長文 4.1週
1.【長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。】
2. 【1】国境を
越えて移動する人々にとって、連続性の保証はなによりも強く希求するところとなる。【2】なかには、
抑圧的な社会体制から
逃れることを一つの目的とし、
憧れの新しい世界を求めて居を移す者たちもいるが、それでも知己、
親戚などのつてを
頼り、同国人あるいは同民族コミュニティの中に
迎えられることを願う者は多数であろう。【3】先にあげたアルジェリアのカビール地方の向仏移民たちが「フランスは初めて
踏む土地ではない」と
思い込んでいるということは、この連続性の想定であり、もっといえば連続性への願望であろう。【4】いくぶんともそのような想定をもつことなしには、移動という行動がそもそも起こりえないだろう、ということはすでに述べた。連続性想定の機能的意義は大きい。
3. 【5】しかし、こうした連続性の想定の上での移動は、また、移民たちの生活をさまざまに限界づけてしまう。そのもっとも
顕著な例は、言語へのかれらの態度である。【6】かつてトルコの東部から
連鎖移民的にドイツの町々にやってきた移民たちは、「ドイツ語ができなくとも、トルコ人の先住コミュニティに
迎えてもらえばなんとかなる」と思い、ドイツ語を学ぶ労もとらずドイツに住み着いた。【7】たしかにコミュニティの中で生活しているかぎり大きな不自由はないが、そこから外へと人間関係を広げていくことはほとんどできない。職場の中でのかれらの位置も、トルコ人を
同僚とする限られた地位にすぎなくなってしまう。
4. 【8】言語に関しては、旧植民地から旧宗主国にやってきた移民の場合に、連続性の
幻想がかえって一個の
陥穽となるおそれがある。【9】たとえばアルジェリアからフランスへの移民には
――少なくともこの国のアラビア語化が本格的に始まる以前の六〇年代の来仏者には
――「フランス語は使えるから、問題はない」という
思い込みがあった。【0】だが、かえってその
思い込みのため、フランス語を学ぶという動機づけが弱く、夜間の講座に通うなどの労もとらず、そのため来仏後の進歩がはかばかしくない、という問題を生じていた。じっさい、
彼らが「フランス語には問題はない」というのは、せいぜい日常会話のそれであって、言語資本としては貧しい。フランス語の読み書きは心もとなく、自分で手紙を書くことはもとより、新聞を読むこと、職場で操作マニュアルを読むことも困難なのである。∵となると、いざ職場で技術革新がおこなわれ、新しい技術システムが導入されるときなど、かれらの読み書きの難しさが、そのまま技術的適応の困難を引き起こし、
雇用不安にさらされることになるのである。
5. 連続性の保証が問題を生んでいる別のケースをあげれば、それは、日本への
出稼ぎ数が近年増大しているブラジル、ペルー、アルゼンチンなどの出身者の場合であろう。日本語保持率の高い日系二世はまだしも、三世になると、日本語を使える者がきわめて少数となるが、かれらは来日にあたって、旅行業をもかねる
斡旋業者にすべてを委ねることで、連続性を確保しようとする。ビザの
申請から、職の
斡旋、来日後の住宅の手配まですべて業者に任せ、来日すると、
派遣業者に
引き継がれ、ここでも日本語を使わず、ほとんどあらゆる手続きが代行されるのである。当人は、ポルトガル語、スペイン語を使い、本国の文化に従いながらなんとか日本の職業生活の中に位置を得ることになる。日本の社会制度に関する知識も自らの努力で得ようとする者は多くない。当座はその必要がないと感じるからである。しかし、その
代償は小さくなく、日本社会の中でのかれらの
孤立は一部このことに由来している。
6.(宮島
喬『文化と不平等』)∵
7. 【1】新しい様式を創造するということは、美術における進歩の
中核的な意義である。
8. 美術における進歩は、科学の進歩などとは
趣を異にしている。科学は前の成果を
踏み台として、後のものがその先へ出るのであるが、美術においては優れた成果は必ずしも後のものの
踏み台とはならない。【2】それぞれの
傑作は、すべて
特殊な、ただ一回的なもので、そこから先へ行けない「絶頂」のような意味を持っている。たとえばギリシアの
彫刻とかルネッサンスの絵画とかのように、同じやり方ではどうしてもそこから先へ出られないものである。同じやり方をすれば必ずエピゴーネンになってしまう。【3】だから美術に進歩をもたらそうとすれば、先のものが見のこした新しい美を見いだし、それに新しい形づけをしなくてはならない。それが新しい様式の創造なのである。
9. そういう創造のことを考えるごとに、私はいつもミケランジェロの仕事を思い出す。【4】
彼の作品が実際私にそういう印象を
与えたのである。ギリシア
彫刻の美しさや、その作者たちのすぐれた
手腕を、
彼ほど深く理解した人はないであろうが、その理解は同時に、ギリシア人と同じ見方、同じやり方では、
到底先へは出られぬということの、痛切な理解であった。【5】だから
彼は意識してそれを
避け、他の見方、他のやり方をさがしたのである。すなわちギリシア的様式の否定のうちに活路を見いだしたのである。【6】「形」が内的本質であり、従って「内」が残りなく「外」に
顕れているというやり方に対して、内が
奥にかくれ、外はあくまでも内に対する他者であって、しかも内を表現しているというやり方、すなわちそれ自身において現われることのない「精神」の「外的表現」というやり方を取ったのである。【7】従って作られた形象の「表面」が持っている意味は、全然変わってくる。それは内なる深いものを包んでいる表面である。そういうやり方で
彼は絶頂に
到達した。
彼のあとから同じやり方を
踏襲するものは、「何かを包んでいる表面」だけを作りながら、中が空っぽであるという印象を
与える。【8】同じやり方で
彼の先に出ることはできないのである。ロダンが「何かを包んで∵いる表面」を思い切って捨て、面を形成しているあらゆる点が内から外に向いているような新しい表面を作り出したとき、初めて近代の
彫刻は一歩先へ出ることができた。
10. 【9】そう考えてくると、新しい様式の創造には古い様式の重圧が必要だということになる。古い様式による
傑作を十分に理解すればするほど、そこからの解放の要求、新しい道の探求が盛んになる。すなわちできあがった一つの様式のなかには、新しい様式を必然に生み出して行くような
潜勢力がこもっているのである。【0】だからこそ過去の
傑作の
鑑賞や、その
鑑賞を容易ならしめる美術館は、美術の進歩に重大な意義を担うことになる。それぞれの時代、それぞれの様式において、「絶頂」を意味するような
傑作が、美術館に並んでいて、いつでも見られる、という社会にあっては、言わばそういう
傑作の
権威が君臨しているのである。そういう世界で
幾分かでも独創的な仕事をするためには、右の
権威の重圧をはねかえして、新しい様式をつくり出さねばならぬ。美術館はそういう運動の原動力となっているといってよい。
11.(和
辻哲郎の文章に基づく)
長文 4.2週
1. 【1】その昔、サングラスを持つということは、ちょっとした
冒険であった。それをかけて街を歩くことは、もっとである。たとえばサングラスというのは、世間に対して少しばかりうしろめたいところのある人がかけるものであって、それだけにややロマンチックな
趣はあったものの、当然ながら周囲からそれらしい目で見られる。【2】つまりサングラスをかけて街を歩くためには、常にその種の視線を予定しなければならず、その中で平然としていられる心構えがなければならなかったのである。
2. もちろん、今はもうそんなことはない。【3】現在は、
普通の人々が
普通にサングラスをかけて街を歩いているし、そんなものをかけているからと言って
誰も、
振り返って見たりはしない。どことなく、後暗いところのある人、という印象も
薄れたかわりに、それに
伴うロマンチックな
趣も消えてしまった。ただ、どうなんだろうか。【4】そうかと言って現在サングラスをかけている人すべてが、光から目を保護するためにそうしているとは思えない。
3. 夜の人工光線の中でもサングラスをはずさない人がいて、
彼に言わせると「サングラスをとると、着ているものを
脱いで
裸にされたようで
恥ずかしい」のだそうである。【5】またひとりは、「私は人をじっと見る
癖があるので、人に
厭がられないようサングラスをしているのだ」と言う。どうやらサングラスの、「
隠れ蓑」としての役割はまだ残っていて、それが
一般に利用されているのであろう。【6】もしかしたら、周囲の人々の「
隠れているな」という関心を引かなくなった分、よりさり気なく
隠れることが出来るようになったのかもしれない。
4. 最近対人関係が
淡泊になったと、よく言われる。
憎むことにも、愛することにも、さほど情熱的でなくなったのである。【7】「君子の交りは
淡きこと水の
如し」という考え方からすれば、それぞれ君子の域に達したとも言えるのであるが、実際にはどうなのだろうか。私に言わせれば、それだけ人々がつつしみ深くなったというより、むしろ対人関係のそうしたわずらわしさに
疲れた、という感じがし∵てならない。【8】そして、そのこととサングラスが、無関係ではないように思えるのだ。
5. 私も何度かサングラスをかけて街を歩いてみたことがある。もちろん最初のうちは、自分で自分のサングラス姿が気になって落ち着かないのだが、
すれ違う人々が
誰も気にしてないのを知るにつれ、次第に
或るひそかな快さを味わえるようになるのである。【9】言うまでもなく、単なる自己満足には
違いないものの、何となく世間から一歩退いて、それらの害の
及んでこない安全地帯を、ひっそりと歩み去ることが出来るような気がする。
6.
