長文 6.2週
1. 【1】日本の矯正きょうせい制度は、世界的に見て例のない優れたものだと言われている。
2. (中略)
3. 受刑じゅけい者は教科教育や通信教育を受けることができ、意欲のある者は大学入学資格検定の受験指導さえ受けられる。少年刑務所けいむしょ見学の際など、アジ研(注1)研修生一同が大いに感激するのが、この教育指導態勢である。
4. 【2】職業訓練も受けられる。板金、溶接ようせつ、電気工事、自動車整備、建築、左官、木工、ボイラー運転、建設機械、理容、美容、自動車運転、介護かいごサービス等々、五〇以上の種目が実施じっしされている。ただ、刑期けいきが短すぎると刑期けいき内では免状めんじょうが取れないため、実施じっしできないのがジレンマだという。
5. 【3】「ここで頑張っがんば 免状めんじょうを取りますとね、社会に出た後まずここに戻っもど てくることはありません」
6. 誇らしげほこ   に語る刑務けいむ官の顔が輝いかがや ている。
7. 受刑じゅけい者から「親父さん」と慕わした れ、親身になってその更生こうせいに取り組んでいる彼らかれ 。【4】刑務所けいむしょ敷地しきち内にある官舎に住む義務が課され勤務は24時間態勢である。仕事に対する彼らかれ 誇りほこ 生き甲斐い がいは、親子二代の刑務けいむ官が多いことをもってしても知れる。こういう地味な仕事がもっと評価されてもいいのではないかと、筆者は常々思うのである。
8. 【5】大方の受刑じゅけい者は刑務けいむ作業に就くが、作業内容についてはそれぞれの適性が考慮こうりょされる。コンピュータや経理は知能の高い受刑じゅけい者用だが、反対に、知能が劣りおと 手先が不器用な者もそれぞれに合った作業をそれぞれのペースで進めている。【6】協同作業は無理なため、自室で黙々ともくもく ふくろ貼りは に精を出している受刑じゅけい者もいる。
9. 「料理好きな受刑じゅけい者を厨房ちゅうぼう担当にすると嬉しうれ がって、限られた予算の中で実にうまく作るんだけど、楽しいことをさせると刑罰けいばつにはならないのではと考え出すと難しい問題で……」といったこともあるらしい。【7】刑務けいむ作業製品CAPIC(キャピック)ブランド∵は、工芸家具から日用雑貨に至るまで、豊富な品を揃えそろ 市価よりかなり安い値段で提供している。検事にこのブランドくつの愛用者がかなりいる。
10. 刑務けいむ作業は私企業しきぎょうから委託いたくを受けて行うものだから、好不況ふきょうの波によって影響えいきょうを受けるのは当然である。【8】元々産業のない所であればなおさら、刑務けいむ官は刑務けいむ作業を確保するため、頭を下げて私企業しきぎょうを回りもする。
11. 刑務所けいむしょを見ればその国の文化がよくわかる、そうである。
12. 確かに、刑事けいじ司法の運用実態も、国民の人権感覚も国の経済状態も、あるいは国民性そのものも、それは一目で映し出す鏡かもしれない。(中略)
13. 【9】けいが必要以上の苦役になるのは許されないが、必要な苦役であることは、それがけいである以上当然である。彼らかれ はそれ相応の罪を犯して刑務所けいむしょに入ったのである。その背後には、彼らかれ によって精神的肉体的に苦しんでいる被害ひがい者がいる。【0】直接の被害ひがい者のない、例えば覚せいざいの自己使用のような罪であっても、社会の規範きはん被っこうむ た以上、その償いつぐな をしなければならない。それは、更生こうせいし二度と過ちを犯さないことである。
14. 矯正きょうせいに流れているのは、フット教授(注2)がいみじくも指摘してきした厳父と慈母じぼの精神である。この温情主義は放任主義のまさに対極に存在するものなのである。

15.(出典:佐々木ささき知子『日本の司法文化』)

16.(注1)アジ研――国連アジア極東犯罪防止研修所。国連機関のひとつで東京の府中市にあり、発展途上とじょう国―主にアジア、アフリカ、オセアニア、中南米―の刑事けいじ司法実務家に研修を実施じっしする。この文章の筆者は、同研修所教官を経験している。
17.(注2)フット教授――日米比較ひかく刑事けいじ司法の研究者。