a 長文 4.1週 nnga
長文が二つある場合、音読の練習はどちらか一つで可。
 国境を越えこ て移動する人々にとって、連続性の保証はなによりも強く希求するところとなる。なかには、抑圧よくあつ的な社会体制から逃れるのが  ことを一つの目的とし、憧れあこが の新しい世界を求めて居を移す者たちもいるが、それでも知己、親戚しんせきなどのつてを頼りたよ 、同国人あるいは同民族コミュニティの中に迎えむか られることを願う者は多数であろう。先にあげたアルジェリアのカビール地方の向仏移民たちが「フランスは初めて踏むふ 土地ではない」と思い込んおも こ でいるということは、この連続性の想定であり、もっといえば連続性への願望であろう。いくぶんともそのような想定をもつことなしには、移動という行動がそもそも起こりえないだろう、ということはすでに述べた。連続性想定の機能的意義は大きい。
 しかし、こうした連続性の想定の上での移動は、また、移民たちの生活をさまざまに限界づけてしまう。そのもっとも顕著けんちょな例は、言語へのかれらの態度である。かつてトルコの東部から連鎖れんさ移民的にドイツの町々にやってきた移民たちは、「ドイツ語ができなくとも、トルコ人の先住コミュニティに迎えむか てもらえばなんとかなる」と思い、ドイツ語を学ぶ労もとらずドイツに住み着いた。たしかにコミュニティの中で生活しているかぎり大きな不自由はないが、そこから外へと人間関係を広げていくことはほとんどできない。職場の中でのかれらの位置も、トルコ人を同僚どうりょうとする限られた地位にすぎなくなってしまう。
 言語に関しては、旧植民地から旧宗主国にやってきた移民の場合に、連続性の幻想げんそうがかえって一個の陥穽かんせいとなるおそれがある。たとえばアルジェリアからフランスへの移民には少なくともこの国のアラビア語化が本格的に始まる以前の六〇年代の来仏者には「フランス語は使えるから、問題はない」という思い込みおも こ があった。だが、かえってその思い込みおも こ のため、フランス語を学ぶという動機づけが弱く、夜間の講座に通うなどの労もとらず、そのため来仏後の進歩がはかばかしくない、という問題を生じていた。じっさい、彼らかれ が「フランス語には問題はない」というのは、せいぜい日常会話のそれであって、言語資本としては貧しい。フランス語の読み書きは心もとなく、自分で手紙を書くことはもとより、新聞を読むこと、職場で操作マニュアルを読むことも困難なのである。
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となると、いざ職場で技術革新がおこなわれ、新しい技術システムが導入されるときなど、かれらの読み書きの難しさが、そのまま技術的適応の困難を引き起こし、雇用こよう不安にさらされることになるのである。
 連続性の保証が問題を生んでいる別のケースをあげれば、それは、日本への出稼ぎでかせ 数が近年増大しているブラジル、ペルー、アルゼンチンなどの出身者の場合であろう。日本語保持率の高い日系二世はまだしも、三世になると、日本語を使える者がきわめて少数となるが、かれらは来日にあたって、旅行業をもかねる斡旋あっせん業者にすべてを委ねることで、連続性を確保しようとする。ビザの申請しんせいから、職の斡旋あっせん、来日後の住宅の手配まですべて業者に任せ、来日すると、派遣はけん業者に引き継がひ つ れ、ここでも日本語を使わず、ほとんどあらゆる手続きが代行されるのである。当人は、ポルトガル語、スペイン語を使い、本国の文化に従いながらなんとか日本の職業生活の中に位置を得ることになる。日本の社会制度に関する知識も自らの努力で得ようとする者は多くない。当座はその必要がないと感じるからである。しかし、その代償だいしょうは小さくなく、日本社会の中でのかれらの孤立こりつは一部このことに由来している。

(宮島たかし『文化と不平等』)
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長文 4.1週 nngaのつづき
 新しい様式を創造するということは、美術における進歩の中核ちゅうかく的な意義である。
 美術における進歩は、科学の進歩などとはおもむきを異にしている。科学は前の成果を踏み台ふ だいとして、後のものがその先へ出るのであるが、美術においては優れた成果は必ずしも後のものの踏み台ふ だいとはならない。それぞれの傑作けっさくは、すべて特殊とくしゅな、ただ一回的なもので、そこから先へ行けない「絶頂」のような意味を持っている。たとえばギリシアの彫刻ちょうこくとかルネッサンスの絵画とかのように、同じやり方ではどうしてもそこから先へ出られないものである。同じやり方をすれば必ずエピゴーネンになってしまう。だから美術に進歩をもたらそうとすれば、先のものが見のこした新しい美を見いだし、それに新しい形づけをしなくてはならない。それが新しい様式の創造なのである。
 そういう創造のことを考えるごとに、私はいつもミケランジェロの仕事を思い出す。かれの作品が実際私にそういう印象を与えあた たのである。ギリシア彫刻ちょうこくの美しさや、その作者たちのすぐれた手腕しゅわんを、かれほど深く理解した人はないであろうが、その理解は同時に、ギリシア人と同じ見方、同じやり方では、到底とうてい先へは出られぬということの、痛切な理解であった。だからかれは意識してそれを避けさ 、他の見方、他のやり方をさがしたのである。すなわちギリシア的様式の否定のうちに活路を見いだしたのである。「形」が内的本質であり、従って「内」が残りなく「外」に顕れあらわ ているというやり方に対して、内がおくにかくれ、外はあくまでも内に対する他者であって、しかも内を表現しているというやり方、すなわちそれ自身において現われることのない「精神」の「外的表現」というやり方を取ったのである。従って作られた形象の「表面」が持っている意味は、全然変わってくる。それは内なる深いものを包んでいる表面である。そういうやり方でかれは絶頂に到達とうたつした。かれのあとから同じやり方を踏襲とうしゅうするものは、「何かを包んでいる表面」だけを作りながら、中が空っぽであるという印象を与えるあた  同じやり方でかれの先に出ることはできないのである。ロダンが「何かを包んで
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いる表面」を思い切って捨て、面を形成しているあらゆる点が内から外に向いているような新しい表面を作り出したとき、初めて近代の彫刻ちょうこくは一歩先へ出ることができた。
 そう考えてくると、新しい様式の創造には古い様式の重圧が必要だということになる。古い様式による傑作けっさくを十分に理解すればするほど、そこからの解放の要求、新しい道の探求が盛んになる。すなわちできあがった一つの様式のなかには、新しい様式を必然に生み出して行くような潜勢力せんせいりょくがこもっているのである。だからこそ過去の傑作けっさく鑑賞かんしょうや、その鑑賞かんしょうを容易ならしめる美術館は、美術の進歩に重大な意義を担うことになる。それぞれの時代、それぞれの様式において、「絶頂」を意味するような傑作けっさくが、美術館に並んでいて、いつでも見られる、という社会にあっては、言わばそういう傑作けっさく権威けんいが君臨しているのである。そういう世界で幾分いくぶんかでも独創的な仕事をするためには、右の権威けんいの重圧をはねかえして、新しい様式をつくり出さねばならぬ。美術館はそういう運動の原動力となっているといってよい。

(和つじ哲郎てつろうの文章に基づく)
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a 長文 4.2週 nnga
 その昔、サングラスを持つということは、ちょっとした冒険ぼうけんであった。それをかけて街を歩くことは、もっとである。たとえばサングラスというのは、世間に対して少しばかりうしろめたいところのある人がかけるものであって、それだけにややロマンチックなおもむきはあったものの、当然ながら周囲からそれらしい目で見られる。つまりサングラスをかけて街を歩くためには、常にその種の視線を予定しなければならず、その中で平然としていられる心構えがなければならなかったのである。
 もちろん、今はもうそんなことはない。現在は、普通ふつうの人々が普通ふつうにサングラスをかけて街を歩いているし、そんなものをかけているからと言ってだれも、振り返っふ かえ て見たりはしない。どことなく、後暗いところのある人、という印象も薄れうす たかわりに、それに伴うともな ロマンチックなおもむきも消えてしまった。ただ、どうなんだろうか。そうかと言って現在サングラスをかけている人すべてが、光から目を保護するためにそうしているとは思えない。
 夜の人工光線の中でもサングラスをはずさない人がいて、かれに言わせると「サングラスをとると、着ているものを脱いぬ はだかにされたようで恥ずかしいは    」のだそうである。またひとりは、「私は人をじっと見るくせがあるので、人にいやがられないようサングラスをしているのだ」と言う。どうやらサングラスの、「隠れ蓑かく みの」としての役割はまだ残っていて、それが一般いっぱんに利用されているのであろう。もしかしたら、周囲の人々の「隠れかく ているな」という関心を引かなくなった分、よりさり気なく隠れるかく  ことが出来るようになったのかもしれない。