極端なことを言えば、
塀にあいた節穴から、世間というものをのぞき見している心境かもしれない。【0】
恐らく、我々の内にある自閉的な
傾向がそれを快いと感じさせるのであろうが、だとすれば我々は現在、人に見られ、批評され、こちらからもそれを返すことによって形づくられていた対人関係のわずらわしさから、
一斉に
逃避し、自分自身の内側へこもりはじめたのである。しかもかつてなら、自らサングラスのかげに
隠れようとすると、「
隠れているな」という人々の関心を集め、それらを
罰として引き受けなければならなかったのだが、今はそれもない。
誰でも自由に、自分自身を消すことが出来るのである。
7. もちろん、サングラスをかけたからと言って、世間からその人間が見えなくなるわけではない。かけている本人が、世間から見えなくなっているような、
錯覚を得るだけである。しかし、世間から見てその人間が、生々しい実体であることを、
幾分なりとも
薄れさせることは、事実であろう。もしかしたら我々にとって他の人間は、サングラスなしで対面するには、余りに
刺激が強すぎるものになりつつあるのかもしれない。
8.(別役実『カナダのさけの笑い』所収)
長文 4.3週
1. 【1】現在『子供』の問題がたいへん
捉えにくく、なにかと不気味なのは、一つには、社会のなかで子供についての
或る一定の共通
了解事項が成り立たなくなったからである。【2】と同時に「『子供』の問題というのはふつうの問題のように対象化し
分析的に
捉えていったところであまり意味をなさないからであろう。いまやいろいろな領域で単なる専門家というものは役に立たないといわれ『専門
馬鹿』などということばさえ出てくるようになった。【3】けれどもこの問題は、一方で現在ますます専門的知識が必要になっているだけに、どう対処すべきかは簡単ではない。そしてこの場合、なによりも専門的知識の質あるいは在り様が問われることになる。
2. 【4】永い間、知識とは無知あるいはタブラ・ラサ(白紙)に付け加えられ、積み重ねられたものであり、したがって、より多く知ることがより真理に近づくことだと考えられていた。【5】ところが事実は必ずしもそうとばかりはならずに、ものを多く知ること、多くの知識をもつことによって、かえって私たちの一人一人は在るがままにものを見ることをできなくなるという事態が生ずるようになった。【6】知識が創造的なかたちで働かされなくなるようになったといってもよければ、知識がかえって
疎外的に働くようになったといってもいい。こういうことは昔からもなかったわけではない。それは半可通と呼ばれる人たちにはよく見られたことであるけれど、なんといっても現在ほどには問題は
尖鋭化、
一般化していなかった。【7】現在、こうした場合に必要なことはなにか。それは、専門家であることが、専門的な知識を多くもっていることだけにとどまらず、専門的な知識そのものの
弊害を見破り、それに
囚われないでいることでなければならないだろう。【8】
純粋なあるいは形式的な論理からみれば、そういう作業は折角つくったものをこわすので、なにもしていないに等しいようにみえるかも知れない。しかし、このようなダイナミックな運動をとおしてはじめて、私たちは現実に
触れうることになるのである。【9】これはどのような分野についても言いうることだが、とりわけ『子供』の問題に関しては強調されて然るべきだろう。それというのも、『子供』の問題は、
囚われない眼で在るがままに見なければならないのに、これほど出来合いの知識によって
蔽われている領域はほかにないと思われるからである。【0】そこでは多くの知識が
惰性系つまり『見えない制度』と化しやすいのだ。∵
3. そのことがもっとも
極端なかたちで出てくるのは、『子供』あるいは『教育』の専門家たちによるレッテル
貼り(レイベリング)の問題である。そして、専門的な知識が『見えない制度』として
拘束的に働くとき、その担い手(エージェント)になるのが職業的専門家である。
彼らは職業的専門家として一面ではもちろん有効な働きをするけれど、他面ではそのポスト(地位や職)を保守しその存在意味を示すために、逆にわざわざ仕事をつくり出すことになる。知識や仕事によって自己を不必要に
権威づけることになる。その際、もっとも問題なのが、子供たちに対して
貼る『非行』や『落ちこぼれ』等々というレッテルなのである。
4. 大村英昭氏(『非行の社会学』一九八〇年)も言っている。
鑑別所によって、子供たちは『非行少年』というレッテルが公式に
貼られ、中学や高校の学内試験によって『落ちこぼれ』は公認のものとなるのだが、そのようにひとたび
貼られたレッテルは、専門エージェントの
権威によってきわめて動かしがたく
剥がしがたくなるだろう。しかも専門エージェントは、自分のところに連れてこられた子供たちになんらかのレッテルを
貼らずにはおかないし、またそのための専門的知識に事欠くことはない。そしてしばしば非行少年を救い出すのは、むしろ専門エージェントの
権威をもたない人、
俗にいう『
裸の人間』なのである、と。この
裸の人間というのが、専門的知識によって
囚われることのない眼をもって相手に接しうる人のことを指すのは言うまでもない。
長文 4.4週
1.【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
2. すなわち、人間の社会的欲望には、他人を
模倣して他人と同一の存在であると認めてもらいたい
模倣への欲望と、他人との差異を際立たせて自己の独自性を認めてもらいたい差異化への欲望との二つの形態があるのである。いずれも、一体どのような他人によってどのように認めてもらうかという点では大いに異なるが、他人に認めてもらいたいという社会的な欲望である点では変りがない。しかも、それらは往々にして同一の個人の中に共存している。
3. 当然、このような社会的欲望の二つの形態のちがいに応じて、モノに対する人々の欲求の形態も異なってくる。
模倣への欲望は、人々に、他人が
既に所有しているモノを求めさせ、他人と同じように消費させるであろう。また、差異化への欲望は、人々に、他の多くの人が所有できないモノや他の多くの人が未だ所有していないモノを求めさせ、また他人と異なった仕方で消費させるであろう。実際、すべての人間社会は、それぞれ独自の方法で、この二つの形態の社会的欲望の存在、とくにそのうちの第二の形態である差異化への欲望に対処してきたはずである。たとえば、多くの共同体的社会においては、共同体の内部では差異化への欲望は
抑圧され、外部と
接触する機会である祭やポトラッチや戦争においてのみ一時的にそれを満たしていたであろう。また、階級社会においては、この差異化への欲望は支配者階級のみが全面的に満たしうるものであったろう。実は、社会的欲望の対処の仕方として今あげた二つの例は、それぞれ
大雑把に言って、商業資本的な
利潤の創出方法と産業資本的な
利潤の創出方法とに形式的に対応しているのである。そして、外部も階級差も失いつつある現代の資本主義においても、
利潤の創出方法と社会的欲望への対処の仕方にやはり形式的な対応関係が見出しうることは、今までの議論から当然察しがつくにちがいない。
4. 現代の資本主義においては、だれもが差異化への欲望をもち、それを満たしたがっている。一体どのようにすればよいのか。もちろん、差異性という価値をもっている商品を買えばよい。だが、そのためには単に他人と異なった商品を買っても意味がない。他人が買っていなくて、しかも他人が価値あると認める商品を見つけ出さなければならないのである。もちろん市場には商品の種類は無数にあり、犬も歩けば棒にあたる。「いや、広告を通じて、棒の方が犬に向ってあたってくる。」そこで、だれかがどこかでそのような商品に行き当たり、差異化への欲望を満足したとしょう。これは、
購買∵における一種の革新である。しかし、その
購買における革新の効果も決して永続するものではない。なぜならば、ある人がある商品を所有することによって差異化への社会的な欲望を満足しているということは、同時に、まだその商品を買っていない他の人々がそれに価値を認めたことでもあるからだ。それは当然これらの人々の心の中に
模倣への社会的欲望をひきおこすであろう。それゆえ、
購買力が許すならば、かれらもその商品を買い始めるにちがいない。その結果、その商品の社会的な価値はますます高まり、さらに多くの人の中に
模倣への欲望をひきおこし、
模倣の群によって商品のブームが生れる。だが、このようなブームの中で、次第に差異性としての商品の価値は失われ、差異性への人々の欲望は再び不満足の状態に引きもどされる。それゆえ、また人々は差異性という価値をもつ新たな商品を探し求めていくことになる。そのような商品が再び見出されると、
