a 長文 4.1週 nnga2
 新しい様式を創造するということは、美術における進歩の中核ちゅうかく的な意義である。
 美術における進歩は、科学の進歩などとはおもむきを異にしている。科学は前の成果を踏み台ふ だいとして、後のものがその先へ出るのであるが、美術においては優れた成果は必ずしも後のものの踏み台ふ だいとはならない。それぞれの傑作けっさくは、すべて特殊とくしゅな、ただ一回的なもので、そこから先へ行けない「絶頂」のような意味を持っている。たとえばギリシアの彫刻ちょうこくとかルネッサンスの絵画とかのように、同じやり方ではどうしてもそこから先へ出られないものである。同じやり方をすれば必ずエピゴーネンになってしまう。だから美術に進歩をもたらそうとすれば、先のものが見のこした新しい美を見いだし、それに新しい形づけをしなくてはならない。それが新しい様式の創造なのである。
 そういう創造のことを考えるごとに、私はいつもミケランジェロの仕事を思い出す。かれの作品が実際私にそういう印象を与えあた たのである。ギリシア彫刻ちょうこくの美しさや、その作者たちのすぐれた手腕しゅわんを、かれほど深く理解した人はないであろうが、その理解は同時に、ギリシア人と同じ見方、同じやり方では、到底とうてい先へは出られぬということの、痛切な理解であった。だからかれは意識してそれを避けさ 、他の見方、他のやり方をさがしたのである。すなわちギリシア的様式の否定のうちに活路を見いだしたのである。「形」が内的本質であり、従って「内」が残りなく「外」に顕れあらわ ているというやり方に対して、内がおくにかくれ、外はあくまでも内に対する他者であって、しかも内を表現しているというやり方、すなわちそれ自身において現われることのない「精神」の「外的表現」というやり方を取ったのである。従って作られた形象の「表面」が持っている意味は、全然変わってくる。それは内なる深いものを包んでいる表面である。そういうやり方でかれは絶頂に到達とうたつした。かれのあとから同じやり方を踏襲とうしゅうするものは、「何かを包んでいる表面」だけを作りながら、中が空っぽであるという印象を与えるあた  同じやり方でかれの先に出ることはできないのである。ロダンが「何かを包んで
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いる表面」を思い切って捨て、面を形成しているあらゆる点が内から外に向いているような新しい表面を作り出したとき、初めて近代の彫刻ちょうこくは一歩先へ出ることができた。
 そう考えてくると、新しい様式の創造には古い様式の重圧が必要だということになる。古い様式による傑作けっさくを十分に理解すればするほど、そこからの解放の要求、新しい道の探求が盛んになる。すなわちできあがった一つの様式のなかには、新しい様式を必然に生み出して行くような潜勢力せんせいりょくがこもっているのである。だからこそ過去の傑作けっさく鑑賞かんしょうや、その鑑賞かんしょうを容易ならしめる美術館は、美術の進歩に重大な意義を担うことになる。それぞれの時代、それぞれの様式において、「絶頂」を意味するような傑作けっさくが、美術館に並んでいて、いつでも見られる、という社会にあっては、言わばそういう傑作けっさく権威けんいが君臨しているのである。そういう世界で幾分いくぶんかでも独創的な仕事をするためには、右の権威けんいの重圧をはねかえして、新しい様式をつくり出さねばならぬ。美術館はそういう運動の原動力となっているといってよい。

(和つじ哲郎てつろうの文章に基づく)
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a 長文 4.2週 nnga2
 人間の歴史の大部分は、模写再現の技術としては、文字と絵画しかない時代だったから、人間にとって再現技術は重要なもので、広義のリアリズムが人間文化の方向を規定していた。人間の記憶きおくという再現能力が不安定なものだからこそ正確な記憶きおくが社会的にも高く評価されたのである。学問や教育も記憶きおく基礎きそをおいたものになるのは自然であった。ところが、最近のようにコピー技術が急激に発達すると、なにも人間が非能率的な再現のために苦労することはないことがはっきりする。これは近代文化の命題であるが、改めてこの命題にたちかえり、新しい人間活動を探求するのが今日の問題である。
 教育というものは元来、保守的であるから、新しい時代に適応するのにいつも遅れおく がちになるが、まだ人間をコピー的活動から解放しようとはしていない。相変わらず記憶きおく中心の知識の詰め込みつ こ を行なっているが、それは、人間が記憶きおくする唯一ゆいいつの機械であった時代の要求に基づいた教育そのままである。Aを教えて試験をし、答案にAそっくりそのままが再現できていれば、教えたことが理解できているとして満点になる。
 学校でこういう教育を受けると、三つ子のたましい百までというが、理解とは記憶きおくと再生のことだと思いこんでしまう。もちろんそういう理解もないではないが、それは機械的理解で、コンピュータの方が人間よりずっと能率がよい。記憶きおくと再現を中心とした理解は、たとえていえば食物を食べても消化しないでそのまま吐き出すは だ ようなものである。忘れたり記憶きおく違いちが をすることを恐れるおそ  から、いわゆる一夜漬いちやづけ勉強がもっとも効果をあげる。
 これに対して、食べたものをすっかり消化してわがものとし、必要なもののみ残して、不要なものを排泄はいせつしてしまうような理解は、機械にはできない作業である。教えられたことをそのままオウム返しに答えるような理解から、自己の骨肉にはするが、はっきりした形にならない深化した理解に目を転ずるべきである。
 理解という言葉で人々がまず頭に浮かべるう   のは、機械的正解のことであろう。そしてそういう理解が人間にしかできないと考えてきたが、それが実は迷信であったことが、近年の科学技術によって証明された。本当に人間にしかできない深層の理解は、完全な