 最近対人関係が淡泊たんぱくになったと、よく言われる。憎むにく ことにも、愛することにも、さほど情熱的でなくなったのである。「君子の交りは淡きあわ こと水の如しごと 」という考え方からすれば、それぞれ君子の域に達したとも言えるのであるが、実際にはどうなのだろうか。私に言わせれば、それだけ人々がつつしみ深くなったというより、むしろ対人関係のそうしたわずらわしさに疲れつか た、という感じがし
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てならない。そして、そのこととサングラスが、無関係ではないように思えるのだ。
 私も何度かサングラスをかけて街を歩いてみたことがある。もちろん最初のうちは、自分で自分のサングラス姿が気になって落ち着かないのだが、すれ違う  ちが 人々がだれも気にしてないのを知るにつれ、次第に(るひそかな快さを味わえるようになるのである。言うまでもなく、単なる自己満足には違いちが ないものの、何となく世間から一歩退いて、それらの害の及んおよ でこない安全地帯を、ひっそりと歩み去ることが出来るような気がする。
 極端きょくたんなことを言えば、へいにあいた節穴から、世間というものをのぞき見している心境かもしれない。恐らくおそ  、我々の内にある自閉的な傾向けいこうがそれを快いと感じさせるのであろうが、だとすれば我々は現在、人に見られ、批評され、こちらからもそれを返すことによって形づくられていた対人関係のわずらわしさから、一斉いっせい逃避とうひし、自分自身の内側へこもりはじめたのである。しかもかつてなら、自らサングラスのかげに隠れよかく  うとすると、「隠れかく ているな」という人々の関心を集め、それらをばっとして引き受けなければならなかったのだが、今はそれもない。だれでも自由に、自分自身を消すことが出来るのである。
 もちろん、サングラスをかけたからと言って、世間からその人間が見えなくなるわけではない。かけている本人が、世間から見えなくなっているような、錯覚さっかくを得るだけである。しかし、世間から見てその人間が、生々しい実体であることを、幾分いくぶんなりとも薄れうす させることは、事実であろう。もしかしたら我々にとって他の人間は、サングラスなしで対面するには、余りに刺激しげきが強すぎるものになりつつあるのかもしれない。

(別役実『カナダのさけの笑い』所収)
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a 長文 4.3週 nnga
 現在『子供』の問題がたいへん捉えとら にくく、なにかと不気味なのは、一つには、社会のなかで子供についてのる一定の共通了解りょうかい事項じこうが成り立たなくなったからである。と同時に「『子供』の問題というのはふつうの問題のように対象化し分析ぶんせき的に捉えとら ていったところであまり意味をなさないからであろう。いまやいろいろな領域で単なる専門家というものは役に立たないといわれ『専門馬鹿ばか』などということばさえ出てくるようになった。けれどもこの問題は、一方で現在ますます専門的知識が必要になっているだけに、どう対処すべきかは簡単ではない。そしてこの場合、なによりも専門的知識の質あるいは在り様が問われることになる。
 永い間、知識とは無知あるいはタブラ・ラサ(白紙)に付け加えられ、積み重ねられたものであり、したがって、より多く知ることがより真理に近づくことだと考えられていた。ところが事実は必ずしもそうとばかりはならずに、ものを多く知ること、多くの知識をもつことによって、かえって私たちの一人一人は在るがままにものを見ることをできなくなるという事態が生ずるようになった。知識が創造的なかたちで働かされなくなるようになったといってもよければ、知識がかえって疎外そがい的に働くようになったといってもいい。こういうことは昔からもなかったわけではない。それは半可通と呼ばれる人たちにはよく見られたことであるけれど、なんといっても現在ほどには問題は尖鋭せんえい化、一般いっぱん化していなかった。現在、こうした場合に必要なことはなにか。それは、専門家であることが、専門的な知識を多くもっていることだけにとどまらず、専門的な知識そのものの弊害へいがいを見破り、それに囚われとら  ないでいることでなければならないだろう。純粋じゅんすいなあるいは形式的な論理からみれば、そういう作業は折角つくったものをこわすので、なにもしていないに等しいようにみえるかも知れない。しかし、このようなダイナミックな運動をとおしてはじめて、私たちは現実に触れふ うることになるのである。これはどのような分野についても言いうることだが、とりわけ『子供』の問題に関しては強調されて然るべきだろう。それというのも、『子供』の問題は、囚われとら  ない眼で在るがままに見なければならないのに、これほど出来合いの知識によって蔽わおお れている領域はほかにないと思われるからである。そこでは多くの知識が惰性だせい系つまり『見えない制度』と化しやすいのだ。
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 そのことがもっとも極端きょくたんなかたちで出てくるのは、『子供』あるいは『教育』の専門家たちによるレッテル貼りは (レイベリング)の問題である。そして、専門的な知識が『見えない制度』として拘束こうそく的に働くとき、その担い手(エージェント)になるのが職業的専門家である。彼らかれ は職業的専門家として一面ではもちろん有効な働きをするけれど、他面ではそのポスト(地位や職)を保守しその存在意味を示すために、逆にわざわざ仕事をつくり出すことになる。知識や仕事によって自己を不必要に権威けんいづけることになる。その際、もっとも問題なのが、子供たちに対して貼るは 『非行』や『落ちこぼれ』等々というレッテルなのである。
 大村英昭氏(『非行の社会学』一九八〇年)も言っている。鑑別かんべつ所によって、子供たちは『非行少年』というレッテルが公式に貼らは れ、中学や高校の学内試験によって『落ちこぼれ』は公認のものとなるのだが、そのようにひとたび貼らは れたレッテルは、専門エージェントの権威けんいによってきわめて動かしがたくがしがたくなるだろう。しかも専門エージェントは、自分のところに連れてこられた子供たちになんらかのレッテルを貼らは ずにはおかないし、またそのための専門的知識に事欠くことはない。そしてしばしば非行少年を救い出すのは、むしろ専門エージェントの権威けんいをもたない人、ぞくにいう『はだかの人間』なのである、と。このはだかの人間というのが、専門的知識によって囚われるとら   ことのない眼をもって相手に接しうる人のことを指すのは言うまでもない。
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a 長文 4.4週 nnga
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 すなわち、人間の社会的欲望には、他人を模倣もほうして他人と同一の存在であると認めてもらいたい模倣もほうへの欲望と、他人との差異を際立たせて自己の独自性を認めてもらいたい差異化への欲望との二つの形態があるのである。いずれも、一体どのような他人によってどのように認めてもらうかという点では大いに異なるが、他人に認めてもらいたいという社会的な欲望である点では変りがない。しかも、それらは往々にして同一の個人の中に共存している。
 当然、このような社会的欲望の二つの形態のちがいに応じて、モノに対する人々の欲求の形態も異なってくる。模倣もほうへの欲望は、人々に、他人が既にすで 所有しているモノを求めさせ、他人と同じように消費させるであろう。また、差異化への欲望は、人々に、他の多くの人が所有できないモノや他の多くの人が未だ所有していないモノを求めさせ、また他人と異なった仕方で消費させるであろう。実際、すべての人間社会は、それぞれ独自の方法で、この二つの形態の社会的欲望の存在、とくにそのうちの第二の形態である差異化への欲望に対処してきたはずである。たとえば、多くの共同体的社会においては、共同体の内部では差異化への欲望は抑圧よくあつされ、外部と接触せっしょくする機会である祭やポトラッチや戦争においてのみ一時的にそれを満たしていたであろう。また、階級社会においては、この差異化への欲望は支配者階級のみが全面的に満たしうるものであったろう。実は、社会的欲望の対処の仕方として今あげた二つの例は、それぞれ大雑把おおざっぱに言って、商業資本的な利潤りじゅんの創出方法と産業資本的な利潤りじゅんの創出方法とに形式的に対応しているのである。そして、外部も階級差も失いつつある現代の資本主義においても、利潤りじゅんの創出方法と社会的欲望への対処の仕方にやはり形式的な対応関係が見出しうることは、今までの議論から当然察しがつくにちがいない。
 現代の資本主義においては、だれもが差異化への欲望をもち、それを満たしたがっている。一体どのようにすればよいのか。もちろん、差異性という価値をもっている商品を買えばよい。だが、そのためには単に他人と異なった商品を買っても意味がない。他人が買っていなくて、しかも他人が価値あると認める商品を見つけ出さなければならないのである。もちろん市場には商品の種類は無数にあり、犬も歩けば棒にあたる。「いや、広告を通じて、棒の方が犬に向ってあたってくる。」そこで、だれかがどこかでそのような商品に行き当たり、差異化への欲望を満足したとしょう。これは、購買こうばい