模倣によるブームがおこり、このブームの中でその商品も差異性という価値を失っていく。そしてまた……。
5. ここでも、差異性の発見と
模倣による差異性の
喪失という、シシフォスの神話に似た反復の過程が支配しているのである。それは結局、他人に認められたいという人間にとっては絶対的である社会的欲望が、モノのもつ差異性という相対的な価値を
媒介としてしか満たされないという、人間の欲望のはらむ根源的なパラドクスの産物であり、その部分的で一時的でしかありえない解決の終わることなき反復なのである。
6.(
岩井克人『
ヴェニスの商人の資本論』による)∵
7. 【1】近代日本の悲劇は、自分を育て、自分が発展させた文化と、まるでちがった歴史と伝統をもつヨーロッパ文化に支えられた文明を、
是が非でもとりいれなければならぬ羽目におちこんだというところに、大きな原因があるのは、多くの人の説く通りである。【2】私たちは、紀元六世紀にかつて日本が
圧倒的に優勢なアジア大陸の文化に接し、それを
模倣することになった時、どんな大きな
眩惑を覚えたか、今となってはこれを
如実に心に
浮かべることができない。【3】混乱は大きかったに
相違ないし、また、そこには、
彼らのかつて感じたことのない深く大きな
歓喜と
恐れの入りまじっていた未聞の
眩惑があったろう。
8. ところで、日本が今も昔も先進国を
模倣したといっても、十九世紀日本がヨーロッパ文化に接した場合と、この六世紀の経験とでは、そこにいくつかの
違いがある。【4】第一に、私たちの祖先が十三世紀以上前に、大陸文化に接した時は、
彼らはほとんど文化らしい文化を何ももっていなかった。日本には、文字がなかったし、鉄器もなく、第一、こちら側には国家の機構もまだ整わず、
官僚も組織されてなかった。【5】日本人は、
徹底的に無条件に、大陸文化をとり入れざるをえなかった。そうして、その
影響は、『古事記』のかかれた八世紀から計算しても、十九世紀まで、十世紀以上におよんだ。
9. ところが十九世紀になって、ヨーロッパ文化が、日本に
渡来した時には、日本はもうまったくの非文明国ではなかった。【6】そこには、たとえ荷風のいう本店と支店の関係はあったにしたところで、とにかく、それになりの宗教、
哲学、政治、芸術の独自の体系ができあがっていた。だから、西洋文化の
影響は、当然、昔の場合より、大きな
抵抗にぶつかったわけだし、自分の独立を救うために黒船の前に
降伏を決意した日本側の態度は、ある種の条件つきだった。【7】これは、たとえ、国民の一部が昔と同じ無条件
降伏をすすんで希望したとしても、なお、
不可避的に、そうならざるをえなかった。そのうえ、この西洋の
影響は時間的にみても、まだ一世紀に∵もたりない。【8】いまから半世紀以前に、荷風がどんなに
苛立ったにせよ、日本人の多くが、根本的に
彼とちがう目で、西洋を見、日本を保存していたことは、やむをえないことでもあったわけだ。
10.(中略)
11.
模倣が生産的でありうるということを、私が今ここで
詳しくのべる必要もないであろう。【9】たとえば漢字の採用一つとってみても、それが日本人の思考の仕方にどんな複雑な得失をあたえたかは、現代の日本人を考える場合にも、たいせつな問題を
含んでいる。【0】かりに七世紀の日本人が漢字を採用しなかったら――というのは、すでに、
愚かしい設問であるけれども――、日本はより独自の文化を生みだしていたろうという結論を出すことは、不可能ではないだろう。二十世紀日本のある人たちは、漢字漢文を採用している限り、日本人は正確にものを考えることができないと、主張しているようにみえる。しかし、その場合の「正確な考え方」という観点が、すでに西洋の
影響であって、けっして日本人の自発的なものでないことは別にしても――そうでなければ、日本人はシナ文化
渡来前は正確な考え方をしていたことになるはずだが、そんなことは
滑稽である――、現代の日本人のなかには、すでに、そういう「正確な考え方」をしている人びとがいる。その人たちは、すべて、西洋の考え方を消化し身につけているから、漢字と漢文を本店とする国文・日本文をもって、正確に考える力をもつようになったのだ。しかし、
彼はその能力を身につけるまでには、漢字の
模倣にはじまった日本語の働きが不可欠だった。簡単にいってしまえば、今の日本語の状態にしても、考えるべきことは考えられるのだ。ただ、それには、現在では「西洋」の消化を絶対に必要とする。「わが日本は今も昔も、先進国の
模倣による」必要がある所以だ。
12.(
吉田秀和『荷風を読んで』より、一部改変。)
長文 5.1週
1.【一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。】
2. 【1】文化の発展には民族というものが
基礎とならねばならぬ。民族的統一を形成するものは
風俗慣習等
種々なる生活様式を挙げることができるであろうが、言語というものがその最大な要素でなければならない。【2】故に
優秀な民族は
優秀な言語を有つ。ギリシャ語は
哲学に適し、ラティン語は法律に適するといわれる。日本語は何に適するか。私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句という
如きものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。【3】それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を
掴むにあるのである。【4】しかし我々は単に俳句の
如きものの美を
誇りとするに安んずることなく、我々の物の見方考え方を深めて、我々の心の底から
雄大な文学や深遠な
哲学を生み出すよう努力せなければならない。【5】我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織して行くと共に、我々の国語をして自ら世界歴史において他に類のない人生観、世界観を表現する特色ある言語たらしめねばならない。本当に物事を考えて真に
或物を
掴めば、自ら他によって表現することのできない
言表が出て来るものである。
3. 【6】日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少ないであろう。久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。【7】それは一面に純なる生きた日本語の発展を
妨げたともいい得るであろう。しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。私は復古
癖の人のように、
徒らに言語の
純粋性を主張して、強いて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。【8】無論、古語というものは我々の言語の源であり、我が民族の成立と共に、我が国語の言語的精神もそこに形成せられたものとして、何処までも深く研究すべきはいうまでもない。しかし言語というものは生きたものということを忘れてはならない。∵【9】『源氏』などの中にも、
如何に多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また
蕪村が俳句の中に漢語を取り入れた
如く、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化
如何にあるのである。【0】
4. 「国語の自在性」(西田
幾多郎)∵
5. 【1】固有名詞が、その固有の意味においてはっきりと姿をあらわすのは、かれ/
彼女が、父と母だけでなく(父も母も、そのこどもにとっては一つしかないものだから、太陽や月が固有名詞であるかどうかという、文法学者の古典的な議論と同様に、
純粋に
普通名詞でもなければ固有名詞でもない)、【2】きょうだいや遊び仲間をもち、あるいは保育園や学校のようなところに通って社会生活をはじめたときである。かれ/
彼女は、自分だけでなく、他者も、それぞれが名をもつことを知る。逆説的なようだが、固有名詞があるというそのことが、言葉が本来的に社会的なものであるということの
証拠になるのである。
6. 【3】現代社会では、人やものが固有名詞で呼ばれるものであり、また呼ばれなければならないということは、経験を通じて