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記憶きおく・再生を正解と呼ぶならば、多かれ少なかれ誤解となるはずである。
 しかし、長い間の慣習が人々にいだかせている誤解恐怖きょうふのために理解の本質の認識が妨げさまた られており、それが社会的混乱に輪をかける結果になっている。誤解を頭から悪いものとしないでそこに含まふく れる人間性を認めるならば、すぐれた人間的理解はすべて誤解的であるということはただちに明らかになるし、それにはコンピュータがまったく無力であることも了解りょうかいされるであろう。

外山滋比古とやましげひこ「省略の文学」より)
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a 長文 4.3週 nnga2
 商社マンがカリフォルニアに出張すると、帰りぎわにカリフォルニア米の大袋おおぶくろを何個ももって帰ってくる。なんとなく外米はまずいという印象を日本人はもっているが、実際には舌の肥えた商社マンたちが、わざわざもって帰るほどおいしくて、しかもその値段が日本の四分の一である。
 ところで、牛肉、オレンジの次は米を買ってくれとアメリカが要求してくるというと、日本人は「まさか、冗談じょうだんでしょう」と、おどろくばかりだ。その「まさか」の根拠こんきょには、まず日本人にとって米がどういうものであるかを、当然アメリカ側がよく理解してくれているにちがいない、という大前提の存在がある。つまり、日本人にとって、米は死活にかかわる問題である。米は日本人の生命線である。しかも、米に対して日本人は単なる穀物として以上の特別にセンチメンタルな気持ちを抱いいだ ている、というようなことを、アメリカ側は少なくとも一応のところは承知しているはずだと勝手に思い込んおも こ でいるわけだ。
 しかし、たとえば、アーカンソーの農民にとっては、米はごくあたりまえの穀物の一種でしかない。大豆が儲かるもう  のなら大豆を、小麦なら小麦を、そしてそれらとまったく同じ感覚で、儲かるもう  なら米を作ろうとかれらは考える。日本人と米とのつき合いにおいて、私たちが感情的になるほどの何かが存在するなどとはかれらには想像もできないのだ。
 また、そのように、米といっても炭水化物のひとつではないか、米と麦とどうちがうのだという発想をもっているアメリカ人に対して、一歩手前の段階に戻っもど て実情はこうだと説明する努力を、私たちはほとんどといっていいほどしていない。
 では、このような問題を内在させている米についてまったく別の発想を試みるとすれば、どんなことが考えられるだろうか。現在、食管会計の赤字を黒字に転じる解決策はまずないといっていいだろう。国民の六パーセントを占めるし  農民の生活を保証し、なおかつ食管会計を黒字にすることは、現在の方針をそのまま延長していくかぎり不可能である。
 ところで、かりに食管会計の赤字のおよそ二年分を投資すると、アーカンソーやカリフォルニアの豊かな穀倉地帯に、日本の全水田面積と同じだけの水田が買える。二年分の食管会計の赤字を投入して、二年にわたって土地を買うと、三年目には赤字がゼロにな
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り、そのうえ米の値段はいまの半分以下になるだろう。アメリカで水田を「経営」するわけである。農民は流通その他をコントロールする経営者となる。
 構造的な赤字解決策の試案として、このような発想は、国をひとつの大きな企業きぎょうとしてとらえるかぎりでは、じゅうぶんに勝算を見込むみこ ことのできる戦略となり得る。カリフォルニアに日本の水田面積と同じだけの土地を買い、現地の農民を雇いやと 、そこで経営をはじめるとなると、利害関係の密接さという点からいっても国益は私たちの方へ有利に傾くかたむ はずである。こちらが経営者であり、アメリカの農民に下請けしたう 依頼いらいするといった図式において、アメリカの世論を操作し得る力をある程度もつことができる。アメリカに対する日本の経済上の力を強めることができるのだ。

(大前研一「世界が見える日本が見える」より)
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a 長文 4.4週 nnga2
 近代日本の悲劇は、自分を育て、自分が発展させた文化と、まるでちがった歴史と伝統をもつヨーロッパ文化に支えられた文明を、が非でもとりいれなければならぬ羽目におちこんだというところに、大きな原因があるのは、多くの人の説く通りである。私たちは、紀元六世紀にかつて日本が圧倒的あっとうてきに優勢なアジア大陸の文化に接し、それを模倣もほうすることになった時、どんな大きな眩惑げんわくを覚えたか、今となってはこれを如実にょじつに心に浮かべるう   ことができない。混乱は大きかったに相違そういないし、また、そこには、彼らかれ のかつて感じたことのない深く大きな歓喜かんき恐れおそ の入りまじっていた未聞の眩惑げんわくがあったろう。
 ところで、日本が今も昔も先進国を模倣もほうしたといっても、十九世紀日本がヨーロッパ文化に接した場合と、この六世紀の経験とでは、そこにいくつかの違いちが がある。第一に、私たちの祖先が十三世紀以上前に、大陸文化に接した時は、彼らかれ はほとんど文化らしい文化を何ももっていなかった。日本には、文字がなかったし、鉄器もなく、第一、こちら側には国家の機構もまだ整わず、官僚かんりょうも組織されてなかった。日本人は、徹底的てっていてきに無条件に、大陸文化をとり入れざるをえなかった。そうして、その影響えいきょうは、『古事記』のかかれた八世紀から計算しても、十九世紀まで、十世紀以上におよんだ。