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における一種の革新である。しかし、その購買こうばいにおける革新の効果も決して永続するものではない。なぜならば、ある人がある商品を所有することによって差異化への社会的な欲望を満足しているということは、同時に、まだその商品を買っていない他の人々がそれに価値を認めたことでもあるからだ。それは当然これらの人々の心の中に模倣もほうへの社会的欲望をひきおこすであろう。それゆえ、購買こうばい力が許すならば、かれらもその商品を買い始めるにちがいない。その結果、その商品の社会的な価値はますます高まり、さらに多くの人の中に模倣もほうへの欲望をひきおこし、模倣もほうの群によって商品のブームが生れる。だが、このようなブームの中で、次第に差異性としての商品の価値は失われ、差異性への人々の欲望は再び不満足の状態に引きもどされる。それゆえ、また人々は差異性という価値をもつ新たな商品を探し求めていくことになる。そのような商品が再び見出されると、模倣もほうによるブームがおこり、このブームの中でその商品も差異性という価値を失っていく。そしてまた……。
 ここでも、差異性の発見と模倣もほうによる差異性の喪失そうしつという、シシフォスの神話に似た反復の過程が支配しているのである。それは結局、他人に認められたいという人間にとっては絶対的である社会的欲望が、モノのもつ差異性という相対的な価値を媒介ばいかいとしてしか満たされないという、人間の欲望のはらむ根源的なパラドクスの産物であり、その部分的で一時的でしかありえない解決の終わることなき反復なのである。

岩井いわい克人かつひとヴェニスの商人の資本論』による)
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長文 4.4週 nngaのつづき
 近代日本の悲劇は、自分を育て、自分が発展させた文化と、まるでちがった歴史と伝統をもつヨーロッパ文化に支えられた文明を、が非でもとりいれなければならぬ羽目におちこんだというところに、大きな原因があるのは、多くの人の説く通りである。私たちは、紀元六世紀にかつて日本が圧倒的あっとうてきに優勢なアジア大陸の文化に接し、それを模倣もほうすることになった時、どんな大きな眩惑げんわくを覚えたか、今となってはこれを如実にょじつに心に浮かべるう   ことができない。混乱は大きかったに相違そういないし、また、そこには、彼らかれ のかつて感じたことのない深く大きな歓喜かんき恐れおそ の入りまじっていた未聞の眩惑げんわくがあったろう。
 ところで、日本が今も昔も先進国を模倣もほうしたといっても、十九世紀日本がヨーロッパ文化に接した場合と、この六世紀の経験とでは、そこにいくつかの違いちが がある。第一に、私たちの祖先が十三世紀以上前に、大陸文化に接した時は、彼らかれ はほとんど文化らしい文化を何ももっていなかった。日本には、文字がなかったし、鉄器もなく、第一、こちら側には国家の機構もまだ整わず、官僚かんりょうも組織されてなかった。日本人は、徹底的てっていてきに無条件に、大陸文化をとり入れざるをえなかった。そうして、その影響えいきょうは、『古事記』のかかれた八世紀から計算しても、十九世紀まで、十世紀以上におよんだ。
 ところが十九世紀になって、ヨーロッパ文化が、日本に渡来とらいした時には、日本はもうまったくの非文明国ではなかった。そこには、たとえ荷風のいう本店と支店の関係はあったにしたところで、とにかく、それになりの宗教、哲学てつがく、政治、芸術の独自の体系ができあがっていた。だから、西洋文化の影響えいきょうは、当然、昔の場合より、大きな抵抗ていこうにぶつかったわけだし、自分の独立を救うために黒船の前に降伏こうふくを決意した日本側の態度は、ある種の条件つきだった。これは、たとえ、国民の一部が昔と同じ無条件降伏こうふくをすすんで希望したとしても、なお、不可避ふかひ的に、そうならざるをえなかった。そのうえ、この西洋の影響えいきょうは時間的にみても、まだ一世紀に
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もたりない。いまから半世紀以前に、荷風がどんなに苛立っいらだ たにせよ、日本人の多くが、根本的にかれとちがう目で、西洋を見、日本を保存していたことは、やむをえないことでもあったわけだ。
(中略)
 模倣もほうが生産的でありうるということを、私が今ここで詳しくくわ  のべる必要もないであろう。たとえば漢字の採用一つとってみても、それが日本人の思考の仕方にどんな複雑な得失をあたえたかは、現代の日本人を考える場合にも、たいせつな問題を含んふく でいる。かりに七世紀の日本人が漢字を採用しなかったら――というのは、すでに、愚かしいおろ   設問であるけれども――、日本はより独自の文化を生みだしていたろうという結論を出すことは、不可能ではないだろう。二十世紀日本のある人たちは、漢字漢文を採用している限り、日本人は正確にものを考えることができないと、主張しているようにみえる。しかし、その場合の「正確な考え方」という観点が、すでに西洋の影響えいきょうであって、けっして日本人の自発的なものでないことは別にしても――そうでなければ、日本人はシナ文化渡来とらい前は正確な考え方をしていたことになるはずだが、そんなことは滑稽こっけいである――、現代の日本人のなかには、すでに、そういう「正確な考え方」をしている人びとがいる。その人たちは、すべて、西洋の考え方を消化し身につけているから、漢字と漢文を本店とする国文・日本文をもって、正確に考える力をもつようになったのだ。しかし、かれはその能力を身につけるまでには、漢字の模倣もほうにはじまった日本語の働きが不可欠だった。簡単にいってしまえば、今の日本語の状態にしても、考えるべきことは考えられるのだ。ただ、それには、現在では「西洋」の消化を絶対に必要とする。「わが日本は今も昔も、先進国の模倣もほうによる」必要がある所以だ。

吉田よしだ秀和ひでかず『荷風を読んで』より、一部改変。)
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a 長文 5.1週 nnga
一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。
 文化の発展には民族というものが基礎きそとならねばならぬ。民族的統一を形成するものは風俗ふうぞく慣習等種々しゅじゅなる生活様式を挙げることができるであろうが、言語というものがその最大な要素でなければならない。故に優秀ゆうしゅうな民族は優秀ゆうしゅうな言語を有つ。ギリシャ語は哲学てつがくに適し、ラティン語は法律に適するといわれる。日本語は何に適するか。私はなおかかる問題について考えて見たことはないが、一例をいえば、俳句という如きごと ものは、とても外国語には訳のできないものではないかと思う。それは日本語によってのみ表現し得る美であり、大きくいえば日本人の人生観、世界観の特色を示しているともいえる。日本人の物の見方考え方の特色は、現実の中に無限を掴むつか にあるのである。しかし我々は単に俳句の如きごと ものの美を誇りほこ とするに安んずることなく、我々の物の見方考え方を深めて、我々の心の底から雄大ゆうだいな文学や深遠な哲学てつがくを生み出すよう努力せなければならない。我々は腹の底から物事を深く考え大きく組織して行くと共に、我々の国語をして自ら世界歴史において他に類のない人生観、世界観を表現する特色ある言語たらしめねばならない。本当に物事を考えて真にある物を掴めつか ば、自ら他によって表現することのできない言表げんぴょうが出て来るものである。
 日本語ほど、他の国語を取り入れてそのまま日本化する言語は少ないであろう。久しい間、我々は漢文をそのままに読み、多くの学者は漢文書き下しによって、否、漢文そのものによって自己の思想を発表して来た。それは一面に純なる生きた日本語の発展を妨げさまた たともいい得るであろう。しかし一面には我々の国語の自在性というものを考えることもできる。私は復古へきの人のように、徒らいたず に言語の純粋じゅんすい性を主張して、強いて古き言語や語法によって今日の思想を言い表そうとするものに同意することはできない。無論、古語というものは我々の言語の源であり、我が民族の成立と共に、我が国語の言語的精神もそこに形成せられたものとして、何処までも深く研究すべきはいうまでもない。しかし言語というものは生きたものということを忘れてはならない。
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『源氏』などの中にも、如何にいか 多くの漢字がそのまま発音を丸めて用いられていることよ。また蕪村ぶそんが俳句の中に漢語を取り入れた如くごと 、外国語の語法でも日本化することができるかも知れない。ただ、その消化如何いかんにあるのである。

 「国語の自在性」(西田幾多郎きたろう
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長文 5.1週 nngaのつづき