徐々に学ばれるのではなく、たとえばこどもに入学した学校の名をおぼえさせることによって一挙に教えこまれるのである。【4】この過程を通じて、こどもは、自分は一つの制度の中にくり入れられ、ある組織に所属するのだという意識を植えつけられるから、固有名詞はこどもを社会化するための基本的な道具となり、人間は死ぬまで固有名詞の支配下に置かれるのである。【5】言語(ここに言う言語とは、人間はことばを話す動物であるというばあいの
一般的な言語と、人間は何々語という、特定の言語しか話すものではないという意味での言語との二重の意味においてである)が人間に
与えられた宿命であるとするならば、固有名詞は、宿命としての言語の本質的部分を体現していることになる。
7. 【6】まことに固有名詞こそは、人類が決して一つではなく、さまざまな名前――固有名詞をもって分かれ、それぞれが自分あるいは自分たちに対立するものであるということを思い知らせ、
相互のちがいをいやが上にもきわ立たせ、それを固定させる道具である。【7】名前、固有名詞こそは、ことばの中でも
抜きん出た地位を
占めていて、これこそことばの中のことば、名詞の中の名詞だと言ってもいいくらいである。人間は生きている間のほとんどの時間を、名前とともに生き、苦しみ、争ってきたと言えるのである。【8】そのために、どれだけ多くの人が、名前から
逃れたいと思っただろうか。――自分自身とその家族の名前から、国家や民族の名前、出身地の名前等々から。
8. ところが、ことばの科学――たとえば言語学は、名前については∵本気で科学しなかった。はじめから、それは科学できないものとしてとり除いてしまったのである。
9. 【9】とり除いた理由の一つは、方法論がそうするよう求めたからである。そのことと深いつながりがあるのだが、名前――固有名詞の問題を、ひたすら
普通名詞、
一般名詞といかにちがうかを考えるにとどまり、社会のコンテキストに置いて考えることをしなかったためである。【0】ことばや記号は認識論上の問題に限定され、はじめから、社会から切りはなされていたのである。
10. また代々の文法家や論理学者たちは、固有名詞の本来の機能は、それが何かあるものを一つしかないものとして
孤立させて指し示すところにあると言いつづけてきた。
純粋の固有性というものをそのようなものとして考えてきたからである。
11.(中略)
12. このように考えてみると、まさに、名前に、アイデンティティというものの二重性がある――自分は自分であって、それ以外のものではあり得ないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している(どこにも所属しないことが、すでに所属である。人はこの独得の所属のしかたにもまた名をつけるであろうから)あるいは所属せざるを得ないというこの原理は、名づけ、すなわち、ことばの原理そのものから発しているように思われる。
13. 人間の名前がその所属を示すように(もう一度強調しておけば、その名前は、ある特定の言語に属すからだ。このことは忘れないでおこう)、山も河も海も、名づけられると同時に、その領有への主張が背後に
すべり込む。こうして固有名詞は、たちまち
緊張した政治の磁場を作り出すのである。
14.(田中
克彦「名前と人間」による)
長文 5.2週
1. 【1】
魏志
倭人伝によると、当時、海をわたって中国と交通する際に、必ず持
衰と
称する男を一人
伴っていたという。この男は、航海中決して頭を
梳らず、のみ、しらみを取らず、衣服を洗わず、肉を食わず、婦人に近づかず、
服喪中のひとのようであった。【2】無事に航海が終わって港に着けば数々の財物を
与えられたが、暴風に会ったりして難破すると直ちに殺されてしまった。こういう役割の男を持
衰といったのである。記録に残されているところは以上の通りである。【3】持
衰とよばれるこの男はどうやら一種のシャーマンであって、航海の安全を
祈ったものであろう。シャーマンというものは、成功してはじめて評価されるもので、失敗すればたちどころに殺されてしまう。殺されることが
呪力の持続の保証でもあったわけである。
2. 【4】ところで、いかに
呪力を持ったシャーマンとはいえ、航海中に一定の
禁忌を守りさえすれば、船が目的地に安着するというのはどういうことなのであろうか。それは時の持続、出発地の時間が目的地まで持続すること、そういう流れない時のシンボルなのではなかったろうか。【5】】あるいは、そういう時の演劇的表現が持
衰だったといってもよい。そして、そういった場合には、演劇的表現を生む以前のある時期には、流れない時のリアリティーがすべての人々に実感されていたに
違いないのである。
3. 【6】流れない時、時間をこえた時、そういう時はたしかにあった。創造というのは、そういう時に
出逢うことである。
竜宮城の
浦島太郎はこういう時を日常の時として不老不死であったが、故郷に帰って玉手箱を開けたとたんに、一挙に時間が流れ去ったのであった。【7】山川の流れにも、
淀むときがあり、
早瀬となって走るときがある。表層の水は白く
泡立って流れていても、深層の水は静かにたたえている。そういうことがある。時間も同じことである。
4. 時について考えるには、時をまずその原初の意味においてとらえ直す必要がある。【8】そうすると、時は『もの』である。手でつかまえることのできる『もの』、眼で見、耳で聞くことのできる『もの』である。時はタンジブルなものである。桜の花の
咲く時、梅の実の黄ばむ時である。そういう時に
逢う時、それが時である。古池∵や
蛙とびこむバシャッという音、それが時である。【9】『もの』を
離れて時はない。
5. かつて北部ラオスの村で調査していたときのことである。毎日、村の家々を訪ねて家族のあり方を聞いてまわっていた。ラオ語がよくできなかったから、簡単な質問ですむ調査を手始めにえらんだのである。【0】「あなたは今年、何
歳ですか」「あなたの
奥さんはどの村で生まれましたか」「長男の名前は……、
年齢は……」といった質問を
繰り返していた。
6. ところが、村びとは子供の
年齢をよく知らない。「一番下の子は何という名前でしたか」「サオ・ボーアです」「サオ・ボーアは何
歳ですか」「サアー、お前、サオ・ボーアは
幾つだったかナー」と
傍らの
奥さんに聞く始末である。しかし、それでもわからない。そうすると遊んでいた子供を呼びもどす。「先生、サオ・ボーアはこの子ですよ。何
歳だと思いますか」
7. 私はびっくりしてしまう。何
歳と思うかと私に聞かれてもどうしようもない。親が
娘の
年齢を知らないのだから、私が知るはずはないではないか。そう思った。文化の低いところは困ったものだ。そう思ったこともある。しかし、その後、考え直してみると、問われている本人を呼びにやって質問者の眼の前に連れてきたのである。本人が私の前に立っているのである。これほど確かなことがあろうか。(中略)
8. 時は、あるいは時間は、われわれの人生がその上に展開する座標ではない。最近、宇宙船地球号というイメージが
普及している。そういうイメージからすると、この地球に住む約三十八億の人間がそれぞれ
腕に
腕時計をはめて宇宙空間をただよっているような気分になるが、実はそんなことはない。日本の時間とボルネオの時間とは
違うし、現代の時間と古代の時間はちがう。私の時とあなたの時はちがう。時間は決して一つになってはいない。
長文 5.3週
1. 【1】ロボットは人間かと問うのは、ロボットにも心とか意識といったものがあるかと問うことである。うまそうに食事をしているロボットは、本当に空腹を感じ、食欲をもち、そして味わっているのだろうか、あるいは単にすべてただ「
振りをしている」だけなのだろうか。【2】歯医者の
椅子の上でうめき声をあげているロボットは本当に痛がっているのだろうか。ただ痛そうな
振りをしているだけではないのか。
2. だがこの問いに答える方法があるだろうか。ロボットに「本当に痛いのか」と
尋ねればもちろんのこと、「間
抜けたことを言うな、痛いったら痛いんだ」と答えるだろう【3】(そしてその夜、日記に、差別
待遇をうけて心が痛んだ、と記すかもしれない)。
嘘発見器につないでも人間の場合とは
違う反応であろうがともかく
嘘をついているときのロボットとは
違う正常な反応を示すだろう。【4】切開をすれば人間の神経
繊維と比べれば不細工な金属線があり、それにパルス電流が流れているのが検出されよう。そして、学のあるロボットならば、それがロボットの痛覚神経なのだと言うだろう。結局のところ決め手はないのである。【5】それは現在の科学や技術の段階では決め手はない、というのではなく
未来永劫ないのである。痛いとかうまいということは
