長文集  6月3週  ★人間と人間とのかかわり(感)  nnga2-06-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】人間と人間とのかかわりというもの
は相互的な環境関係である。A、Bふたりの
人間がいるとき、AはBにとっての環境の一
部であり、BはAにとっての環境の一部だ。
人間関係というのは、人間がたがいに他人に
とっての環境である、という関係のことであ
る。【2】その主体と環境とが、シンボル的
交渉をおこなうときにうまれる関係が、コミ
ュニケイション過程というものだ。読む能力
と書く能力とのあいだに落差がある、という
ことは、この文脈のうえでかんがえてみると
、社会のぜんたいのなかのある部分は、しき
りと人工的情報を発するが、【3】すくなか
らぬ部分は、発信能力をほとんどもたず、も
っぱら受信専門で生活している、ということ
を意味する。あるいは、人間相互がとりむす
んでいる環境関係のなかに、大きな歪みがあ
る、ということを意味する。
 【4】これは、ぐあいのわるいことではな
いか。字が読めるけれども、書けない、とい
うことは、いわば、着信専用電話のごときも
ので、まさしくそのことこそ、現代のわれわ
れが社会的情報によって一方的にうごかされ
ているということの象徴であるように思われ
る。
 【5】ジョージ・オウエルは『1984年
』のなかで、極端に一方的に集中された情報
管理社会のすがたをえがいた。そこでは、「
偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザーズ)」とい
う名の人格化された中央管理装置が、ひとり
ひとりの人間の行動を個別的にテレビ・カメ
ラによって監視している。【6】全国民的な
体操の時間に、体操をさぼっている人間を見
つけると、「偉大なる兄弟」は、スピーカー
をつうじて叱りつける。いつも、一方的に監
視されている人間に は、それに対抗する手
段もない。ただ、諾々として、その命令に服
するだけだ。【7】いや、そもそも、対抗と
いう思想をこれっばかしでも心のなかに抱く
人物の存在を『1984年』の世界はゆるさ
ないのである。
 オウエルの世界は、もちろん、痛烈な風刺
をふくむ空想科学小説であって、それは、と
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うてい、ありうる話とは思えない。【8】そ
の発想は、奇想天外である。しかし、われわ
れの情報行動が、情報を∵「うける」ことだ
けに終始するかぎり、『1984年』的な状
況にちかい状況が、われわれのまわりに発生
しないとはかぎらな い。
 【9】そして、その兆候はこの本のなかで
くりかえしのべたように、現代のわれわれの
あいだに、うまれかけているようにもみえ 
る。われわれは、専門的な情報の生産者のつ
くるもろもろの情報、すなわちイメージだの
意見だのを消費する。【0】いや、まえにみ
たように、もろもろの「商品」じたいも観念
化されているから、こんにちでは、商品やサ
ーヴィスの消費じたいが、情報消費的な側面
をもっている。いったい、どれだけの情報消
費にわれわれがおカネと時間をついやしてい
るか、ほとんどはかり知れないものがあると
いうべきであろう。
 極端ないいかたをすれば、こんにちの経済
というものは、シンボルの巨大な交換過程で
あるのかもしれぬ。いや、経済の基本になっ
ている貨幣じたいが、ひとつの社会的シンボ
ルなのであった。
 そうしたもろもろの社会的情報をわれわれ
は消費しつづけて生活している。新聞や週刊
誌を読む、というのも情報の消費だし、ラジ
オ、テレビにかじりつくのも、あきらかに情
報の消費である。デザインのいい品物を買う
のも、服飾の流行を追いかけるのも、情報の
消費だ。そして、情報の消費というのは、た
のしい経験であることにちがいない。われわ
れは、おカネを払って、さまざまの経験を買
っているのである。
 しかし、社会ぜんたいのなかで、ごく一部
の人間だけが情報の生産と流通をにぎり、大
多数の人間は、もっぱら消費専門というのが
もし実態であるとするなら、われわれの世界
と『1984年』の世界とのあいだにあるち
がいは、むしろ、程度の差なのであって、質
の差ではないようにも思える。受信専用人間
のふえた社会というのは、けっして健康な社
会ではないのだ。

 (加藤秀俊『情報行動』より)