 固有名詞が、その固有の意味においてはっきりと姿をあらわすのは、かれ/彼女かのじょが、父と母だけでなく(父も母も、そのこどもにとっては一つしかないものだから、太陽や月が固有名詞であるかどうかという、文法学者の古典的な議論と同様に、純粋じゅんすい普通ふつう名詞でもなければ固有名詞でもない)、きょうだいや遊び仲間をもち、あるいは保育園や学校のようなところに通って社会生活をはじめたときである。かれ/彼女かのじょは、自分だけでなく、他者も、それぞれが名をもつことを知る。逆説的なようだが、固有名詞があるというそのことが、言葉が本来的に社会的なものであるということの証拠しょうこになるのである。
 現代社会では、人やものが固有名詞で呼ばれるものであり、また呼ばれなければならないということは、経験を通じて徐々にじょじょ 学ばれるのではなく、たとえばこどもに入学した学校の名をおぼえさせることによって一挙に教えこまれるのである。この過程を通じて、こどもは、自分は一つの制度の中にくり入れられ、ある組織に所属するのだという意識を植えつけられるから、固有名詞はこどもを社会化するための基本的な道具となり、人間は死ぬまで固有名詞の支配下に置かれるのである。言語(ここに言う言語とは、人間はことばを話す動物であるというばあいの一般いっぱん的な言語と、人間は何々語という、特定の言語しか話すものではないという意味での言語との二重の意味においてである)が人間に与えあた られた宿命であるとするならば、固有名詞は、宿命としての言語の本質的部分を体現していることになる。
 まことに固有名詞こそは、人類が決して一つではなく、さまざまな名前――固有名詞をもって分かれ、それぞれが自分あるいは自分たちに対立するものであるということを思い知らせ、相互そうごのちがいをいやが上にもきわ立たせ、それを固定させる道具である。名前、固有名詞こそは、ことばの中でも抜きん出ぬ  でた地位を占めし ていて、これこそことばの中のことば、名詞の中の名詞だと言ってもいいくらいである。人間は生きている間のほとんどの時間を、名前とともに生き、苦しみ、争ってきたと言えるのである。そのために、どれだけ多くの人が、名前から逃れのが たいと思っただろうか。――自分自身とその家族の名前から、国家や民族の名前、出身地の名前等々から。
 ところが、ことばの科学――たとえば言語学は、名前については
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本気で科学しなかった。はじめから、それは科学できないものとしてとり除いてしまったのである。
 とり除いた理由の一つは、方法論がそうするよう求めたからである。そのことと深いつながりがあるのだが、名前――固有名詞の問題を、ひたすら普通ふつう名詞、一般いっぱん名詞といかにちがうかを考えるにとどまり、社会のコンテキストに置いて考えることをしなかったためである。ことばや記号は認識論上の問題に限定され、はじめから、社会から切りはなされていたのである。
 また代々の文法家や論理学者たちは、固有名詞の本来の機能は、それが何かあるものを一つしかないものとして孤立こりつさせて指し示すところにあると言いつづけてきた。純粋じゅんすいの固有性というものをそのようなものとして考えてきたからである。
(中略)
 このように考えてみると、まさに、名前に、アイデンティティというものの二重性がある――自分は自分であって、それ以外のものではあり得ないと主張される自分は、他方ではどこかに所属している(どこにも所属しないことが、すでに所属である。人はこの独得の所属のしかたにもまた名をつけるであろうから)あるいは所属せざるを得ないというこの原理は、名づけ、すなわち、ことばの原理そのものから発しているように思われる。
 人間の名前がその所属を示すように(もう一度強調しておけば、その名前は、ある特定の言語に属すからだ。このことは忘れないでおこう)、山も河も海も、名づけられると同時に、その領有への主張が背後にすべり込む   こ 。こうして固有名詞は、たちまち緊張きんちょうした政治の磁場を作り出すのである。

(田中克彦かつひこ「名前と人間」による)
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a 長文 5.2週 nnga
 倭人わじん伝によると、当時、海をわたって中国と交通する際に、必ず持称するしょう  男を一人伴っともな ていたという。この男は、航海中決して頭をくしけずらず、のみ、しらみを取らず、衣服を洗わず、肉を食わず、婦人に近づかず、服喪ふくも中のひとのようであった。無事に航海が終わって港に着けば数々の財物を与えあた られたが、暴風に会ったりして難破すると直ちに殺されてしまった。こういう役割の男を持といったのである。記録に残されているところは以上の通りである。とよばれるこの男はどうやら一種のシャーマンであって、航海の安全を祈っいの たものであろう。シャーマンというものは、成功してはじめて評価されるもので、失敗すればたちどころに殺されてしまう。殺されることが呪力じゅりょくの持続の保証でもあったわけである。
 ところで、いかに呪力じゅりょくを持ったシャーマンとはいえ、航海中に一定の禁忌きんきを守りさえすれば、船が目的地に安着するというのはどういうことなのであろうか。それは時の持続、出発地の時間が目的地まで持続すること、そういう流れない時のシンボルなのではなかったろうか。あるいは、そういう時の演劇的表現が持だったといってもよい。そして、そういった場合には、演劇的表現を生む以前のある時期には、流れない時のリアリティーがすべての人々に実感されていたに違いちが ないのである。
 流れない時、時間をこえた時、そういう時はたしかにあった。創造というのは、そういう時に出逢うであ ことである。りゅう宮城の浦島うらしま太郎たろうはこういう時を日常の時として不老不死であったが、故郷に帰って玉手箱を開けたとたんに、一挙に時間が流れ去ったのであった。山川の流れにも、淀むよど ときがあり、早瀬はやせとなって走るときがある。表層の水は白く泡立っあわだ て流れていても、深層の水は静かにたたえている。そういうことがある。時間も同じことである。
 時について考えるには、時をまずその原初の意味においてとらえ直す必要がある。そうすると、時は『もの』である。手でつかまえることのできる『もの』、眼で見、耳で聞くことのできる『もの』である。時はタンジブルなものである。桜の花の咲くさ 時、梅の実の黄ばむ時である。そういう時に逢うあ 時、それが時である。古池
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かえるとびこむバシャッという音、それが時である。『もの』を離れはな て時はない。
 かつて北部ラオスの村で調査していたときのことである。毎日、村の家々を訪ねて家族のあり方を聞いてまわっていた。ラオ語がよくできなかったから、簡単な質問ですむ調査を手始めにえらんだのである。「あなたは今年、何さいですか」「あなたの奥さんおく  はどの村で生まれましたか」「長男の名前は……、年齢ねんれいは……」といった質問を繰り返しく かえ ていた。
 ところが、村びとは子供の年齢ねんれいをよく知らない。「一番下の子は何という名前でしたか」「サオ・ボーアです」「サオ・ボーアは何さいですか」「サアー、お前、サオ・ボーアは幾ついく だったかナー」と傍らかたわ 奥さんおく  に聞く始末である。しかし、それでもわからない。そうすると遊んでいた子供を呼びもどす。「先生、サオ・ボーアはこの子ですよ。何さいだと思いますか」
 私はびっくりしてしまう。何さいと思うかと私に聞かれてもどうしようもない。親がむすめ年齢ねんれいを知らないのだから、私が知るはずはないではないか。そう思った。文化の低いところは困ったものだ。そう思ったこともある。しかし、その後、考え直してみると、問われている本人を呼びにやって質問者の眼の前に連れてきたのである。本人が私の前に立っているのである。これほど確かなことがあろうか。(中略)
 時は、あるいは時間は、われわれの人生がその上に展開する座標ではない。最近、宇宙船地球号というイメージが普及ふきゅうしている。そういうイメージからすると、この地球に住む約三十八億の人間がそれぞれうで腕時計うでどけいをはめて宇宙空間をただよっているような気分になるが、実はそんなことはない。日本の時間とボルネオの時間とは違うちが し、現代の時間と古代の時間はちがう。私の時とあなたの時はちがう。時間は決して一つになってはいない。
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a 長文 5.3週 nnga
 ロボットは人間かと問うのは、ロボットにも心とか意識といったものがあるかと問うことである。うまそうに食事をしているロボットは、本当に空腹を感じ、食欲をもち、そして味わっているのだろうか、あるいは単にすべてただ「振りふ をしている」だけなのだろうか。歯医者の椅子いすの上でうめき声をあげているロボットは本当に痛がっているのだろうか。ただ痛そうな振りふ をしているだけではないのか。