細胞の興奮とか神経伝導などとは全く別種のことだからである。だからそれを生理学的なあるいは工学的な検査法で検出しようというのが土台そもそも的外れなのである。(中略)
3. 【6】私の知っている痛みはただ私自身が感じるものとしてのものである。それを他人に移植する、つまり他人がそれを感じると想像することは実は不可能なのではないか。実数の間の大小を複素数の間に移植したり、
将棋の王手や成り
駒を
碁に移植することが不可能なように。【7】私は他人が私の経験に似た経験をしていると想像しているつもりでも実は想像しているのはその他人になり変わった私自身なのではあるまいか。そして想像の中であっても私は終始私であって
彼ではない。私に想像可能なのは、
彼の立場にある私の痛みであって
彼の痛みではない。(中略)
4. 【8】人が激痛でうずくまり
冷や汗を流している。だが正直なところ私自身は少しも痛くない。痛くもかゆくもない。だが私は心痛す∵る。しかし私は
彼が痛い、ということを想像していはしない。その想像は不可能だからである。【9】私が想像しているのは
彼になり変わった私の痛みである。しかしだといって私はこの想像上の私の痛みに心痛しているのではない(想像された痛みは少しも痛くない)。そうではなく私の心痛の対象はまさに
彼なのである。【0】
5. この一見まことに
奇妙な
状況、この
状況をわれわれの言葉では「
彼が痛がっている」と言うのである。この
状況の中で、
彼になり変わった想像上の私が、
彼を
眺めている私と苦しそうな
彼との間を飛びかっている。そして陽子と中性子の間を飛びかう中間子がその陽子と中性子とを固く結びつけるように、この飛びかう想像上の私が現実の私と
彼とを「人間仲間」として結びつけているのである。だからこの飛びかいが失われたならば私にとって
彼は「人」でなくなる。そして私の方は
離人症と言われるだろう。
6. 幸い今のところ私は
離人症ではない。それは私が生まれてこのかた長年人中で暮らしてきたおかげで身についた態度なのである(
狼少年ならばこの態度を持たないだろう)。そしてもし私が長年ロボットと人間らしい付き合いを続けたならば、ロボットに対しても
恐らくこの態度をとるだろう。そのとき私にとってそのロボットは「人」なのであり、心も意識もある「人間」なのである。
7. これはアニミズムと呼ばれていいし、むしろそう呼ばれるべきであろう。木石であろうと人間であろうとロボットであろうとそれら自体としては心あるものでも心なきものでもない。私がそれらといかに交わりいかに暮らすかによってそれらは心あるものにも心なきものにもなるのである。それに応じて私もまた「人間」になるのである。
8.(大
森荘蔵『流れとよどみ』による)
長文 5.4週
1.【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
2. さらに、人格を形成していくための重要な場所として、かつては技術の修得が今日よりもはるかに重い手応えを持っていました。現在も技術の修得が人間を作っていることは事実ですが、しかし、これもまた、残念ながらその重さの点で戦線を縮小しつつあるといわなければなりません。たとえば、昔は大工さんになるためには一生の努力を必要とするといわれたもので、私のうちへ時たま来てくれる大工さんは三十年のベテランですが、そういう人が、「大工というものは一生修行ですよ」と今でもいっています。しかし、その後で
彼は頭をかいて、「今どきこんなこといっていると、時代からとり残されますがね」とつけたすのです。
3. というのは、現代では技術そのものが現実体験ではなくて、情報化された一種の知識の組み合わせになっていて、その分だけたいへん修得しやすいかたちに変わっているからです。早い話が、板というもの一枚を取り上げても、昔の板は人間が
鉋を
握って、その
鉋を動かす自分の
腕を通して体験する本当のものでありました。しかし、現在の板はほとんどが合成
樹脂で、
鉋や手は必要ではなく、いわば、人間の目さえあればそれで用のすむ存在になりつつあります。一枚の板がものであることをやめて、しだいに板のイメージ、すなわち一種の情報になりつつあるわけです。
4. そうなると、それを
扱う個人の技術はいちじるしく単純化されて、肉体に
触れる体験の領域が小さくなって来ます。今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい
免許証をもらえば、技術はそれで完全に習得されたことになっています。料理人や
理髪師、自動車の運転手に学校教師、すべて
免許証をもらえば、
彼にとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が拡がっています。現に、それさえ持っていればまず最低限度の生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに
伸ばして、
彼独特の技術にする楽しみもなくなりました。
5.(中略)
6. 職業のことをドイツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です。日本語にも「天職」ということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職業∵には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中で意識的な知識以上のものを
獲得する、という事実ではなかったでしょうか。ものに
触れる体験というものは、たんなる知識の学習とは
違って、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。
鉋で板を
削って十年、二十年を過ごすということは、
彼の肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」などという、いわくいい難い精神の部分を養うこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意識なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に
交換不可能な要素だというべきでしょう。
7. これに対して、現代の現実が情報化していくということは、いいかえれば、現実のすべてが知識化していくことであり、その内部の意識を
越えた部分が
消滅しつつある、ということだといえるでしょう。そして、それにつれて、現実とかかわる人間もまた情報化され、肉体も気質も持たない観念的な存在に変質しつつあるわけです。ひとつの中心を持ち、有機的な統一を持った「私」としての人間が解体し、
巨大で、しかし全体像の見えない、
奇妙な機械の部分品になりつつあるのが現代だと見るべきでしょう。
8.(
山崎正和『
混沌からの表現』による)∵
9. 【1】
芭蕉はこう言っている――連句の席にのぞんだときには、文机を前にして
間髪を入れず句を作るのであって、迷っては
駄目である。作りおわって文机から句を引きおろせば、すでにそれは反故でしかない。【2】――もちろんこれは、その
一瞬に持てる力量のすべてを燃やしきらねばならないという意味であり、
誰にも
首肯できる作者の
覚悟だが、しかしそれとは別に、そこで成った句は、いかに名作であっても「文台引おろせば
即反故
也」なのだろうか。【3】おそらくこの言葉も、名作は記録されて後にのこるということと別に
矛盾する言説ではあるまい。作品が録されて後世に伝わる、すなわち
俳諧の歴史と、
俳諧の場はその成立の
一瞬の中にあるというのとは、別次元の出来事であり、ここで
芭蕉が言いたかったのは歴史ではなく、「場」というものが
俳諧には
不可避であるという一事にほかならなかった。【4】そう思うと「文台引おろせば
即反故
也」は、
芭蕉の時間感覚の中に、「場」を
含む形で時間が流れつづけていたことの証言と受け取れよう。
10. 「場」といっても、空間的拡がりの形態をとった「場」を
思い描いてみることはたやすい。【5】空間的な延長線が、特定の原理基準に基づいて限定され、
塞き止められて
囲壁や
枠ができれば、すぐに「場」が成立する。「場」は限定、
区劃されているが、固定してはいずに絶えず
更新され、変形してゆくものでもある。【6】「場」は
地盤ではない。そこからすれば、「場」は時間的な「場」でもあるだろう。
芭蕉の『おくのほそ道』の旅も、絶えず
入れ替り改まる「場」を方々と求めたさすらいの歩みであったが、これについては後で考えてゆくことにしたい。【7】その旅先で土地の俳人にもてなされ、人々寄り集って一巻の
