長文集  5月2週  ★「民族」と「国家」の違いを(感)  nnga2-05-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】民族と国家の違いをはっきりとして
おく必要があります。日本では、指導的な政
治家で「日本は単一民族国家だから……」と
いうことをいまだに何度でも言う人がいます
けれども、これは事実に反します。他国と比
べて一つの民族が占めている割合が圧倒的に
大きいことは確かです。【2】しかし、九七
年の札幌地裁の判決 は、アイヌの人々を少
数民族集団として法的に認定しました。いわ
ゆる二風谷(にぶだに)裁判です。それから
同じ年に「アイヌ新 法」と俗称される長い
名前の法律「アイヌ文化の振興並びにアイヌ
の伝統等に関する知識の普及及び啓発に関す
る法律」ができまし た。
 【3】つまり立法府や裁判所は、日本が単
一民族国家でないということをはっきり法的
に確認しているのです。そのほか私たちの身
近なところに、外国出自の日本国籍所有者の
人々も――日本国籍を持っていない外国人の
処遇の問題は、また別の問題ですが――たく
さんいるのです。
 【4】近代国家をつくっているのは民族で
はなくて国民なのだということを、国家と個
人の関係を考える場合の大前提にしなければ
いけないのです。その辺の筋目があいまいな
ままの議論が多いのではないだろうか、と日
ごろ感じています。
 【5】その上で国家と個人それぞれにとっ
て、最近、国境の敷居が低くなってきている
。プラスとマイナスの両方含めてです。独裁
者も、国境の壁に守られて安閑としていられ
なくなっています。アジアの独裁者があっと
いう間に権力を失うという例が続きました。
 【6】しかし、国境の壁が低くなれば、批
判の自由が入ってくると同時に、他方で経済
万能の力が入ってくるということにもなりま
す。これまで、それぞれ国民国家単位でいろ
いろな試行錯誤を経てつくり上げてきた生活
のための条件が大波に洗われる。【7】雇用
の条件、社会保障の水準、年金制度、こうい
うものが「経済のグローバリゼーションの中
で立ち行くためには、そんなぜいたくなこと
は言っていられないぞ」という形で押し流さ
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れはじめます。∵
 そういう理由で国家というものの影がだん
だん薄くなってくる。【8】国家の影が薄く
なると、お金とか宗教とか民族とかこういう
ナマの力が、公共社会をそれだけ強くつかま
えることになります。考えてみれば近代国家
は、まず宗教から国民を解放しました。次 
に、一九世紀以降、とりわけ二〇世紀に入っ
てきますと、お金の力を相対化させるために
、生存権とか労働基本権とかをつくる。【9
】特に複数の民族が共存しているようなとこ
ろでは、それがぶつかり合わないために、た
とえば連邦制というようなものを工夫してき
ました。
 宗教とかお金とか民族は、それぞれはもち
ろん価値のあるものです。【0】しかし、そ
れとしては価値のあるものだけれども、民族
とか宗教とかお金とかが丸ごと公共社会を乗
っ取ってしまってはいけないでしょう。
 スイスのある学者は、「国家を民族の人質
にしてはならない」という言い方で、問題を
鋭く指摘しています。その傾向に対してどう
いう歯どめをかけるか。言うまでもないこと
ですけれども、今世界中で悲劇のもとになっ
ている宗教の争い、あるいは民族紛争という
のは、国家が強過ぎるからではなくて国家が
弱いからです。場合によっては、国家がそう
いう宗教とか民族にハイジャックされ、その
意のままに動かされている。
 それに対して、本来ホッブズ以来の社会契
約の論理が私たちに説明してくれたような国
家を復権させる。最近の論壇では国家は非常
に評判が悪く、国家の相対化は非常に評判が
いいのですけれども、今言ったような側面を
踏まえた議論でないとおかしなことになりま
す。
 国家が出てくるべきところで出てこないで
、本来は出るべきでないところに出しゃばる
。これが前に触れた一九九九年の「国旗・国
歌法」の立法過程で問題にされたことです。
 国民経済をグローバルスタンダードの荒波
から守る場面では「国家は、もう何もしない
よ。みんな自助努力でやりなさい」と言いつ
つ、「日の丸・君が代は、ちゃんとやらなく
ちゃだめだよ」という取り合わせになってい
ます。本来はその逆でなくてはいけないので
はないかということです。(以下省略)
 
 (樋口陽一『個人と国家』)