 だがこの問いに答える方法があるだろうか。ロボットに「本当に痛いのか」と尋ねれたず  ばもちろんのこと、「間抜けぬ たことを言うな、痛いったら痛いんだ」と答えるだろう(そしてその夜、日記に、差別待遇たいぐうをうけて心が痛んだ、と記すかもしれない)。うそ発見器につないでも人間の場合とは違うちが 反応であろうがともかくうそをついているときのロボットとは違うちが 正常な反応を示すだろう。切開をすれば人間の神経繊維せんいと比べれば不細工な金属線があり、それにパルス電流が流れているのが検出されよう。そして、学のあるロボットならば、それがロボットの痛覚神経なのだと言うだろう。結局のところ決め手はないのである。それは現在の科学や技術の段階では決め手はない、というのではなく未来永劫みらいえいごうないのである。痛いとかうまいということは細胞さいぼうの興奮とか神経伝導などとは全く別種のことだからである。だからそれを生理学的なあるいは工学的な検査法で検出しようというのが土台そもそも的外れなのである。(中略)
 私の知っている痛みはただ私自身が感じるものとしてのものである。それを他人に移植する、つまり他人がそれを感じると想像することは実は不可能なのではないか。実数の間の大小を複素数の間に移植したり、将棋しょうぎの王手や成りこまに移植することが不可能なように。私は他人が私の経験に似た経験をしていると想像しているつもりでも実は想像しているのはその他人になり変わった私自身なのではあるまいか。そして想像の中であっても私は終始私であってかれではない。私に想像可能なのは、かれの立場にある私の痛みであってかれの痛みではない。(中略)
 人が激痛でうずくまり冷や汗ひ あせを流している。だが正直なところ私自身は少しも痛くない。痛くもかゆくもない。だが私は心痛す
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る。しかし私はかれが痛い、ということを想像していはしない。その想像は不可能だからである。私が想像しているのはかれになり変わった私の痛みである。しかしだといって私はこの想像上の私の痛みに心痛しているのではない(想像された痛みは少しも痛くない)。そうではなく私の心痛の対象はまさにかれなのである。
 この一見まことに奇妙きみょう状況じょうきょう、この状況じょうきょうをわれわれの言葉では「かれが痛がっている」と言うのである。この状況じょうきょうの中で、かれになり変わった想像上の私が、かれ眺めなが ている私と苦しそうなかれとの間を飛びかっている。そして陽子と中性子の間を飛びかう中間子がその陽子と中性子とを固く結びつけるように、この飛びかう想像上の私が現実の私とかれとを「人間仲間」として結びつけているのである。だからこの飛びかいが失われたならば私にとってかれは「人」でなくなる。そして私の方は離人症りじんしょうと言われるだろう。
 幸い今のところ私は離人症りじんしょうではない。それは私が生まれてこのかた長年人中で暮らしてきたおかげで身についた態度なのである(おおかみ少年ならばこの態度を持たないだろう)。そしてもし私が長年ロボットと人間らしい付き合いを続けたならば、ロボットに対しても恐らくおそ  この態度をとるだろう。そのとき私にとってそのロボットは「人」なのであり、心も意識もある「人間」なのである。
 これはアニミズムと呼ばれていいし、むしろそう呼ばれるべきであろう。木石であろうと人間であろうとロボットであろうとそれら自体としては心あるものでも心なきものでもない。私がそれらといかに交わりいかに暮らすかによってそれらは心あるものにも心なきものにもなるのである。それに応じて私もまた「人間」になるのである。

(大森荘もりしょう蔵『流れとよどみ』による)
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a 長文 5.4週 nnga
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 さらに、人格を形成していくための重要な場所として、かつては技術の修得が今日よりもはるかに重い手応えを持っていました。現在も技術の修得が人間を作っていることは事実ですが、しかし、これもまた、残念ながらその重さの点で戦線を縮小しつつあるといわなければなりません。たとえば、昔は大工さんになるためには一生の努力を必要とするといわれたもので、私のうちへ時たま来てくれる大工さんは三十年のベテランですが、そういう人が、「大工というものは一生修行ですよ」と今でもいっています。しかし、その後でかれは頭をかいて、「今どきこんなこといっていると、時代からとり残されますがね」とつけたすのです。
 というのは、現代では技術そのものが現実体験ではなくて、情報化された一種の知識の組み合わせになっていて、その分だけたいへん修得しやすいかたちに変わっているからです。早い話が、板というもの一枚を取り上げても、昔の板は人間が握っにぎ て、そのを動かす自分のうでを通して体験する本当のものでありました。しかし、現在の板はほとんどが合成樹脂じゅしで、や手は必要ではなく、いわば、人間の目さえあればそれで用のすむ存在になりつつあります。一枚の板がものであることをやめて、しだいに板のイメージ、すなわち一種の情報になりつつあるわけです。
 そうなると、それを扱うあつか 個人の技術はいちじるしく単純化されて、肉体に触れるふ  体験の領域が小さくなって来ます。今日、技術の修得は一生の仕事だという人は、だんだん少なくなり、だいたい免許めんきょ証をもらえば、技術はそれで完全に習得されたことになっています。料理人や理髪りはつ師、自動車の運転手に学校教師、すべて免許めんきょ証をもらえば、かれにとって職業および技術の修得段階は終りだという意識が拡がっています。現に、それさえ持っていればまず最低限度の生活はできるわけですが、その代わり、その技術をさらに伸ばしの  て、かれ独特の技術にする楽しみもなくなりました。
(中略)
 職業のことをドイツ語ではベルーフ(Beruf)といいますが、ベルーフとは「神の呼び声」という意味です。日本語にも「天職」ということばがあるわけで、職業とは食うために勝手に人間が選ぶものではなく、最終的には運命か、あるいは神が人間をそこへ呼びこむものだ、という考えが伝統的にありました。それほど職業
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には神秘的といってよいほどの重みがおかれていたのですが、そのひとつの理由は、人間が職業訓練の中で意識的な知識以上のものを獲得かくとくする、という事実ではなかったでしょうか。ものに触れるふ  体験というものは、たんなる知識の学習とは違っちが て、人間が自分で意識できない自己の部分を豊かにします。で板を削っけず て十年、二十年を過ごすということは、かれの肉体の思いがけない部分をふとらせることもあるし、「職人気質」などという、いわくいい難い精神の部分を養うこともあります。じつは、人間の個性とはそうした無意識なものの集積として生まれるものであり、この部分こそ個人の中で真に交換こうかん不可能な要素だというべきでしょう。
 これに対して、現代の現実が情報化していくということは、いいかえれば、現実のすべてが知識化していくことであり、その内部の意識を越えこ た部分が消滅しょうめつしつつある、ということだといえるでしょう。そして、それにつれて、現実とかかわる人間もまた情報化され、肉体も気質も持たない観念的な存在に変質しつつあるわけです。ひとつの中心を持ち、有機的な統一を持った「私」としての人間が解体し、巨大きょだいで、しかし全体像の見えない、奇妙きみょうな機械の部分品になりつつあるのが現代だと見るべきでしょう。

山崎やまざき正和『混沌こんとんからの表現』による)
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長文 5.4週 nngaのつづき
 芭蕉ばしょうはこう言っている――連句の席にのぞんだときには、文机を前にして間髪かんぱつを入れず句を作るのであって、迷っては駄目だめである。作りおわって文机から句を引きおろせば、すでにそれは反故でしかない。――もちろんこれは、その一瞬いっしゅんに持てる力量のすべてを燃やしきらねばならないという意味であり、だれにも首肯しゅこうできる作者の覚悟かくごだが、しかしそれとは別に、そこで成った句は、いかに名作であっても「文台引おろせばすなわち反故」なのだろうか。おそらくこの言葉も、名作は記録されて後にのこるということと別に矛盾むじゅんする言説ではあるまい。作品が録されて後世に伝わる、すなわち俳諧はいかいの歴史と、俳諧はいかいの場はその成立の一瞬いっしゅんの中にあるというのとは、別次元の出来事であり、ここで芭蕉ばしょうが言いたかったのは歴史ではなく、「場」というものが俳諧はいかいには不可避ふかひであるという一事にほかならなかった。そう思うと「文台引おろせばすなわち反故」は、芭蕉ばしょうの時間感覚の中に、「場」を含むふく 形で時間が流れつづけていたことの証言と受け取れよう。
 「場」といっても、空間的拡がりの形態をとった「場」を思い描いおも えが てみることはたやすい。空間的な延長線が、特定の原理基準に基づいて限定され、塞き止めせ と られて囲壁いへきわくができれば、すぐに「場」が成立する。「場」は限定、区劃くかくされているが、固定してはいずに絶えず更新こうしんされ、変形してゆくものでもある。「場」は地盤じばんではない。そこからすれば、「場」は時間的な「場」でもあるだろう。芭蕉ばしょうの『おくのほそ道』の旅も、絶えず入れ替りい かわ 改まる「場」を方々と求めたさすらいの歩みであったが、これについては後で考えてゆくことにしたい。その旅先で土地の俳人にもてなされ、人々寄り集って一巻の歌仙かせんを巻いた情景ともなれば、明らかに連衆によって形づくられた「場」が見えてくるし、従前からこの「場」は「座」として語られてきた。