歌仙を巻いた情景ともなれば、明らかに連衆によって形づくられた「場」が見えてくるし、従前からこの「場」は「座」として語られてきた。
11.(中略)
12. 【8】一年三百六十五日、この物理的な年の長さにおいて、祝祭の時間の
占める割合はごく
僅か、短いのが通例であろう。長々といつま∵でも祭が続き、終ったとも終っていないとも取れる
曖昧さが生じたりすれば祭は
堕落、変質する。【9】祭の特色は時間的に限定され、
純粋であることであり、短い時間のあいだしか持続しないことである。たとえ数日に
亙って祭が
催されても、過ぎたあとで思い返してみれば、短かった、あっという間に過ぎ去ったという
一抹の思いが残るのが祭なのだ。【0】「
褻」に対して「晴」の時間が、「
俗」に対して「聖」の時間が負ったのは、内的な
魔性の
霊力とその時間的な短さである。
一瞬の燃焼のうちにすべてが成るか然らざれば無という極点的な思想までも
含めて、そこには短いもの、小なるものへと向かって
凝縮してゆく力がはたらいている。
松尾芭蕉は
俳諧と名付けられる詩のわざに時間的な「場」を設定したが、そのことを通じて――時間の構造を通じて――小なるものに
封じ込められた重さを感じとっていた。それが
彼の詩人的な存在理法についての認識であったという風に私は解したい。
13.(高橋英夫『ミクロコスモス――
松尾芭蕉に向って』より)
長文 6.1週
1.【一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。】
2. 【1】経済学の父アダム・スミスはこう述べています。「通常、個人は自分の安全と利得だけを意図している。だが、
彼は見えざる手に導かれて、自分の意図しなかった公共の目的を
促進することになる」。【2】ここでスミスが「見えざる手」と呼んだのは、資本主義を律する市場機構のことです。資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだと言っているのです。
3. 【3】経済学者の「
悪魔」ぶりがもっとも
顕著に発揮されるのは、
環境問題に関してでしょう。多くの人にとって、資本主義が前提とする私的所有制こそ諸悪の根源です。
環境破壊とは、私的所有制の下での個人や
企業の自己利益の追求によって引き起こされると思っているはずです。
4. 【4】だが、経済学者はそのような常識を逆なでします。私的所有制とは、まさに
環境問題を解決するために導入された制度だと言うのです。
5. 【5】『かつて人類は
誰のものでもない草原で自由に
家畜を放牧していました。
家畜を一頭増やせば、それだけ多く肉や皮やミルクがとれます。草原は
誰のものでもないので、
家畜が食べる牧草はタダです。【6】確かに一頭増えれば他の
家畜が食べる牧草が減り、その発育に
影響しますが、自由に放牧されている
家畜の中で自分の
家畜が
占める割合は
微々たるものです。それゆえ、人々は草原に牧草がある限り、自分の
家畜を増やしていくことになります。【7】その結果、牧草は次第に
枯渇し、いつの日か無数の
痩せこけた
家畜がわずかに残された牧草を求めて争い合う事態が
到来することになると言うのです。』
6. 【8】これこそ「元祖」
環境問題です。そして経済学者は、それは、自然のままの草原が
誰の所有でもない共有地であるがゆえの悲劇であると主張します。【9】
環境問題とは「共有地の悲劇」だと言うのです。
7. 『事実もし草原が分割され、その一画を牧場として所有するようになると、その中の
家畜はすべて「自分の」
家畜となります。【0】∵その時さらに一頭飼うかどうかは、その一頭が新たに牧草を食べることによって、牧場内の他の
家畜の発育がどれだけ
影響を受けるかを
勘案して決めるようになるはずです。もはや牧草はタダではありません。他人に牧場を貸したり売ったりする時でも、その中の牧草の価値に応じた賃料や価格を
請求するようになるはずです。牧草は合理的に管理され、共有地の悲劇から救われることになります。私的所有制の下での自己利益の追求こそが
環境破壊を防止することになると言うわけです。」
8. 「
悪魔」の一員だけあって、経済学者の論理は
完璧です(私自身この論理を三十年間教えてきました)。実際、一九九七年の地球温暖化防止に関する京都議定書は、この論理を取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの
排出枠を権利として割り当て、その過不足を売買することを条件付きで許したのです。
9. ここでは温暖化ガスが
汚染する大気は
家畜が食べ
荒らす牧草に対応し、各国が売買しうる
排出枠は
牧畜家が所有する牧場に対応しています。すなわち、それは大気という自然
環境に一種の所有権を設定することによって、それが共有地である限り進行していく温暖化という悲劇を解決しようとしているのです。
10. では、これで
環境問題はすべてめでたく解決するのでしょうか?
11. 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、経済学者の論理が作動しえない共有地を
抱えているのです。
12. それは「未来世代」の
環境です。
13.(
岩井克人「未来世代への責任
――経済学の「論理」と
環境問題の「
倫理」
――」による)∵
14. 【1】能を見るとわかるが、能役者の足の動きは独特である。スーッと一歩足が出る時は足の指が全て内側へまがっている。しかも出きるまでは
舞台の板にぴったりとはりついている。ところが足が出きったところでスーッとつま先が板をはなれて、かかとを板につけたまま足が空中にうく。【2】そのときは足の指が全部真直ぐになる。そしてそうなった足がポンと
舞台の板へおちるのである。
15. この足のはこびができない。いくら
稽古してもできない。ところがほかのことにはやかましい
師匠がこのことだけはなにも注意しないのである。【3】後で考えるとこの足の動きは体全体の構えができると自然にできるらしいので、体全体の構えもできないうちに足だけできるわけがないから注意しなかったらしいのだが、私はそんなことはわからないから、なんとか覚えたいと思った。【4】私がそう思ったのは、
師匠の足が実にきれいだからであったし、たまたま見につれて行かれた
師匠の
師匠であった梅若実の
舞台の足がたとえようもなく美しいものだったからである。私は足の動きに
魂をうばわれたといってもいい。あの足、あの動き、あれができたらなアといつも思った。(中略)
16. 【5】日常現実の生活では、人間は絶対にあんな足の動きはしない。あの足の動きは不自然でグロテスクで
普通の人間の足というものの働きを
封じこめ、
拒否している。この
拒否の地点に実は、どんな役にも変化する
変換の構造が
仕掛けられている。【6】あの何者にもなりうる白紙の可能性とは、逆にいえば何者にもならないということをふくんでいるのであり、その前提にはきびしい自己否定がある。その前提があり、前提があるゆえに
変換の構造が成立している。【7】そして
変換の構造があるからこそ、能役者は観客の目の前で女から急に男になったり、化けものだと思うとたちまち人間になったりできるのである。
17. そしてこの構造に対置しているもう一つの関係は、型とその型の美しさである。【8】大体私はこんな
理屈を考えながら
師匠や梅若実の足を見ていたのではない。私が夢中になって足を見ていたのは、ひたすら足の動きが美しかったからである。そこには人の心を
奪う異様な力がある。そしてその力を追求していくとそこに型というものがうかび上がる。【9】私にとってはこの道筋は変えようがないものだ∵ったが実をいうと逆かも知れない。型をくりかえしているうちにあの力が生まれる。あの力が型を生むのではなくて、型が力を生む。実際にはそういうことだろう。型へ体をはめこむことによって型をこえる力に
到達する。【0】しかしどっちにしても型がなければ、力はうまれようがない。型こそが全てを可能にするのであり、自然の、あるいは現実の体というものを能役者が
拒否できる
根拠は、この型というものなのである。
18. これが日本人の少なくとも能役者の考え出した身体に対する思想である。この思想のもとには、人間の自然、身体というものへの否定がある。身体の生理というものが
穢れたものだという考えがそこにあるのだろう。そういうことを考えると私はいつも明治の批評家の言葉を思い出す。日本人の日常生活にようやく洋服が
