長文集  1月3週  ★首飾りというものは(感)  nnge-01-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】首飾りというものは、まず第一に財
貨であり、第二に地位や富の象徴であり、そ
して第三にお守りである。といったさまざま
な機能をもってきたようだし、今日もなお、
これら三つの機能はそれぞれにはたらき続け
ている。だが、この第三の機能は、さらに世
俗化して第四の役割をも受けもっているよう
に思われる。【2】もちろん、真珠のネック
レースとか、高価な宝石をちりばめたペンダ
ントとか、要するに貴金属というカテゴリー
にはいる首飾りもたくさんあるし、宝石店を
のぞいてみると、何百万円、ときには何千万
円、といった値段のついたおどろくべき首飾
りがならんでいたりする。【3】どういう人
が買うのか、見当もつかないけれども、こう
いうものを首にかけるご婦人はおそらくそれ
を見せびらかし、わたしはこれだけお金持ち
なのよ、ということを無言のうちに語ろうと
なさっているに違いない。
 【4】しかし、たとえば、パチンとフタの
ひらくロケットといったようなものを考えて
みよう。それは決して高価なものとはかぎら
ないけれども、ロケットのなかには、愛する
人の写真などがひそかに入っているものであ
るようだ。【5】このごろの世相は、そんな
にロマンチックなものではないかもしれない
けれども、昔はそういうものであったらしい
。あるいは、母から娘へと伝えられる首飾り
なども、それと似た性質をもっている。たと
えそれが小さな銀のチャームであっても、そ
れは母親という特定のひとの思い出とつなが
っているからだ。【6】貴金属としては全く
無価値であっても、特定の人間が特定の人間
とのかかわりのなかでかけがえのないものと
して主観的に絶対の価値をあたえるもの――
そういう種類の首飾りもある。【7】ややほ
ろ苦い感傷をこめてこうした種類の首飾りを
えがいた小説があったし、またグレン・ミラ
ーの作曲になる「真珠の首飾り」などもあっ
た。この種類の首飾りは決して財宝でもな 
く、富の象徴でもない。それはどちらかとい
えば、お守り系の首飾りである。【8】とは
いうものの、これは神様からの加護という意
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味でのお守りではない。それは特定の人とむ
すびついた人間的な記憶や感情にかかわるも
のであって、しいて名づけるなら、安心型の
首飾りとでも呼ぶべきであろうか。【9】そ
れを首にかけること で、空間的あるいは時
間∵的にへだたった特定の人間が、擬似的存
在として感じられるからである。その擬似的
存在感は安心の根源になってくれるのだ。別
段、特定の人間だけがそうした安心の根源に
なるわけではない。【0】たとえば、旅先で
みずから買い求めたペンダント、などという
ものもあるだろうし、なにかの折の記念に、
と贈られたチャームなどもあるだろう。そう
いう首飾りは、その場だの、できごとだのの
思い出をたぐりよせるための糸口として作用
するのである。
 なんでもない「物」に深く思い入れをして
しまうことを哲学用語では物神崇拝(フェテ
ィシズム)という。そして物神崇拝は馬鹿げ
たこと、と断定する人たちもすくなくはない
。しかし、俗に、イワシの頭も信心からとい
う。第三者からみて、全く無価値、かつ無意
味であるようなものが特定の人間にとっては
、絶対の価値と意味をもつこともすくなくな
いのだし、われわれはおしなべて、なんらか
の物神崇拝の対象をもっているものなのだ。
いや、わたしにいわせれば、むしろ物神崇拝
の対象をなにも持っていない人こそが、実は
不幸なのだ。

(加藤秀俊「衣の社会学」より)