(中略)
 一年三百六十五日、この物理的な年の長さにおいて、祝祭の時間の占めるし  割合はごく僅かわず 、短いのが通例であろう。長々といつま
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でも祭が続き、終ったとも終っていないとも取れる曖昧あいまいさが生じたりすれば祭は堕落だらく、変質する。祭の特色は時間的に限定され、純粋じゅんすいであることであり、短い時間のあいだしか持続しないことである。たとえ数日に亙っわた て祭が催さもよお れても、過ぎたあとで思い返してみれば、短かった、あっという間に過ぎ去ったという一抹いちまつの思いが残るのが祭なのだ。」に対して「晴」の時間が、「ぞく」に対して「聖」の時間が負ったのは、内的な魔性ましょう霊力れいりょくとその時間的な短さである。一瞬いっしゅんの燃焼のうちにすべてが成るか然らざれば無という極点的な思想までも含めふく て、そこには短いもの、小なるものへと向かって凝縮ぎょうしゅくしてゆく力がはたらいている。松尾まつお芭蕉ばしょう俳諧はいかいと名付けられる詩のわざに時間的な「場」を設定したが、そのことを通じて――時間の構造を通じて――小なるものに封じ込めふう こ られた重さを感じとっていた。それがかれの詩人的な存在理法についての認識であったという風に私は解したい。

(高橋英夫『ミクロコスモス――松尾まつお芭蕉ばしょうに向って』より)
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a 長文 6.1週 nnga
一番目の長文は暗唱用の長文で、二番目の長文は課題の長文です。
 経済学の父アダム・スミスはこう述べています。「通常、個人は自分の安全と利得だけを意図している。だが、かれは見えざる手に導かれて、自分の意図しなかった公共の目的を促進そくしんすることになる」。ここでスミスが「見えざる手」と呼んだのは、資本主義を律する市場機構のことです。資本主義社会においては、自己利益の追求こそが社会全体の利益を増進するのだと言っているのです。
 経済学者の「悪魔あくま」ぶりがもっとも顕著けんちょに発揮されるのは、環境かんきょう問題に関してでしょう。多くの人にとって、資本主義が前提とする私的所有制こそ諸悪の根源です。環境かんきょう破壊はかいとは、私的所有制の下での個人や企業きぎょうの自己利益の追求によって引き起こされると思っているはずです。
 だが、経済学者はそのような常識を逆なでします。私的所有制とは、まさに環境かんきょう問題を解決するために導入された制度だと言うのです。
 『かつて人類はだれのものでもない草原で自由に家畜かちくを放牧していました。家畜かちくを一頭増やせば、それだけ多く肉や皮やミルクがとれます。草原はだれのものでもないので、家畜かちくが食べる牧草はタダです。確かに一頭増えれば他の家畜かちくが食べる牧草が減り、その発育に影響えいきょうしますが、自由に放牧されている家畜かちくの中で自分の家畜かちく占めるし  割合は微々たるびび  ものです。それゆえ、人々は草原に牧草がある限り、自分の家畜かちくを増やしていくことになります。その結果、牧草は次第に枯渇こかつし、いつの日か無数の痩せこけや   家畜かちくがわずかに残された牧草を求めて争い合う事態が到来とうらいすることになると言うのです。』
 これこそ「元祖」環境かんきょう問題です。そして経済学者は、それは、自然のままの草原がだれの所有でもない共有地であるがゆえの悲劇であると主張します。環境かんきょう問題とは「共有地の悲劇」だと言うのです。
 『事実もし草原が分割され、その一画を牧場として所有するようになると、その中の家畜かちくはすべて「自分の」家畜かちくとなります。
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その時さらに一頭飼うかどうかは、その一頭が新たに牧草を食べることによって、牧場内の他の家畜かちくの発育がどれだけ影響えいきょうを受けるかを勘案かんあんして決めるようになるはずです。もはや牧草はタダではありません。他人に牧場を貸したり売ったりする時でも、その中の牧草の価値に応じた賃料や価格を請求せいきゅうするようになるはずです。牧草は合理的に管理され、共有地の悲劇から救われることになります。私的所有制の下での自己利益の追求こそが環境かんきょう破壊はかいを防止することになると言うわけです。」
 「悪魔あくま」の一員だけあって、経済学者の論理は完璧かんぺきです(私自身この論理を三十年間教えてきました)。実際、一九九七年の地球温暖化防止に関する京都議定書は、この論理を取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの排出はいしゅつわくを権利として割り当て、その過不足を売買することを条件付きで許したのです。
 ここでは温暖化ガスが汚染おせんする大気は家畜かちくが食べ荒らすあ  牧草に対応し、各国が売買しうる排出はいしゅつわく牧畜ぼくちく家が所有する牧場に対応しています。すなわち、それは大気という自然環境かんきょうに一種の所有権を設定することによって、それが共有地である限り進行していく温暖化という悲劇を解決しようとしているのです。
 では、これで環境かんきょう問題はすべてめでたく解決するのでしょうか?
 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、経済学者の論理が作動しえない共有地を抱えかか ているのです。
 それは「未来世代」の環境かんきょうです。

岩井克人「未来世代への責任経済学の「論理」と環境かんきょう問題の「倫理りんり」による)
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長文 6.1週 nngaのつづき
 能を見るとわかるが、能役者の足の動きは独特である。スーッと一歩足が出る時は足の指が全て内側へまがっている。しかも出きるまでは舞台ぶたいの板にぴったりとはりついている。ところが足が出きったところでスーッとつま先が板をはなれて、かかとを板につけたまま足が空中にうく。そのときは足の指が全部真直ぐになる。そしてそうなった足がポンと舞台ぶたいの板へおちるのである。
 この足のはこびができない。いくら稽古けいこしてもできない。ところがほかのことにはやかましい師匠ししょうがこのことだけはなにも注意しないのである。後で考えるとこの足の動きは体全体の構えができると自然にできるらしいので、体全体の構えもできないうちに足だけできるわけがないから注意しなかったらしいのだが、私はそんなことはわからないから、なんとか覚えたいと思った。私がそう思ったのは、師匠ししょうの足が実にきれいだからであったし、たまたま見につれて行かれた師匠ししょう師匠ししょうであった梅若実の舞台ぶたいの足がたとえようもなく美しいものだったからである。私は足の動きにたましいをうばわれたといってもいい。あの足、あの動き、あれができたらなアといつも思った。(中略)
 日常現実の生活では、人間は絶対にあんな足の動きはしない。あの足の動きは不自然でグロテスクで普通ふつうの人間の足というものの働きを封じこめふう   拒否きょひしている。この拒否きょひの地点に実は、どんな役にも変化する変換へんかんの構造が仕掛けしか られている。あの何者にもなりうる白紙の可能性とは、逆にいえば何者にもならないということをふくんでいるのであり、その前提にはきびしい自己否定がある。その前提があり、前提があるゆえに変換へんかんの構造が成立している。そして変換へんかんの構造があるからこそ、能役者は観客の目の前で女から急に男になったり、化けものだと思うとたちまち人間になったりできるのである。
 そしてこの構造に対置しているもう一つの関係は、型とその型の美しさである。大体私はこんな理屈りくつを考えながら師匠ししょうや梅若実の足を見ていたのではない。私が夢中になって足を見ていたのは、ひたすら足の動きが美しかったからである。そこには人の心を奪ううば 異様な力がある。そしてその力を追求していくとそこに型というものがうかび上がる。私にとってはこの道筋は変えようがないものだ
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ったが実をいうと逆かも知れない。型をくりかえしているうちにあの力が生まれる。あの力が型を生むのではなくて、型が力を生む。実際にはそういうことだろう。型へ体をはめこむことによって型をこえる力に到達とうたつする。しかしどっちにしても型がなければ、力はうまれようがない。型こそが全てを可能にするのであり、自然の、あるいは現実の体というものを能役者が拒否きょひできる根拠こんきょは、この型というものなのである。