浸透してきた時に、この批評家は洋服は体の線があらわになるから浅ましいといったのである。今ならばなぜ人間の体の線が浅ましいかということになるだろう。しかし、それが日本人のながい間の考え方であった。そうだったからこそ日本人の衣服というものは、体の線をかくすようにかくすようにと発達もしてきたし、そこに独特の美学をもちつづけてきた。(中略)
19. この身体の思想は
西欧近代のたとえばデカルトの示した精神と肉体の二元論とは、全く対照的なものである。精神と肉体が全く別の次元にあるのではなく、現実の肉体をこえてあらわれたもう一つの身体というものが、実は精神的なものだったからである。その体ははじめから日常自然の体を
拒否し、その体をこえることによって身体というものに対する意識をかえる。精神と肉体を
止揚するというような弁証法的なものですらない。その身体自体がすでに精神的なものであり、だから精神とのコミュニケーションというようなことが可能なのである。
20.(
渡辺保『
舞台という神話』による)
長文 6.2週
1. 【1】コンピュータにかぎらず、複雑なハイテク機器を自由に使いこなすということは容易なことではない。しかしだからといって、そういう機器を使いこなせる人は、「機械につよい人」だけだとして、「ふつうの人」や「機械によわい人」は「使えなくて当たりまえ」と考えたり、【2】「使えないのは本人が不器用だからだ」とか「頭が悪いからだ」としてあきらめていたのでは、世の中はちっともよくならないだろう。いつまでも、わけのわからない、使い勝手の悪い製品が市場にあふれ、ごく一部の人たちだけが技術の成果を
享受しているにとどまってしまう。
2. 【3】ここはやはり発想を変えて、「使いにくい、わかりにくいのは機械が悪い」と、堂々と言える文化を創り出す必要がある。(中略)
3. 本来は、ほんとうのシロウトこそが「王様」なのだ。そういうフツウの人が「使いにくい機械」は、まさに「機械がわるい」のであり、そういう機械を平気で世に出すメーカーが悪いのだ。【4】しかも、宣伝では「
誰でもすぐ使える」だの、「何にも知らんけど、やってみよう」などと言い、コンピュータとはおよそ
縁のなさそうな芸能タレントが得意げにコンピュータを操作しているテレビコマーシャルを流しているが、【5】いざ買ってみたものの、どうしていいかわからず、
途方にくれる消費者が続出しているという事態は、放っておいていいことではない。
4. 今日のコンピュータを中心としたテクノロジーの横暴さを人間の立場から批判し、方向付けを示すということは、実はユーザー(つまり
一般市民)の責任なのである。【6】「テクノロジーは本来人間のためであり、使いやすく、わかりやすいものであるべきだ」ということ、「
間違えたり、
勘違いしたりすることは、機械のほうを改善すべきことなのだ」ということを、きちんと自覚して、メーカーにうったえ、子どもたちにもはっきり教えておくべきである。
5. 【7】このためになによりもまずテクノロジーの産物としての道具は、すべて人間にとって使いやすく、親しみやすく、身体に「
馴染みやすい」ものであるべきだという考えをはっきり表明し、しっかりほりさげておくべきであろう。【8】このような考え方は、
一般的にはユーザー中心主義とよばれている。
6. さて、ここで手始めに、ユーザーの側から道具に対する注文をつけてみよう。∵
7. 道具というのは、ユーザーの勝手な注文としては、少なくとも次の三つの条件を満たしてほしい。
8.【9】(1)道具は人間の代用物ではないし、人間に「かくあるべし」とか「こうすべきだ」という価値判断の基準を示すものであってはならない。(
規範性)
9.(2)道具は人が何かの作業(当然それは道具の「外」の世界の仕事)を達成しようとしたとき、その達成を
支援する手段として有効に機能してくれるものでなければならない。(手段性)【0】
10.(3)道具はしばらく使っているうちに「使っている」という意識がなくなり、それを使って実行している作業そのものに集中できるものでなければならない。(
透明性)
11. コンピュータが道具だと主張することは、当然これらの条件、すなわち
規範性、手段性、そして
透明性の条件を満たすべきだということである。
12. このような道具観は、青山学院大学の
鈴木宏昭氏によると、「
奴隷としての」道具観だという。要するに「主人に命令するな、でしゃばるな、やるべきことは気づかないところでだまってやれ」と注文しているようなものだという。
鈴木氏によると、人びとのこういう道具観は、ちょっと複雑な道具になると、「こんなもの使えん」といって投げ出したり、そうかと思うと逆に、「手なずける」ためには、講習会かなにかで「
徹底訓練」を受けるしかないと
思い込むことになるのだという。
13. これは、たしかにもっともな主張であるが、ともかく、コンピュータをなんだかすごい「知能」をもった機械だとか、おそるおそる「ごきげんをうかがう」べきご主人さまというようなイメージが根強いときには、「ほんとうは、しょせん道具なんですよ。あなた自身が主人なんですよ」という発想をしてみることから、コンピュータのあり方を考えてみるのは十分意味があるだろう。
長文 6.3週
1. 【1】
井戸端園の
若旦那が、ある日、私に話してくれました。
2. 「
施肥が
充分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど
咲きません。」
3. 花は、言うまでもなく植物の
繁殖器官、次の世代へ生命を
受け継がせるための種子をつくる器官です。【2】その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を
幻覚できるほどの、エネルギーの
充足状態が内部に生じるからでしょうか。
4. 死を
超えることのできない生命が、
超えようとするいとなみ――それが
繁殖ですが、そのいとなみを忘れさせるほどの生の
充溢を、肥料が植物の内部に注ぎこむことは
驚きです。【3】幸福か不幸かは、別として。
5.
施肥を打ち切って放置すると、茶の木は再び花を
咲かせるそうです。多分、永遠を夢見させてはくれないほどの、
天与の栄養状態に
戻るのでしょう。
6. 茶は、もともと種子でふえる植物ですが、現在、茶園で
栽培されている茶の木のほとんどは
挿し木もしくは取り木という方法でふやされています。
7. 【4】
井戸端園の
若旦那から、こんな話を聞くことになったのは、私が茶所・
狭山に
引越した年の翌春、
彼岸ごろ、たまたま、取り木という
苗木づくりの作業を、家の近くで見たことがきっかけです。
8. 【5】取り木は、
挿し木と、ほぼ同じ原理の
繁殖法ですが、
挿し木が、枝を親木から
切り離して土に
挿しこむところを、取り木の場合は、皮一枚つなげた状態で枝を折り、折り口を土に
挿しこむのです。親木とは皮一枚でつながっていて、栄養を補給される通路が残されているわけです。
9. 【6】茶の木は、根もとからたくさんの枝に分かれて生長しますから、かまぼこ型に仕上げられた茶の木の
畝を縦に切ったと仮定すれば、その断面図は、枝がまるで
扇でもひろげたようにひろがり、
縁が、密生した葉で
覆われています。【7】取り木は、その枝の主要な∵ものを、横に引き出し、中ほどをポキリと折って、折り口を土に
挿しこみ、地面に
這った部分は、根もとへと
引き戻されないよう、逆U字型の割り竹で上から
押さえ、固定します。【8】土の中の枝の基部に根が生えたころ、親木とつながっている部分は切断され、一本の独立した
苗木になるわけですが、取り木作業をぼんやり見ている限りでは、尺余の高さで枝先の
揃っている広い茶畑が、みるみる、地面に
這いつくばってゆくという光景です。
10. 【9】もともと、種子でふえる茶の木を、このような方法でふやすようになった理由は、種子には変種を生じることが多く、また、交配によって作った新種は、種子による
繁殖を
繰り返している過程で元の品種のいずれか一方の性質に
戻る傾向があるからです。【0】(中略)
11. 「
随分、人間本位な木に作り変えられているわけです。」
若旦那は笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養生長という状態に置かれている。」とつけ加えてくれました。
12. 外からの間断ない栄養
攻め、その
苦渋が、内部でいつのまにか安息と
うたた寝に変わっているような、けだるい生長――そんな状態を私は、栄養生長という言葉に感じました。
13. で、私は聞きました。
14. 「花を
咲かせて種子をつくる、そういう、
普通の生長は、何と言うのですか?」
15. 「成熟生長、と言ってます。」
16. 成熟が、死ぬことであったとは!