 ところが十九世紀になって、ヨーロッパ文化が、日本に渡来とらいした時には、日本はもうまったくの非文明国ではなかった。そこには、たとえ荷風のいう本店と支店の関係はあったにしたところで、とにかく、それになりの宗教、哲学てつがく、政治、芸術の独自の体系ができあがっていた。だから、西洋文化の影響えいきょうは、当然、昔の場合より、大きな抵抗ていこうにぶつかったわけだし、自分の独立を救うために黒船の前に降伏こうふくを決意した日本側の態度は、ある種の条件つきだった。これは、たとえ、国民の一部が昔と同じ無条件降伏こうふくをすすんで希望したとしても、なお、不可避ふかひ的に、そうならざるをえなかった。そのうえ、この西洋の影響えいきょうは時間的にみても、まだ一世紀に
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もたりない。いまから半世紀以前に、荷風がどんなに苛立っいらだ たにせよ、日本人の多くが、根本的にかれとちがう目で、西洋を見、日本を保存していたことは、やむをえないことでもあったわけだ。
(中略)
 模倣もほうが生産的でありうるということを、私が今ここで詳しくくわ  のべる必要もないであろう。たとえば漢字の採用一つとってみても、それが日本人の思考の仕方にどんな複雑な得失をあたえたかは、現代の日本人を考える場合にも、たいせつな問題を含んふく でいる。かりに七世紀の日本人が漢字を採用しなかったら――というのは、すでに、愚かしいおろ   設問であるけれども――、日本はより独自の文化を生みだしていたろうという結論を出すことは、不可能ではないだろう。二十世紀日本のある人たちは、漢字漢文を採用している限り、日本人は正確にものを考えることができないと、主張しているようにみえる。しかし、その場合の「正確な考え方」という観点が、すでに西洋の影響えいきょうであって、けっして日本人の自発的なものでないことは別にしても――そうでなければ、日本人はシナ文化渡来とらい前は正確な考え方をしていたことになるはずだが、そんなことは滑稽こっけいである――、現代の日本人のなかには、すでに、そういう「正確な考え方」をしている人びとがいる。その人たちは、すべて、西洋の考え方を消化し身につけているから、漢字と漢文を本店とする国文・日本文をもって、正確に考える力をもつようになったのだ。しかし、かれはその能力を身につけるまでには、漢字の模倣もほうにはじまった日本語の働きが不可欠だった。簡単にいってしまえば、今の日本語の状態にしても、考えるべきことは考えられるのだ。ただ、それには、現在では「西洋」の消化を絶対に必要とする。「わが日本は今も昔も、先進国の模倣もほうによる」必要がある所以だ。

吉田よしだ秀和ひでかず『荷風を読んで』より、一部改変。)
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a 長文 5.1週 nnga2
 「子供たちに自然を教えましょう」というのも、よくわからないね。どうして、子供にそんなに自然を知らせる必要があるんだ。将来マタギになるっていうなら話は別だ。山を駆けか て、これが見えれば雪が降るとか、あそこにはクマがいるとか教えなきゃしょうがない。それは生活のためだからね。
 だけど、都会の子供たちに、膝小僧ひざこぞうぐらいの川やプールで魚を取らせたり、ウナギを追いかけ回させて、自然に親しませたなんて言っているバカな親がいる。そういう中途半端ちゅうとはんぱが一番危ないんだよ。魚というのはそういうところで取れるものだと思って本当の川へ行ったら、いきなり溺れおぼ たりするからね。
 都会の人間には、自然というのはやっぱり近寄りがたくておっかないもんだと教えるべきなんだ。平気で、クマちゃん、クマちゃんなんて頭撫でな たりしたら、バッと食われてそれで終わりなんだからね。
 動物園で飼っているものや家で飼うペットと野生の動物は、匂いにお からしてまるっきり違うちが ということを教えてやれって。
 サファリパークのライオンなんて、つめまで抜かぬ れちゃって、実際そこに居ても抜けぬ がらだからね。そういう剥製はくせいまがいのものを子供に見せたから自然を教えた、なんて思ったら大きな間違いまちが なんだ。
 昔は家の近所に自然があったから、オイラは自然の中で遊んでただけで、たった一日か二日、わざわざどこかへ連れていって、これが自然ですなんて言われたって、馴染むなじ わけはない。自然なんか、そんな短期間で習うもんじゃないんだ。都会に住んでたら、都会の生き方を習うべきだよ。
 だから、無理にそんなことする必要はさらさらない。要するにどこで生まれたかといった環境かんきょうで、自分の生きていく範囲はんいは自ずと決まっている。
 漁師のせがれとして生まれ、漁師を目指すんだったら、海と戦うわけだから、海のことをちゃんとわからなきゃならない。山で生まれれば、山の生活に必要なことがある。
 サラリーマンの子が都会で生まれて、自分がサラリーマンになろうとしたときに何をやるかといったら、まず最初にサラリーマンとして生きる術を覚えることが大切なんだよ。
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 それを、一日や二日山へ連れていって、山の生活を覚えさせたって、そんなものは何の得にもならない。都会で雪崩なだれ遭うあ ことはないんだから。
 よく、脱サラだつ  したような家族が山に住んで、自然と親しんでいますとかいって美談仕立てで紹介しょうかいされる。でも、オイラに言わせりゃそれは単なる落ちこぼれなんだよ。
 おやじは落ちこぼれても構わないけど、子供まで道連れにするなって。「子供の目の色がかわりました」なんて嬉々ききとして言う。自然がそんなに良かったら、これほど人が東京に集中して出てこないんじゃないか。過疎かその土地なんてできるわけがないよ。何でみんな村からいなくなっちゃったかというと、やっぱり自然はよくないからだろう。
 くみ取り便所で、暖房だんぼう冷房れいぼうもないところで暮らしていたら、いやになると思う。がいっぱいいて、六時には真っ暗になっちゃうようなところにだれが住みたいかって。
 所詮しょせん、いまみんなが好きなのは、環境かんきょうビデオを見ているような自然なんだ。だから、都会的な生活をしながら、飲み水がきれいで野菜は有機農業でちゃんとしたやつなんて、ぜいたくなことを言う。涼しくすず  て、ダニとかはいなくて、自分に都合のいい虫だけ飛んでくるなんて、そんな所はどこにもないんだよ。