 これが日本人の少なくとも能役者の考え出した身体に対する思想である。この思想のもとには、人間の自然、身体というものへの否定がある。身体の生理というものが穢れけが たものだという考えがそこにあるのだろう。そういうことを考えると私はいつも明治の批評家の言葉を思い出す。日本人の日常生活にようやく洋服が浸透しんとうしてきた時に、この批評家は洋服は体の線があらわになるから浅ましいといったのである。今ならばなぜ人間の体の線が浅ましいかということになるだろう。しかし、それが日本人のながい間の考え方であった。そうだったからこそ日本人の衣服というものは、体の線をかくすようにかくすようにと発達もしてきたし、そこに独特の美学をもちつづけてきた。(中略)
 この身体の思想は西欧せいおう近代のたとえばデカルトの示した精神と肉体の二元論とは、全く対照的なものである。精神と肉体が全く別の次元にあるのではなく、現実の肉体をこえてあらわれたもう一つの身体というものが、実は精神的なものだったからである。その体ははじめから日常自然の体を拒否きょひし、その体をこえることによって身体というものに対する意識をかえる。精神と肉体を止揚しようするというような弁証法的なものですらない。その身体自体がすでに精神的なものであり、だから精神とのコミュニケーションというようなことが可能なのである。

渡辺わたなべ保『舞台ぶたいという神話』による)
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a 長文 6.2週 nnga
 コンピュータにかぎらず、複雑なハイテク機器を自由に使いこなすということは容易なことではない。しかしだからといって、そういう機器を使いこなせる人は、「機械につよい人」だけだとして、「ふつうの人」や「機械によわい人」は「使えなくて当たりまえ」と考えたり、「使えないのは本人が不器用だからだ」とか「頭が悪いからだ」としてあきらめていたのでは、世の中はちっともよくならないだろう。いつまでも、わけのわからない、使い勝手の悪い製品が市場にあふれ、ごく一部の人たちだけが技術の成果を享受きょうじゅしているにとどまってしまう。
 ここはやはり発想を変えて、「使いにくい、わかりにくいのは機械が悪い」と、堂々と言える文化を創り出す必要がある。(中略)
 本来は、ほんとうのシロウトこそが「王様」なのだ。そういうフツウの人が「使いにくい機械」は、まさに「機械がわるい」のであり、そういう機械を平気で世に出すメーカーが悪いのだ。しかも、宣伝では「だれでもすぐ使える」だの、「何にも知らんけど、やってみよう」などと言い、コンピュータとはおよそえんのなさそうな芸能タレントが得意げにコンピュータを操作しているテレビコマーシャルを流しているが、いざ買ってみたものの、どうしていいかわからず、途方とほうにくれる消費者が続出しているという事態は、放っておいていいことではない。
 今日のコンピュータを中心としたテクノロジーの横暴さを人間の立場から批判し、方向付けを示すということは、実はユーザー(つまり一般いっぱん市民)の責任なのである。「テクノロジーは本来人間のためであり、使いやすく、わかりやすいものであるべきだ」ということ、「間違えまちが たり、勘違いかんちが したりすることは、機械のほうを改善すべきことなのだ」ということを、きちんと自覚して、メーカーにうったえ、子どもたちにもはっきり教えておくべきである。
 このためになによりもまずテクノロジーの産物としての道具は、すべて人間にとって使いやすく、親しみやすく、身体に「馴染みなじ やすい」ものであるべきだという考えをはっきり表明し、しっかりほりさげておくべきであろう。このような考え方は、一般いっぱん的にはユーザー中心主義とよばれている。
 さて、ここで手始めに、ユーザーの側から道具に対する注文をつけてみよう。
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 道具というのは、ユーザーの勝手な注文としては、少なくとも次の三つの条件を満たしてほしい。
(1)道具は人間の代用物ではないし、人間に「かくあるべし」とか「こうすべきだ」という価値判断の基準を示すものであってはならない。(規範きはん性)
(2)道具は人が何かの作業(当然それは道具の「外」の世界の仕事)を達成しようとしたとき、その達成を支援しえんする手段として有効に機能してくれるものでなければならない。(手段性)
(3)道具はしばらく使っているうちに「使っている」という意識がなくなり、それを使って実行している作業そのものに集中できるものでなければならない。(透明とうめい性)
 コンピュータが道具だと主張することは、当然これらの条件、すなわち規範きはん性、手段性、そして透明とうめい性の条件を満たすべきだということである。
 このような道具観は、青山学院大学の鈴木すずき宏昭ひろあき氏によると、「奴隷どれいとしての」道具観だという。要するに「主人に命令するな、でしゃばるな、やるべきことは気づかないところでだまってやれ」と注文しているようなものだという。鈴木すずき氏によると、人びとのこういう道具観は、ちょっと複雑な道具になると、「こんなもの使えん」といって投げ出したり、そうかと思うと逆に、「手なずける」ためには、講習会かなにかで「徹底てってい訓練」を受けるしかないと思い込むおも こ ことになるのだという。
 これは、たしかにもっともな主張であるが、ともかく、コンピュータをなんだかすごい「知能」をもった機械だとか、おそるおそる「ごきげんをうかがう」べきご主人さまというようなイメージが根強いときには、「ほんとうは、しょせん道具なんですよ。あなた自身が主人なんですよ」という発想をしてみることから、コンピュータのあり方を考えてみるのは十分意味があるだろう。
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a 長文 6.3週 nnga
 井戸端いどばた園の若旦那わかだんなが、ある日、私に話してくれました。
 「施肥せひ充分じゅうぶんで栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きさ ません。」
 花は、言うまでもなく植物の繁殖はんしょく器官、次の世代へ生命を受け継がう つ せるための種子をつくる器官です。その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚げんかくできるほどの、エネルギーの充足じゅうそく状態が内部に生じるからでしょうか。
 死を超えるこ  ことのできない生命が、超えよこ  うとするいとなみ――それが繁殖はんしょくですが、そのいとなみを忘れさせるほどの生の充溢じゅういつを、肥料が植物の内部に注ぎこむことは驚きおどろ です。幸福か不幸かは、別として。
 施肥せひを打ち切って放置すると、茶の木は再び花を咲かせるさ   そうです。多分、永遠を夢見させてはくれないほどの、天与てんよの栄養状態に戻るもど のでしょう。
 茶は、もともと種子でふえる植物ですが、現在、茶園で栽培さいばいされている茶の木のほとんどは挿し木さ きもしくは取り木という方法でふやされています。
 井戸端いどばた園の若旦那わかだんなから、こんな話を聞くことになったのは、私が茶所・狭山さやま引越しひっこ た年の翌春、彼岸ひがんごろ、たまたま、取り木という苗木なえぎづくりの作業を、家の近くで見たことがきっかけです。
 取り木は、挿し木さ きと、ほぼ同じ原理の繁殖はんしょく法ですが、挿し木さ きが、枝を親木から切り離しき はな て土に挿しさ こむところを、取り木の場合は、皮一枚つなげた状態で枝を折り、折り口を土に挿しさ こむのです。親木とは皮一枚でつながっていて、栄養を補給される通路が残されているわけです。
 茶の木は、根もとからたくさんの枝に分かれて生長しますから、かまぼこ型に仕上げられた茶の木のうねを縦に切ったと仮定すれば、その断面図は、枝がまるでおうぎでもひろげたようにひろがり、えんが、密生した葉で覆わおお れています。取り木は、その枝の主要な
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ものを、横に引き出し、中ほどをポキリと折って、折り口を土に挿しさ こみ、地面に這っは た部分は、根もとへと引き戻さひ もど れないよう、逆U字型の割り竹で上から押さえお  、固定します。土の中の枝の基部に根が生えたころ、親木とつながっている部分は切断され、一本の独立した苗木なえぎになるわけですが、取り木作業をぼんやり見ている限りでは、尺余の高さで枝先の揃っそろ ている広い茶畑が、みるみる、地面に這いつくばっは     てゆくという光景です。
 もともと、種子でふえる茶の木を、このような方法でふやすようになった理由は、種子には変種を生じることが多く、また、交配によって作った新種は、種子による繁殖はんしょく繰り返しく かえ ている過程で元の品種のいずれか一方の性質に戻るもど 傾向けいこうがあるからです。(中略)
 「随分ずいぶん、人間本位な木に作り変えられているわけです。」若旦那わかだんなは笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養生長という状態に置かれている。」とつけ加えてくれました。
 外からの間断ない栄養攻めせ 、その苦渋くじゅうが、内部でいつのまにか安息とうたた寝   ねに変わっているような、けだるい生長――そんな状態を私は、栄養生長という言葉に感じました。
 で、私は聞きました。
 「花を咲かせさ  て種子をつくる、そういう、普通ふつうの生長は、何と言うのですか?」
 「成熟生長、と言ってます。」
 成熟が、死ぬことであったとは!