17. 栄養生長と成熟生長という二つの言葉の不意打ちにあった私は二つの生長を
瞬時に体験してしまった一株の茶の木でもありました。(中略)
18. その後、かなりの日を置いて、同じ
若旦那から聞いた話に、こういうのがありました。
19. ――長い間、肥料を吸収しつづけた茶の木が老化して、もはや吸収力をも失ってしまったとき、
一斉に花を
咲き揃えます。
20. 花とは何かを、これ以上
鮮烈に語ることができるでしょうか。
長文 6.4週
1.【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
2. パリとロンドンを往復したたくさんの書簡において、
熊楠が書いていることの中でも、もっとも重要なのは、事という
概念をめぐる
彼の思考である。ここには、とても現代的な思考法を、みいだすことができる。
熊楠はその考えを、まず自分の考える学問の方法論として、語り出している。
3.
熊楠の考えでは、事は心と物がまじわるところに生まれる。たとえば、建築などというものも、事である。その場合、建築家は自分の頭の中に生まれた非物質的なプランを、土や木やセメントや鉄を使って現実化しようとするだろう。建築物そのものは物だけれども、それは心界でおこる想像や夢のような出来事を実現すべくつくりだされた。つまり、それはひとつの事として、心と物があいまじわる境界面のようなところにあらわれてくる現象にほかならないことになる。
4. このプロセスは、もっと精密に研究してみることもできる。建築家は設計図を
描く。そして、その設計図をもとにして、建築の物質化が実行される。このときの設計図もまた、事なのである。設計図は、建築家の頭の中に
浮かんだアイディアを、明確な構造をもった
透視法の中に定着させるものだ。ここでは「設計図の
描き方」という表現法自体が、アイディアの物質化をたすけている。だから、そこでも心と物が、出会っている。そうなると、建築という
行為そのものが、
幾重にも積み重ねあわされた事の
連鎖として、できあがっていることがわかる。記号や表象が関係しているものは、こうして考えてみると、すべて事なのだということが、はっきりしてくる。
5. いまの学問にいちばん欠けているものは、この事の本質についての
洞察だ、と
熊楠は考えた。
彼の考えでは、
純粋なただ心だけのものとか、
純粋にただ物だけのもの、というのは、人間の世界にとっては意味をもたず、あらゆるものが心と物のまじわりあうところに生まれる事として、現象している。しかも、心界における運動は、物界の運動をつかさどっているものとは、
違う流れと原理にしたがっている。このために物界では、因果応報ということが確実におこるのに、
純粋な心界でも因果応報がおこるとは限らないのだ。たとえその人の心に悪い考えがおこったとしても、その考えが物界と出会って、そこにたしかな事の
痕跡をつくりだし、物界の流∵れの中に
巻き込まれてしまうことがなかったとしたら、そのことだけでは、けっして将来に報いをつくりだすとは限らない。
6. 事は異質なものの出会いのうちに、生成される。そして、その事が、ふたたび心や物にフィードバックして働きかける過程の積み重ねとして、人間にとって意味のある世界は、つくりだされてくる。
熊楠はこの事の
連鎖の中から、ひとつの原則がみいだせるはずだと考えた。
7. ここで
熊楠が考えていることは、とても大きな現代的な意味をもっている。まず
彼は、人間の心の働きが関係するいっさいの現象についての学問にとって、いちばん重要な意味をもつのは事であるけれども、この事は対象として
分離することができない構造をもっている、と言っているのだ、心界におこる動きが、それとは異質な物界に出会ったとき、そこに事の
痕跡がつくりだされる。しかし、その事はもともと心界の動きにつながっているものだから、心界の働きである知性には、事を物のように対象化してあつかうことはできないのだ。しかし、その
分離不可能、対象化不可能なダイナミックな運動である事をあつかうことができなければ、どんな学問でも、自分は世界をあつかっているなどと、大口をたたくことはできなくなるわけだ。
8. ここには、二十世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点が、すでに
熊楠独自の言い回しによって、はっきりと先取りされている。
9.(
中沢新一『森のバロック』による)∵
10. 【1】人間が、他の動物においては例外なくそうであるような、完全に
特殊化された器官や本能をそなえていないこと、自然のままの
状況に適応することによって生存してゆくことはできないこと、このことは、人間にとっては
環境世界なるものが存しないことを意味している。【2】動物が個々の
状況に面していかに行動してゆくべきかを決定するのは、
彼の内なる自然そのものであった。それに反して、人間が自然のなかで生存しうるためには、
彼自身が自分の行動によって
状況を変えてゆかなければならない。【3】言いかえれば、動物に対しては自然が、始めからそれぞれの
環境世界をあたえているのであるが、人間は自然に対してはたらきかけることによって、初めて自分の生活
環境を作り出さなければならない。【4】この人間のはたらきによって形成されるもの、それが広い意味での文化とよばれうるならば、文化をもつことは人間にとって生物学的に必然である。そしてこの文化世界のほかに、自然のままの
環境世界なるものは人間にとって本来的に存しえない。【5】極言すれば、人間には自然はないのである。しかも
環境世界と
違って、もはや人間という種に共通のものとして一定の文化世界があるわけではなく、それぞれの民族や社会集団がそれぞれ別の文化形態を作るのである。
11. 【6】このように見てくると、人間においては動物の場合とは本質的に
違った意味での自発性ということが考えられなければならない。すなわち、
環境世界からの
刺戟に対する反応として、すでに自分のなかにそなわっている本能によって行動するという意味での自発性「物体の運動との対比において」ではなくて、【7】むしろ逆に、本能的な直接性が
欠如していることにおいて成立する自発性、少し逆説的な言い方になるが、直接の動因が
与えられていないがゆえに行われなければならぬ自発性である。これは知覚の面でも運動の面でも見られる。
12. 【8】われわれの知覚世界は、たんに受動的に成立しているものではなく、われわれによって構成されたものである。動物は生存に必要な
刺戟しかうけないのに反して、人間はもともと
刺戟過剰の状態にあり、生活を順調にいとなむためにはこの
不均衡を何らかの形で∵
克服してゆかねばならない。【9】幼児心理学によれば、産児は最初のうちはたいていの
刺戟に対して不快感の反応を示す。うぶ声も苦痛感の表現にほかならないと言われている。そこでまずこの「制
戟」の
充満がいちおう
遮蔽されることになる。【0】ある実験報告によれば、音の
刺戟に対し、二
ヵ月目にはかなりの程度まで不快さなしに
耐えるようになり、さらに三
ヵ月目
頃からは無関心でいることができるようになる。この無関心さの程度は、
拒否的および志向的な「反応」との割合において、始めは増大してゆき、八
ヵ月目
頃最大になる。この段階を経たうえで、こんどはそれらの「制
戟」を加工してゆく能力が発達し始める。それはほぼ十
ヵ月目
頃から見られ、積極的に外界に向かう態度が明確になって、手でものをつかむ運動が発達してゆくのと並行している。幼児におけるこの経過はもちろん「無意識的に」おこなわれることである。しかし人間が生活の必要にとっては
過剰の
刺戟に対し、それを自分のはたらきによって処理し
秩序づけ加工して、みずからの知覚世界を構成してゆく、その最初の段階がここに見られるのである。そのはたらきのより進んだ段階における重要な道具が言語にほかならない。われわれは知覚されるさまざまのものに対して言語その他の記号をもっておきかえ、その記号にともなう表象とその意味の理解によって対象世界を体系化してゆく。これがわれわれの認識活動である。
13.(山本信『
形而上学の可能性』より)