1. 【1】
芭蕉はこう言っている――連句の席にのぞんだときには、文机を前にして
間髪を入れず句を作るのであって、迷っては
駄目である。作りおわって文机から句を引きおろせば、すでにそれは反故でしかない。【2】――もちろんこれは、その
一瞬に持てる力量のすべてを燃やしきらねばならないという意味であり、
誰にも
首肯できる作者の
覚悟だが、しかしそれとは別に、そこで成った句は、いかに名作であっても「文台引おろせば
即反故
也」なのだろうか。【3】おそらくこの言葉も、名作は記録されて後にのこるということと別に
矛盾する言説ではあるまい。作品が録されて後世に伝わる、すなわち
俳諧の歴史と、
俳諧の場はその成立の
一瞬の中にあるというのとは、別次元の出来事であり、ここで
芭蕉が言いたかったのは歴史ではなく、「場」というものが
俳諧には
不可避であるという一事にほかならなかった。【4】そう思うと「文台引おろせば
即反故
也」は、
芭蕉の時間感覚の中に、「場」を
含む形で時間が流れつづけていたことの証言と受け取れよう。
2. 「場」といっても、空間的拡がりの形態をとった「場」を
思い描いてみることはたやすい。【5】空間的な延長線が、特定の原理基準に基づいて限定され、
塞き止められて
囲壁や
枠ができれば、すぐに「場」が成立する。「場」は限定、
区劃されているが、固定してはいずに絶えず
更新され、変形してゆくものでもある。【6】「場」は
地盤ではない。そこからすれば、「場」は時間的な「場」でもあるだろう。
芭蕉の『おくのほそ道』の旅も、絶えず
入れ替り改まる「場」を方々と求めたさすらいの歩みであったが、これについては後で考えてゆくことにしたい。【7】その旅先で土地の俳人にもてなされ、人々寄り集って一巻の
歌仙を巻いた情景ともなれば、明らかに連衆によって形づくられた「場」が見えてくるし、従前からこの「場」は「座」として語られてきた。
3.(中略)
4. 【8】一年三百六十五日、この物理的な年の長さにおいて、祝祭の時間の
占める割合はごく
僅か、短いのが通例であろう。長々といつま∵でも祭が続き、終ったとも終っていないとも取れる
曖昧さが生じたりすれば祭は
堕落、変質する。【9】祭の特色は時間的に限定され、
純粋であることであり、短い時間のあいだしか持続しないことである。たとえ数日に
亙って祭が
催されても、過ぎたあとで思い返してみれば、短かった、あっという間に過ぎ去ったという
一抹の思いが残るのが祭なのだ。【0】「
褻」に対して「晴」の時間が、「
俗」に対して「聖」の時間が負ったのは、内的な
魔性の
霊力とその時間的な短さである。
一瞬の燃焼のうちにすべてが成るか然らざれば無という極点的な思想までも
含めて、そこには短いもの、小なるものへと向かって
凝縮してゆく力がはたらいている。
松尾芭蕉は
俳諧と名付けられる詩のわざに時間的な「場」を設定したが、そのことを通じて――時間の構造を通じて――小なるものに
封じ込められた重さを感じとっていた。それが
彼の詩人的な存在理法についての認識であったという風に私は解したい。
5.(高橋英夫『ミクロコスモス――
松尾芭蕉に向って』より)