長文集  3月4週  ★ここで確認しなければならないのは  nnge-03-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/12/14 12:54:18
 ここで確認しなければならないのは、「わ
たしがわたしである」ことを「覚えている」
ということは、過去の行動の完全な履歴が保
存されるのではなく、思い出されるたびに変
化し、意味付けの変わる記憶を維持している
ということであり、そこには「忘却」も同じ
くらい必要とされるものであるということだ
。すなわちそれは、「記憶」と「記録」が、
質としてまったく異なるものであることを意
味している。記録が記憶に果たす役割を考え
るために、もう少し「記憶のあいまいさ」と
いう点について述べてみよう。
 認知心理学者の高橋雅延()によれば、私
たちが「覚えている」と思っている過去の記
憶も、実はかなりの程度あいまいさを残して
いる部分があるという。高橋によると、私た
ちは一ヶ月前のこと を、事実のとおりに思
い出せると考えがちだが、実際には、時間を
おくことで、五〇%前後の記憶が入れ替わっ
てしまうというのだ。つまりそこで私たちは
、「想起する記憶内容の一部を選択し、再構
成している」のである。さらに言えば、何度
も繰り返し思い出すことで、「虚偽の記憶」
が現れる場合さえあると高橋は述べている。
 その記憶のゆがみに影響を及ぼすのは、た
とえば「暗黙理論」と呼ばれるような素人考
えだ。暗黙理論とは、必ずしも明確な科学的
根拠がないにもかかわらず、世間では信じら
れている知識や概念のことであり、具体的に
は、「幼少時のトラウマが人格形成に強く影
響する」といった知識のことを指す。このよ
うに近年の記憶研究 は、むしろ記憶が、他
者や社会的な認知とのかかわりで容易に変化
するような、あいまいなものであることに注
目しているのである。
 こうした知見に基づいて、心理学者は、「
わたしはわたしのことを覚えている」という
出来事が、文字どおり過去の出来事を脳内に
ストックするようなものではなく、思い出さ
れることによって、それが新たに「記憶」と
して上書きされるような、「自己物語」の側
面を持つと主張している。つまり、わたしが
わたしであることの確信は、(「もうひとり
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の自分」のようなものを含む)他者への語り
の中から生成してくるということだ。∵
 だとすれば、そこで「記録」というメディ
アが、自己を形成するのに非常に重要な役割
を果たすことは、容易に想像できるだろう。
「高校時代の友人」が、どのような人だった
のか、放っておけば私たちはすぐに忘れてし
まう。しかし、日常にはあまり思い出される
ことのない相手であっても、卒業アルバムを
見返したり、あるいはときにそれを別の友人
に見せながら、「彼はこういう人でね」とか
「ああ、こんな人もいたなあ、彼女はね……
」と語ったりすることで、そのたびに「高校
時代の自分」を構成することができる。そし
てそれを通じて「あのときは意識しなかった
けど、ほんとうはこの人のことが好きだった
んだ」などといったように、記録をもとにし
た他者への語りを通じて、「いまの自分」に
接続される自己物語を生成するのである。
 ここには、記録というメディアと、自己に
よって物語られる記憶との間の、ダイナミッ
クな関係を見て取ることができるだろう。

(鈴木謙介『ウェブ社会の思想』による)