 栄養生長と成熟生長という二つの言葉の不意打ちにあった私は二つの生長を瞬時しゅんじに体験してしまった一株の茶の木でもありました。(中略)
 その後、かなりの日を置いて、同じ若旦那わかだんなから聞いた話に、こういうのがありました。
 ――長い間、肥料を吸収しつづけた茶の木が老化して、もはや吸収力をも失ってしまったとき、一斉いっせいに花を咲きさ 揃えそろ ます。
 花とは何かを、これ以上鮮烈せんれつに語ることができるでしょうか。
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a 長文 6.4週 nnga
長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。
 パリとロンドンを往復したたくさんの書簡において、熊楠くまぐすが書いていることの中でも、もっとも重要なのは、事という概念がいねんをめぐるかれの思考である。ここには、とても現代的な思考法を、みいだすことができる。熊楠くまぐすはその考えを、まず自分の考える学問の方法論として、語り出している。
 熊楠くまぐすの考えでは、事は心と物がまじわるところに生まれる。たとえば、建築などというものも、事である。その場合、建築家は自分の頭の中に生まれた非物質的なプランを、土や木やセメントや鉄を使って現実化しようとするだろう。建築物そのものは物だけれども、それは心界でおこる想像や夢のような出来事を実現すべくつくりだされた。つまり、それはひとつの事として、心と物があいまじわる境界面のようなところにあらわれてくる現象にほかならないことになる。
 このプロセスは、もっと精密に研究してみることもできる。建築家は設計図を描くえが 。そして、その設計図をもとにして、建築の物質化が実行される。このときの設計図もまた、事なのである。設計図は、建築家の頭の中に浮かんう  だアイディアを、明確な構造をもった透視とうし法の中に定着させるものだ。ここでは「設計図の描きえが 方」という表現法自体が、アイディアの物質化をたすけている。だから、そこでも心と物が、出会っている。そうなると、建築という行為こういそのものが、幾重にもいくえ  積み重ねあわされた事の連鎖れんさとして、できあがっていることがわかる。記号や表象が関係しているものは、こうして考えてみると、すべて事なのだということが、はっきりしてくる。
 いまの学問にいちばん欠けているものは、この事の本質についての洞察どうさつだ、と熊楠くまぐすは考えた。かれの考えでは、純粋じゅんすいなただ心だけのものとか、純粋じゅんすいにただ物だけのもの、というのは、人間の世界にとっては意味をもたず、あらゆるものが心と物のまじわりあうところに生まれる事として、現象している。しかも、心界における運動は、物界の運動をつかさどっているものとは、違うちが 流れと原理にしたがっている。このために物界では、因果応報ということが確実におこるのに、純粋じゅんすいな心界でも因果応報がおこるとは限らないのだ。たとえその人の心に悪い考えがおこったとしても、その考えが物界と出会って、そこにたしかな事の痕跡こんせきをつくりだし、物界の流
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れの中に巻き込まま こ れてしまうことがなかったとしたら、そのことだけでは、けっして将来に報いをつくりだすとは限らない。
 事は異質なものの出会いのうちに、生成される。そして、その事が、ふたたび心や物にフィードバックして働きかける過程の積み重ねとして、人間にとって意味のある世界は、つくりだされてくる。熊楠くまぐすはこの事の連鎖れんさの中から、ひとつの原則がみいだせるはずだと考えた。
 ここで熊楠くまぐすが考えていることは、とても大きな現代的な意味をもっている。まずかれは、人間の心の働きが関係するいっさいの現象についての学問にとって、いちばん重要な意味をもつのは事であるけれども、この事は対象として分離ぶんりすることができない構造をもっている、と言っているのだ、心界におこる動きが、それとは異質な物界に出会ったとき、そこに事の痕跡こんせきがつくりだされる。しかし、その事はもともと心界の動きにつながっているものだから、心界の働きである知性には、事を物のように対象化してあつかうことはできないのだ。しかし、その分離ぶんり不可能、対象化不可能なダイナミックな運動である事をあつかうことができなければ、どんな学問でも、自分は世界をあつかっているなどと、大口をたたくことはできなくなるわけだ。
 ここには、二十世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点が、すでに熊楠くまぐす独自の言い回しによって、はっきりと先取りされている。

中沢なかざわ新一『森のバロック』による)
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長文 6.4週 nngaのつづき
 人間が、他の動物においては例外なくそうであるような、完全に特殊とくしゅ化された器官や本能をそなえていないこと、自然のままの状況じょうきょうに適応することによって生存してゆくことはできないこと、このことは、人間にとっては環境かんきょう世界なるものが存しないことを意味している。動物が個々の状況じょうきょうに面していかに行動してゆくべきかを決定するのは、かれの内なる自然そのものであった。それに反して、人間が自然のなかで生存しうるためには、かれ自身が自分の行動によって状況じょうきょうを変えてゆかなければならない。言いかえれば、動物に対しては自然が、始めからそれぞれの環境かんきょう世界をあたえているのであるが、人間は自然に対してはたらきかけることによって、初めて自分の生活環境かんきょうを作り出さなければならない。この人間のはたらきによって形成されるもの、それが広い意味での文化とよばれうるならば、文化をもつことは人間にとって生物学的に必然である。そしてこの文化世界のほかに、自然のままの環境かんきょう世界なるものは人間にとって本来的に存しえない。極言すれば、人間には自然はないのである。しかも環境かんきょう世界と違っちが て、もはや人間という種に共通のものとして一定の文化世界があるわけではなく、それぞれの民族や社会集団がそれぞれ別の文化形態を作るのである。
 このように見てくると、人間においては動物の場合とは本質的に違っちが た意味での自発性ということが考えられなければならない。すなわち、環境かんきょう世界からの刺戟しげきに対する反応として、すでに自分のなかにそなわっている本能によって行動するという意味での自発性「物体の運動との対比において」ではなくて、むしろ逆に、本能的な直接性が欠如けつじょしていることにおいて成立する自発性、少し逆説的な言い方になるが、直接の動因が与えあた られていないがゆえに行われなければならぬ自発性である。これは知覚の面でも運動の面でも見られる。
 われわれの知覚世界は、たんに受動的に成立しているものではなく、われわれによって構成されたものである。動物は生存に必要な刺戟しげきしかうけないのに反して、人間はもともと刺戟しげき過剰かじょうの状態にあり、生活を順調にいとなむためにはこの不均衡ふきんこうを何らかの形で
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克服こくふくしてゆかねばならない。幼児心理学によれば、産児は最初のうちはたいていの刺戟しげきに対して不快感の反応を示す。うぶ声も苦痛感の表現にほかならないと言われている。そこでまずこの「制」の充満じゅうまんがいちおう遮蔽しゃへいされることになる。ある実験報告によれば、音の刺戟しげきに対し、二ヵ月かげつ目にはかなりの程度まで不快さなしに耐えるた  ようになり、さらに三ヵ月かげつころからは無関心でいることができるようになる。この無関心さの程度は、拒否きょひ的および志向的な「反応」との割合において、始めは増大してゆき、八ヵ月かげつころ最大になる。この段階を経たうえで、こんどはそれらの「制」を加工してゆく能力が発達し始める。それはほぼ十ヵ月かげつころから見られ、積極的に外界に向かう態度が明確になって、手でものをつかむ運動が発達してゆくのと並行している。幼児におけるこの経過はもちろん「無意識的に」おこなわれることである。しかし人間が生活の必要にとっては過剰かじょう刺戟しげきに対し、それを自分のはたらきによって処理し秩序ちつじょづけ加工して、みずからの知覚世界を構成してゆく、その最初の段階がここに見られるのである。そのはたらきのより進んだ段階における重要な道具が言語にほかならない。われわれは知覚されるさまざまのものに対して言語その他の記号をもっておきかえ、その記号にともなう表象とその意味の理解によって対象世界を体系化してゆく。これがわれわれの認識活動である。

(山本信『形而上学けいじじょうがくの可能性』より)
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