(ビートたけし「みんな自分がわからない」より)
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a 長文 5.2週 nnga2
 民族と国家の違いちが をはっきりとしておく必要があります。日本では、指導的な政治家で「日本は単一民族国家だから……」ということをいまだに何度でも言う人がいますけれども、これは事実に反します。他国と比べて一つの民族が占めし ている割合が圧倒的あっとうてきに大きいことは確かです。しかし、九七年の札幌さっぽろ地裁の判決は、アイヌの人々を少数民族集団として法的に認定しました。いわゆる二風谷にぶだに裁判です。それから同じ年に「アイヌ新法」と俗称ぞくしょうされる長い名前の法律「アイヌ文化の振興しんこう並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及ふきゅう及びおよ 啓発けいはつに関する法律」ができました。
 つまり立法府や裁判所は、日本が単一民族国家でないということをはっきり法的に確認しているのです。そのほか私たちの身近なところに、外国出自の日本国籍こくせき所有者の人々も――日本国籍こくせきを持っていない外国人の処遇しょぐうの問題は、また別の問題ですが――たくさんいるのです。
 近代国家をつくっているのは民族ではなくて国民なのだということを、国家と個人の関係を考える場合の大前提にしなければいけないのです。その辺の筋目があいまいなままの議論が多いのではないだろうか、と日ごろ感じています。
 その上で国家と個人それぞれにとって、最近、国境の敷居しきいが低くなってきている。プラスとマイナスの両方含めふく てです。独裁者も、国境のかべに守られて安閑あんかんとしていられなくなっています。アジアの独裁者があっという間に権力を失うという例が続きました。
 しかし、国境のかべが低くなれば、批判の自由が入ってくると同時に、他方で経済万能の力が入ってくるということにもなります。これまで、それぞれ国民国家単位でいろいろな試行錯誤しこうさくごを経てつくり上げてきた生活のための条件が大波に洗われる。雇用こようの条件、社会保障の水準、年金制度、こういうものが「経済のグローバリゼーションの中で立ち行くためには、そんなぜいたくなことは言っていられないぞ」という形で押し流さお なが れはじめます。
 そういう理由で国家というもののかげがだんだん薄くうす なってくる。
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国家のかげ薄くうす なると、お金とか宗教とか民族とかこういうナマの力が、公共社会をそれだけ強くつかまえることになります。考えてみれば近代国家は、まず宗教から国民を解放しました。次に、一九世紀以降、とりわけ二〇世紀に入ってきますと、お金の力を相対化させるために、生存権とか労働基本権とかをつくる。特に複数の民族が共存しているようなところでは、それがぶつかり合わないために、たとえば連邦れんぽう制というようなものを工夫してきました。
 宗教とかお金とか民族は、それぞれはもちろん価値のあるものです。しかし、それとしては価値のあるものだけれども、民族とか宗教とかお金とかが丸ごと公共社会を乗っ取ってしまってはいけないでしょう。
 スイスのある学者は、「国家を民族の人質にしてはならない」という言い方で、問題を鋭くするど 指摘してきしています。その傾向けいこうに対してどういう歯どめをかけるか。言うまでもないことですけれども、今世界中で悲劇のもとになっている宗教の争い、あるいは民族紛争ふんそうというのは、国家が強過ぎるからではなくて国家が弱いからです。場合によっては、国家がそういう宗教とか民族にハイジャックされ、その意のままに動かされている。
 それに対して、本来ホッブズ以来の社会契約けいやくの論理が私たちに説明してくれたような国家を復権させる。最近の論壇ろんだんでは国家は非常に評判が悪く、国家の相対化は非常に評判がいいのですけれども、今言ったような側面を踏まえふ  た議論でないとおかしなことになります。
 国家が出てくるべきところで出てこないで、本来は出るべきでないところに出しゃばる。これが前に触れふ た一九九九年の「国旗・国歌法」の立法過程で問題にされたことです。
 国民経済をグローバルスタンダードの荒波あらなみから守る場面では「国家は、もう何もしないよ。みんな自助努力でやりなさい」と言いつつ、「日の丸・君が代は、ちゃんとやらなくちゃだめだよ」という取り合わせになっています。本来はその逆でなくてはいけないのではないかということです。(以下省略)
 
 (樋口ひぐち陽一『個人と国家』)
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a 長文 5.3週 nnga2
 ここ四〇年ばかりのあいだ、北の国々では、生者と死者同様に、物が溢れあふ かえっているが、一方、衣食住といった生活手段の大部分が、人類の五分の四にとって相変らず不足しつづけている。北の情況じょうきょうは、ほぼつぎのようである。アメリカ人の三分の二が自分の家を持ち、フランスでは世帯の半分が自分の住居を所有し、三分の二には浴室が備わっている。秩序ちつじょの「中心部」と「中間部」では、ほとんどすべての世帯に、車、洗濯せんたく機、カラーテレビが一台ずつあり、三分の二の世帯には、冷蔵庫、掃除そうじ機、洗濯せんたく機、ラジオ、種々の家庭用自動器具が備わり、半分の世帯はビデオ装置を持っている。さらには、自分だけに関係する新しい物、ノマド(遊牧民。転じて、移動・自由・新奇しんきなどの意)の物も現われた。例によってこれらの物はまず音楽から(ウォークマン)生まれ、ついでスポーツの付属品(ゴルフのクラブ、テニスのラケット……)と多様化していったのである。(中略)
