり、それにパルス電流が流れ
ているのが検出されよう。そして、学のある
ロボットならば、それがロボットの痛覚神経
なのだと言うだろう。結局のところ決め手は
ないのである。【5】それは現在の科学や技
術の段階では決め手はない、というのではな
く未来永劫ないのである。痛いとかうまいと
いうことは細胞の興奮とか神経伝導などとは
全く別種のことだからである。だからそれを
生理学的なあるいは工学的な検査法で検出し
ようというのが土台そもそも的外れなのであ
る。(中略)
 【6】私の知っている痛みはただ私自身が
感じるものとしてのものである。それを他人
に移植する、つまり他人がそれを感じると想
像することは実は不可能なのではないか。実
数の間の大小を複素数の間に移植したり、将
棋の王手や成り駒を碁に移植することが不可
能なように。【7】私は他人が私の経験に似
た経験をしていると想像しているつもりでも
実は想像しているのはその他人になり変わっ
た私自身なのではあるまいか。そして想像の
中であっても私は終始私であって彼ではない
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。私に想像可能なのは、彼の立場にある私の
痛みであって彼の痛みではない。(中略)
 【8】人が激痛でうずくまり冷や汗を流し
ている。だが正直なところ私自身は少しも痛
くない。痛くもかゆくもない。だが私は心痛
す∵る。しかし私は彼が痛い、ということを
想像していはしない。その想像は不可能だか
らである。【9】私が想像しているのは彼に
なり変わった私の痛みである。しかしだとい
って私はこの想像上の私の痛みに心痛してい
るのではない(想像された痛みは少しも痛く
ない)。そうではなく私の心痛の対象はまさ
に彼なのである。【0】
 この一見まことに奇妙な状況、この状況を
われわれの言葉では「彼が痛がっている」と
言うのである。この状況の中で、彼になり変
わった想像上の私が、彼を眺めている私と苦
しそうな彼との間を飛びかっている。そして
陽子と中性子の間を飛びかう中間子がその陽
子と中性子とを固く結びつけるように、この
飛びかう想像上の私が現実の私と彼とを「人
間仲間」として結びつけているのである。だ
からこの飛びかいが失われたならば私にとっ
て彼は「人」でなくなる。そして私の方は離
人症(りじんしょう)と言われるだろう。
 幸い今のところ私は離人症(りじんしょう
)ではない。それは私が生まれてこのかた長
年人中で暮らしてきたおかげで身についた態
度なのである(狼少年ならばこの態度を持た
ないだろう)。そしてもし私が長年ロボット
と人間らしい付き合いを続けたならば、ロボ
ットに対しても恐らくこの態度をとるだろう
。そのとき私にとってそのロボットは「人」
なのであり、心も意識もある「人間」なので
ある。
 これはアニミズムと呼ばれていいし、むし
ろそう呼ばれるべきであろう。木石であろう
と人間であろうとロボットであろうとそれら
自体としては心あるものでも心なきものでも
ない。私がそれらといかに交わりいかに暮ら
すかによってそれらは心あるものにも心なき
ものにもなるのである。それに応じて私もま
た「人間」になるのである。

(大森荘蔵『流れとよどみ』による)