長文集  1月1週  「大人」は一人前の社会人として  nnge-01-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:08:47
 【1】「大人」は一人前の社会人としてさ
まざまな権利や義務をもつが「子ども」はそ
うではない。「子ども」は未熟であり、大人
によって社会の荒波から庇護され、発達に応
じてそれにふさわしい教育を受けるべきであ
る。【2】そうした子ども観は、われわれに
とってはほとんど自明のものである。しかし
、われわれの子ども観がどこでも通用するわ
けではない。社会が異なれば、さまざまに異
なった子ども観があり、それによって子ども
たち自身の経験も異なってくる。【3】この
ことをアメリカの社会学者カープとヨールズ
は、次のような例を挙げて示している。
 例えばナバホ・インディアンは子どもを自
立したものと考え、部族の行事のすべてに子
どもたちを参加させる。子どもは、庇護され
るべきものとも重要な責任能力がないものと
もみなされない。【4】子どもの言葉は大人
の意見と同様に尊重され交渉ごとで大人が子
どもの代弁をすることもない。子どもが歩き
出すようになっても、親が危険なものを先回
りして取り除くようなことはせず子ども自身
が失敗から学ぶことを期待する。【5】こう
した子どもへの信頼 は、われわれの目には
過度の放任とも見えるが、自分と他者の自立
を尊重するナバホの文化を教えるのにもっと
も有効な方法であるという。(中略)
 【6】今日のわれわれの子ども観、つまり
「子ども」期をある年齢幅で区切り特別な愛
情と教育の対象として子どもをとらえる見方
は、フランスの歴史家、フィリップ・アリエ
スによれば主として近代の西欧社会で形成さ
れたものであるという。【7】アリエスは、
ヨーロッパでも中世においては、子どもは大
人と較べて身体は小さく能力は劣るものの、
いわば「小さな大人」とみなされ、ことさら
に大人と違いがあるとは考えられていなかっ
たという。【8】子どもは「子ども扱い」さ
れることなく奉公や見習い修行に出、日常の
あらゆる場で大人に混じって大人と同じよう
に働き、遊び、暮らしていた。子どもがしだ
いに無知で無垢な存在とみなされて大人と明
確に区別され学校や家庭に隔離されるように
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なっていったのは、十七世紀から十八世紀に
かけてのことである。【9】アリエスはこの
プロセスを「『子供』の誕生」のなかで、子
どもを描いた絵画や子どもの服装、遊び、教
会での祈りの言葉や学校のありさまなどを丹
念に記述するこ∵とによって浮き彫りにして
いる。【0】アリエスらによる近年の社会史
の研究は、われわれになじみの深い子ども観
も、そして、人が幼児期を過ぎ、自分で自分
の身の回りの世話ができるようになってから
もすぐに大人にならずに「子ども」期を過ご
すというライフコースのあり方自体も、歴史
的、社会的な産物であることを明らかにした

 西欧では「子ども」は、社会の近代化のプ
ロセスにおいて、近代家族と学校の長期的な
発展のなかから徐々に生み出されていった。
一方、日本では、明治政府による急激な近代
化政策のなかで、近代西欧の子ども観の影響
を受けながらも、西欧とはやや異なったプロ
セスで「子ども」の誕生をみることになった

 明治維新まで、子どもは子どもとして大人
から区別される以前に封建社会の一員として
まず武士の子どもであり、町人の子どもであ
り、あるいは農民の子どもであった。さらに
男女の別があり、同じ家族に生まれても男児
と女児ではまったく違った扱いを受けた。た
とえば武家の跡取りの子どもは、いつ父親が
死んでも家格相応の役人として一人前に勤め
禄を得ることができるよう早くから厳しい教
育が施されたし、農民の子どもも幼いころか
ら親の仕事を手伝い村の子ども集団に参加し
て共同体の一員としての役割を担った。近世
後期以降、寺子屋や郷学が農村にまで作られ
そこで読み書きの初歩を習うこともあったが
、それはあくまで日常生活に必要な知識にと
どまり労働のなかで親たちから教えられる日
常知と区別されるものではなかった。子ども
たちは封建的区分のなかで、所属する階層や
男女の別に応じてそれにふさわしい大人とな
るようしつけられた。
 明治五(一八七二)年の学制の公布は、そ
のようにそれぞれ異質な世界にあった子ども
たちを、学校という均質な空間に一挙に掬い
とり、「児童」という年齢カテゴリーに一括
した。その意味で、わが国において「子ども
」はまず、建設されるべき近代国家を担う国
民の育成をめざして、義務教育の対象として
、制度的に生み出されたということができよ
う。