 貨幣かへいが、モノの相対的価値を記録することで交換こうかんの時間を貯えているように、物は効用の時間を貯えている。いいかえると、占有せんゆうすること、それは、効用、非=支出、禁欲を貯えることにほかならない。ここに、貯蓄ちょちくは支出のなかに、供(くぎ。宗教で犠牲ぎせいを神に捧げるささ  こと)は占有せんゆうのなかにあることとなる。
 所有者の財産目録はこうして、永世への欲望を語りだす。家屋はある生活様式、生活環境かんきょう、アイデンティティを意味し、車は、アメリカ製なら豊かさを、ドイツ製なら厳密さを、イタリア製ならファンタジーを、フランス製ならエレガンスを、スウェーデン製なら快適さを表現する、といった具合である。
 本やディスクも、占有せんゆうする人の文化を物語り、また死のお(はら)いとなる。使用前に死ぬわけにはいかず、またそのお蔭 かげで、何を見、何を読み、何を聞いたかの痕跡こんせきをのこすことになるからだ。しかしそうしたモノの固有の生命はまた短い。書物は、書斎しょさい本棚ほんだなや本屋のたな押しお あいへしあいし、雑誌よりも少し高価な資産となるが、もはやそのなかに書かれている思想を物語らず、著者名の束の間の名声を語るのみである。(中略)
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 したがって、物の堆積たいせきの境界をこえ、利用できるものをこえて蓄積ちくせきするためには、効用が今や所有よりも重要となる。今日のエリートはその時間のなかに可能なかぎり多くの感覚をためこもうとしている。モノへのアクセス、奢侈しゃし品ないし冒険ぼうけんの一時的な用益権を欲しているわけである。もはや物、家、船を買おうとはせず、借りるだけである。もはや物のコレクションを作ろうとはせず、あちこち物を見にゆく手段を手にいれようとする。もはや自分の痕跡こんせきをのこそうとはせず、東側での例のように――奇妙きみょう収斂しゅうれんだが――たんなる死亡記事だけを残そうとしているのである。
 こうした物の急激な増殖ぞうしょくは、市場でも計画経済でも、商人の秩序ちつじょの組織化を困難にしている。一方の市場では、貯蓄ちょちくと資源の配分に有効で、需給じゅきゅうのあいだに橋をかけるためには、価格が相対的稀少きしょう性を反映し、そのお蔭 かげで生産に用いられた要因量を消費者が感知できるはずであった。ところが、労働が複雑化し、物財はそのうちにふくまれる労働以上のものを表示するようになった。計量化できる単位に還元かんげんできず、知、夢、科学、音楽からなる物は、その支配者の手元をのがれ、無制限に複製される。価格はその意味を失ってしまったのである。他方の計画経済では、きわめて多数の物が交換こうかんされるようになったので、いくつかの安定した生産物以外には、何百万という価格や品質を中央計画本部で統制することができなくなっている。すべての物に表示されているのは、もはや価格ではなく、たとえば人気投票などの集票数(売れた部数が著作の価値を表わす)あるいはスペクタクルの評価をめぐって大きな影響えいきょう力をもつコンセンサスのような、他の価値尺度にほかならない。
 ヒット・パレードがこうして、すべての物品にスターの法則をとうとう押しつけお   てしまったのである。
 
 (ジャック・アタリ著『所有の歴史』より)
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a 長文 5.4週 nnga2
 芭蕉ばしょうはこう言っている――連句の席にのぞんだときには、文机を前にして間髪かんぱつを入れず句を作るのであって、迷っては駄目だめである。作りおわって文机から句を引きおろせば、すでにそれは反故でしかない。――もちろんこれは、その一瞬いっしゅんに持てる力量のすべてを燃やしきらねばならないという意味であり、だれにも首肯しゅこうできる作者の覚悟かくごだが、しかしそれとは別に、そこで成った句は、いかに名作であっても「文台引おろせばすなわち反故」なのだろうか。おそらくこの言葉も、名作は記録されて後にのこるということと別に矛盾むじゅんする言説ではあるまい。作品が録されて後世に伝わる、すなわち俳諧はいかいの歴史と、俳諧はいかいの場はその成立の一瞬いっしゅんの中にあるというのとは、別次元の出来事であり、ここで芭蕉ばしょうが言いたかったのは歴史ではなく、「場」というものが俳諧はいかいには不可避ふかひであるという一事にほかならなかった。そう思うと「文台引おろせばすなわち反故」は、芭蕉ばしょうの時間感覚の中に、「場」を含むふく 形で時間が流れつづけていたことの証言と受け取れよう。
 「場」といっても、空間的拡がりの形態をとった「場」を思い描いおも えが てみることはたやすい。空間的な延長線が、特定の原理基準に基づいて限定され、塞き止めせ と られて囲壁いへきわくができれば、すぐに「場」が成立する。「場」は限定、区劃くかくされているが、固定してはいずに絶えず更新こうしんされ、変形してゆくものでもある。「場」は地盤じばんではない。そこからすれば、「場」は時間的な「場」でもあるだろう。芭蕉ばしょうの『おくのほそ道』の旅も、絶えず入れ替りい かわ 改まる「場」を方々と求めたさすらいの歩みであったが、これについては後で考えてゆくことにしたい。その旅先で土地の俳人にもてなされ、人々寄り集って一巻の歌仙かせんを巻いた情景ともなれば、明らかに連衆によって形づくられた「場」が見えてくるし、従前からこの「場」は「座」として語られてきた。
(中略)
 一年三百六十五日、この物理的な年の長さにおいて、祝祭の時間の占めるし  割合はごく僅かわず 、短いのが通例であろう。長々といつま
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でも祭が続き、終ったとも終っていないとも取れる曖昧あいまいさが生じたりすれば祭は堕落だらく、変質する。祭の特色は時間的に限定され、純粋じゅんすいであることであり、短い時間のあいだしか持続しないことである。たとえ数日に亙っわた て祭が催さもよお れても、過ぎたあとで思い返してみれば、短かった、あっという間に過ぎ去ったという一抹いちまつの思いが残るのが祭なのだ。」に対して「晴」の時間が、「ぞく」に対して「聖」の時間が負ったのは、内的な魔性ましょう霊力れいりょくとその時間的な短さである。一瞬いっしゅんの燃焼のうちにすべてが成るか然らざれば無という極点的な思想までも含めふく て、そこには短いもの、小なるものへと向かって凝縮ぎょうしゅくしてゆく力がはたらいている。松尾まつお芭蕉ばしょう俳諧はいかいと名付けられる詩のわざに時間的な「場」を設定したが、そのことを通じて――時間の構造を通じて――小なるものに封じ込めふう こ られた重さを感じとっていた。それがかれの詩人的な存在理法についての認識であったという風に私は解したい。

(高橋英夫『ミクロコスモス――松尾まつお芭蕉ばしょうに向って』より)
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 経済のグローバリズムは何もこの20世紀の世紀末になっていきなり生じたものではない。確かに、戦後50年ほどの冷戦体制の中では、自由主義世界の世界経済の枠組わくぐみ比較的ひかくてき安定していた。少なくとも、ブレトンウッズ体制に支えられてきた70年代の前半までは、世界経済体制は、その内部に矛盾むじゅん含みふく ながらも、比較的ひかくてき安定した制度的様式のもとに置かれており、それぞれの国家は、主として固有のケインズ主義政策、福祉ふくし政策、産業政策などを組み合わせてナショナル・エコノミーの安定と成長を達成してきた。この戦後経済システムからすれば、90年代に入ってからの世界経済の動きは新たな段階に入ったかのように見える。だが、もう少し長い歴史的な展望のもとで見ればどうだろうか。むしろ、ナショナル・エコノミーの枠組わくぐみが安定していた冷戦期の約50年の方が例外的だとさえ言えるのではなかろうか。
 実際、資本主義経済の歴史とは、ほとんどグローバリズムと国家との間の抗争こうそう依存いぞんの歴史だと言ってもよい。国境を越えこ 利潤りじゅん機会を求めて拡張しようとする「資本」の論理と、国民の生活の安定条件を保証するという国家の要請ようせいは根本的に対立する面をもっている。この対立は常に正面切って争われたわけではない。だが、潜在せんざい的であれ存在するこの対立が、経済についての2つの見方を形作ってきたと言うことはできよう。一定の場所からは容易に動くことのできない人間の生活をじくにして経済を理解するという見方が一方にあり、他方には、逆にグローバルな資本の動きから「国益」を見ようとする経済の見方がある。この2つの見方、あるいは2つのロジックが経済の歴史を貫いつらぬ ていると言ってもよい。
 そして、おそらくいくつかの歴史状況じょうきょうの中で、この対立がきわめて鮮明せんめいに現れ出た時代というものをわれわれは見ることができる。例えば、まだ西欧せいおうで近代資本主義が成立し、急速な展開を見せ始めるころ、17、18世紀がその1つである。新大陸からの金銀の流入と対アジア、新大陸貿易の拡大という事態を背景に、オランダ、イギリス、フランスを中心に急速な商業の展開が見られたのであり、これはまぎれもなくグローバリズムと称ししょう てしかるべきものであった。そして、このグローバリズムという現実に対して、重商主義と重農主義、さらには重商主義とアダム・スミスの経済学と
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いう2つの経済の見方が対立したのである。
 グローバリズムが明瞭めいりょうに問題となる次の時期は19世紀後半から20世紀初頭の第一次大戦までである。
 いわゆる帝国ていこく主義の時代であり、まさに帝国ていこく主義という名の経済的グローバリズムがこの時期を支配した。今日、マルクス、レーニン主義的な意味での帝国ていこく主義という呼称こしょうはあまり使われないし、マルクス主義的なレジームのもとでの帝国ていこく主義の理解はもはや適切なものではない。それに代わって、ロビンソンやギャラハのいう自由貿易帝国ていこく主義もしくは自由帝国ていこく主義なる観念が支配的となったが、彼らかれ が「自由貿易帝国ていこく主義」と言ったときには、多くの場合ユダヤ的資本とも結び付いたイギリスの金融きんゆう、大商業を中心としたグローバルなジェントルマン的金融きんゆう資本に主導された経済を考えており、これはむしろ、イギリス国内の産業資本とはときには対立するものであった。ここにも、明らかに2つの経済の類型を見ることができるのである。(中略)
 ところが、この第一次大戦は、別の意味で経済の構造を大きく変えるターニング・ポイントともなっている。というのも、第一次大戦を契機けいきとして、世界経済の中心はイギリスからアメリカへと移行したからである。そして、まさにアメリカ的なレジームのもとで経済の中にある2つの類型、グローバル・エコノミーとナショナル・エコノミーの対立というモーメントは背後に退いたのである。このことはまた本書の以下の章で述べるが、戦後のわれわれにはほとんど自明で所与しょよのように見える、アメリカを中心とした戦後の経済構造こそ、むしろ歴史的には特異なものであったと言うべきだろう。その意味では、今日のグローバリズムの潮流は、そしてそのもとでの国家間の確執かくしつは、決して目新しいことではなく、むしろそれこそが資本主義の歴史を貫いつらぬ ているものだと認識しておいた方がよい。歴史は再び回帰してきたのである。

(出典:佐伯さえき啓思けいし貨幣かへい・欲望・資本主義』)
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a 長文 6.2週 nnga2
 日本の矯正きょうせい制度は、世界的に見て例のない優れたものだと言われている。
 (中略)
 受刑じゅけい者は教科教育や通信教育を受けることができ、意欲のある者は大学入学資格検定の受験指導さえ受けられる。少年刑務所けいむしょ見学の際など、アジ研(注1)研修生一同が大いに感激するのが、この教育指導態勢である。
 職業訓練も受けられる。板金、溶接ようせつ、電気工事、自動車整備、建築、左官、木工、ボイラー運転、建設機械、理容、美容、自動車運転、介護かいごサービス等々、五〇以上の種目が実施じっしされている。ただ、刑期けいきが短すぎると刑期けいき内では免状めんじょうが取れないため、実施じっしできないのがジレンマだという。
 「ここで頑張っがんば 免状めんじょうを取りますとね、社会に出た後まずここに戻っもど てくることはありません」
 誇らしげほこ   に語る刑務けいむ官の顔が輝いかがや ている。
 受刑じゅけい者から「親父さん」と慕わした れ、親身になってその更生こうせいに取り組んでいる彼らかれ 刑務所けいむしょ敷地しきち内にある官舎に住む義務が課され勤務は24時間態勢である。仕事に対する彼らかれ 誇りほこ 生き甲斐い がいは、親子二代の刑務けいむ官が多いことをもってしても知れる。こういう地味な仕事がもっと評価されてもいいのではないかと、筆者は常々思うのである。
 大方の受刑じゅけい者は刑務けいむ作業に就くが、作業内容についてはそれぞれの適性が考慮こうりょされる。コンピュータや経理は知能の高い受刑じゅけい者用だが、反対に、知能が劣りおと 手先が不器用な者もそれぞれに合った作業をそれぞれのペースで進めている。協同作業は無理なため、自室で黙々ともくもく ふくろ貼りは に精を出している受刑じゅけい者もいる。
 「料理好きな受刑じゅけい者を厨房ちゅうぼう担当にすると嬉しうれ がって、限られた予算の中で実にうまく作るんだけど、楽しいことをさせると刑罰けいばつにはならないのではと考え出すと難しい問題で……」といったこともあるらしい。刑務けいむ作業製品CAPIC(キャピック)ブランド
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は、工芸家具から日用雑貨に至るまで、豊富な品を揃えそろ 市価よりかなり安い値段で提供している。検事にこのブランドくつの愛用者がかなりいる。
 刑務けいむ作業は私企業しきぎょうから委託いたくを受けて行うものだから、好不況ふきょうの波によって影響えいきょうを受けるのは当然である。元々産業のない所であればなおさら、刑務けいむ官は刑務けいむ作業を確保するため、頭を下げて私企業しきぎょうを回りもする。
 刑務所けいむしょを見ればその国の文化がよくわかる、そうである。
 確かに、刑事けいじ司法の運用実態も、国民の人権感覚も国の経済状態も、あるいは国民性そのものも、それは一目で映し出す鏡かもしれない。(中略)
 けいが必要以上の苦役になるのは許されないが、必要な苦役であることは、それがけいである以上当然である。彼らかれ はそれ相応の罪を犯して刑務所けいむしょに入ったのである。その背後には、彼らかれ によって精神的肉体的に苦しんでいる被害ひがい者がいる。直接の被害ひがい者のない、例えば覚せいざいの自己使用のような罪であっても、社会の規範きはん被っこうむ た以上、その償いつぐな をしなければならない。それは、更生こうせいし二度と過ちを犯さないことである。
 矯正きょうせいに流れているのは、フット教授(注2)がいみじくも指摘してきした厳父と慈母じぼの精神である。この温情主義は放任主義のまさに対極に存在するものなのである。

(出典:佐々木ささき知子『日本の司法文化』)

(注1)アジ研――国連アジア極東犯罪防止研修所。国連機関のひとつで東京の府中市にあり、発展途上とじょう国―主にアジア、アフリカ、オセアニア、中南米―の刑事けいじ司法実務家に研修を実施じっしする。この文章の筆者は、同研修所教官を経験している。
(注2)フット教授――日米比較ひかく刑事けいじ司法の研究者。
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 人間と人間とのかかわりというものは相互そうご的な環境かんきょう関係である。A、Bふたりの人間がいるとき、AはBにとっての環境かんきょうの一部であり、BはAにとっての環境かんきょうの一部だ。人間関係というのは、人間がたがいに他人にとっての環境かんきょうである、という関係のことである。その主体と環境かんきょうとが、シンボル的交渉こうしょうをおこなうときにうまれる関係が、コミュニケイション過程というものだ。読む能力と書く能力とのあいだに落差がある、ということは、この文脈のうえでかんがえてみると、社会のぜんたいのなかのある部分は、しきりと人工的情報を発するが、すくなからぬ部分は、発信能力をほとんどもたず、もっぱら受信専門で生活している、ということを意味する。あるいは、人間相互そうごがとりむすんでいる環境かんきょう関係のなかに、大きな歪みゆが がある、ということを意味する。
 これは、ぐあいのわるいことではないか。字が読めるけれども、書けない、ということは、いわば、着信専用電話のごときもので、まさしくそのことこそ、現代のわれわれが社会的情報によって一方的にうごかされているということの象徴しょうちょうであるように思われる。
 ジョージ・オウエルは『1984年』のなかで、極端きょくたんに一方的に集中された情報管理社会のすがたをえがいた。そこでは、「偉大いだいなる兄弟(ビッグ・ブラザーズ)」という名の人格化された中央管理装置が、ひとりひとりの人間の行動を個別的にテレビ・カメラによって監視かんししている。全国民的な体操の時間に、体操をさぼっている人間を見つけると、「偉大いだいなる兄弟」は、スピーカーをつうじて叱りつけるしか    。いつも、一方的に監視かんしされている人間には、それに対抗たいこうする手段もない。ただ、諾々だくだくとして、その命令に服するだけだ。いや、そもそも、対抗たいこうという思想をこれっばかしでも心のなかに抱くいだ 人物の存在を『1984年』の世界はゆるさないのである。
 オウエルの世界は、もちろん、痛烈つうれつ風刺ふうしをふくむ空想科学小説であって、それは、とうてい、ありうる話とは思えない。その発想は、奇想天外きそうてんがいである。しかし、われわれの情報行動が、情報を
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「うける」ことだけに終始するかぎり、『1984年』的な状況じょうきょうにちかい状況じょうきょうが、われわれのまわりに発生しないとはかぎらない。
 そして、その兆候はこの本のなかでくりかえしのべたように、現代のわれわれのあいだに、うまれかけているようにもみえる。われわれは、専門的な情報の生産者のつくるもろもろの情報、すなわちイメージだの意見だのを消費する。いや、まえにみたように、もろもろの「商品」じたいも観念化されているから、こんにちでは、商品やサーヴィスの消費じたいが、情報消費的な側面をもっている。いったい、どれだけの情報消費にわれわれがおカネと時間をついやしているか、ほとんどはかり知れないものがあるというべきであろう。
 極端きょくたんないいかたをすれば、こんにちの経済というものは、シンボルの巨大きょだい交換こうかん過程であるのかもしれぬ。いや、経済の基本になっている貨幣かへいじたいが、ひとつの社会的シンボルなのであった。
 そうしたもろもろの社会的情報をわれわれは消費しつづけて生活している。新聞や週刊誌を読む、というのも情報の消費だし、ラジオ、テレビにかじりつくのも、あきらかに情報の消費である。デザインのいい品物を買うのも、服飾ふくしょくの流行を追いかけるのも、情報の消費だ。そして、情報の消費というのは、たのしい経験であることにちがいない。われわれは、おカネを払っはら て、さまざまの経験を買っているのである。
 しかし、社会ぜんたいのなかで、ごく一部の人間だけが情報の生産と流通をにぎり、大多数の人間は、もっぱら消費専門というのがもし実態であるとするなら、われわれの世界と『1984年』の世界とのあいだにあるちがいは、むしろ、程度の差なのであって、質の差ではないようにも思える。受信専用人間のふえた社会というのは、けっして健康な社会ではないのだ。

 (加藤かとう秀俊ひでとし『情報行動』より)
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 人間が、他の動物においては例外なくそうであるような、完全に特殊とくしゅ化された器官や本能をそなえていないこと、自然のままの状況じょうきょうに適応することによって生存してゆくことはできないこと、このことは、人間にとっては環境かんきょう世界なるものが存しないことを意味している。動物が個々の状況じょうきょうに面していかに行動してゆくべきかを決定するのは、かれの内なる自然そのものであった。それに反して、人間が自然のなかで生存しうるためには、かれ自身が自分の行動によって状況じょうきょうを変えてゆかなければならない。言いかえれば、動物に対しては自然が、始めからそれぞれの環境かんきょう世界をあたえているのであるが、人間は自然に対してはたらきかけることによって、初めて自分の生活環境かんきょうを作り出さなければならない。この人間のはたらきによって形成されるもの、それが広い意味での文化とよばれうるならば、文化をもつことは人間にとって生物学的に必然である。そしてこの文化世界のほかに、自然のままの環境かんきょう世界なるものは人間にとって本来的に存しえない。極言すれば、人間には自然はないのである。しかも環境かんきょう世界と違っちが て、もはや人間という種に共通のものとして一定の文化世界があるわけではなく、それぞれの民族や社会集団がそれぞれ別の文化形態を作るのである。
 このように見てくると、人間においては動物の場合とは本質的に違っちが た意味での自発性ということが考えられなければならない。すなわち、環境かんきょう世界からの刺戟しげきに対する反応として、すでに自分のなかにそなわっている本能によって行動するという意味での自発性「物体の運動との対比において」ではなくて、むしろ逆に、本能的な直接性が欠如けつじょしていることにおいて成立する自発性、少し逆説的な言い方になるが、直接の動因が与えあた られていないがゆえに行われなければならぬ自発性である。これは知覚の面でも運動の面でも見られる。
 われわれの知覚世界は、たんに受動的に成立しているものではなく、われわれによって構成されたものである。動物は生存に必要な刺戟しげきしかうけないのに反して、人間はもともと刺戟しげき過剰かじょうの状態にあり、生活を順調にいとなむためにはこの不均衡ふきんこうを何らかの形で
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克服こくふくしてゆかねばならない。幼児心理学によれば、産児は最初のうちはたいていの刺戟しげきに対して不快感の反応を示す。うぶ声も苦痛感の表現にほかならないと言われている。そこでまずこの「制」の充満じゅうまんがいちおう遮蔽しゃへいされることになる。ある実験報告によれば、音の刺戟しげきに対し、二ヵ月かげつ目にはかなりの程度まで不快さなしに耐えるた  ようになり、さらに三ヵ月かげつころからは無関心でいることができるようになる。この無関心さの程度は、拒否きょひ的および志向的な「反応」との割合において、始めは増大してゆき、八ヵ月かげつころ最大になる。この段階を経たうえで、こんどはそれらの「制」を加工してゆく能力が発達し始める。それはほぼ十ヵ月かげつころから見られ、積極的に外界に向かう態度が明確になって、手でものをつかむ運動が発達してゆくのと並行している。幼児におけるこの経過はもちろん「無意識的に」おこなわれることである。しかし人間が生活の必要にとっては過剰かじょう刺戟しげきに対し、それを自分のはたらきによって処理し秩序ちつじょづけ加工して、みずからの知覚世界を構成してゆく、その最初の段階がここに見られるのである。そのはたらきのより進んだ段階における重要な道具が言語にほかならない。われわれは知覚されるさまざまのものに対して言語その他の記号をもっておきかえ、その記号にともなう表象とその意味の理解によって対象世界を体系化してゆく。これがわれわれの認識活動である。

(山本信『形而上学けいじじょうがくの可能性』より)
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