長文集  7月2週  ★大昔、この列島は(感)  nngi-07-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】大昔、この列島は豊かな原生林に覆
われていた。祖先たちはそうした森のなかに
住み、神々といっしょに生活していた。やが
て農業をはじめると人びとは森を離れ、開か
れた耕地で太陽の光を身体いっぱいに浴びな
がら、一日をすごすことがだんだん多くなっ
た。【2】原生林のなかで獲物を追う生活を
やめれば、住居も森から出て耕地の近くにつ
くられるようになる。人間が出たあと、神さ
まだけが森のなかに残った。これが神の住む
神奈備(かんなび)の森のはじまりである。
【3】しかし、この変化は、けっして一朝一
夕に生じたのではない。森のなかでの狩人た
ち、とくに日本のような海洋性気候の、暖地
性照葉樹林帯のなかでけものを追ってきた人
たちの皮膚感覚は、一日中、耕地で陽光を浴
びてすごす農業人とは根本の体質が違ってい
たはずである。【4】日陰の湿気のほうによ
り安心感を抱くような背日性を、農業人の向
日性とは対照的な形で備えていたと考えられ
る。
 【5】祖先たちは原始林のうす暗く、たえ
ず湿気を帯びた樹木の陰から離れ、明るく乾
燥し、開かれた場所でひとり立ちするには、
よほどの決心を必要としただろう。もちろん
、その農業も、水稲耕作に依拠する以上は湿
気と無縁ではありえない。【6】しかし、水
田や畦道の泥濘(でいねい)と、原生森のな
かの陽光から遮断された全身をつつむ湿気と
は、本質的に異なっている。祖先たちの身体
には水田で働くようになったのちも、森のな
かに生きていたときの皮膚感覚は久しいあい
だ残留したろう。【7】森からの自立は、母
の胎内からの自立過程に似て、意識、無意識
のうちにさまざまの退行心理が発現するのは
、まことにやむをえないことであったと考え
られる。
 【8】農家の土間の台所や、ナンド、ヘヤ
とよばれる寝室には、すでにのべたように多
くの素朴な神さまたちが住みついて、人びと
といっしょに生活し、文字通り起居をともに
してきた。そのありようは、おそらく原始時
代に原生森のなかで営まれた祖先たちの住居
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のなかに起源をもっている。【9】とすると
、そうした住居をとり囲む木立のなかに住ん
でいた神々も、そのまま人びとの生活を守 
り、住居を守って外敵を防いでくれる神々と
して、住居の周辺にいつまでも∵いてくれる
ように願われたろう。【0】森のなかに村が
あるような形のものはもちろんのこと、耕地
に囲まれた広くて明るい場所に家を建てるよ
うになってからでも、周囲に家を保護してく
れる屋敷林をもち、それに精神的な防壁の意
味までもたせてきたのは、森のなかで神さま
といっしょに住んでいた時代の、最後のへソ
の緒(お)であるように思われる。土塀や生
垣に囲まれるだけで、外界にむけて自己を完
全に開放しているような家でさえ、しばしば
屋敷廻りの大木の根もとに屋敷神の小祠(し
ょうし)をもってい る。これのもとづく起
源も、おそらく古いものがあるといえよう。
 ともあれ、明治以後、西洋風をまねてふと
んに白いシーツを掛けることは、寝室内部に
まで日光と外気をもち込もうとする大変革の
象徴であった。うす暗く、外気を通すことの
少ない寝室の、シーツもかけない垢じみた万
年床、その木綿ぶとん特有の湿気をおびた肌
ざわりは、大多数の日本人が久しく馴染んで
きた住居における私的な生活感覚の、中心部
を占めてきた。ふとんを日に干すのが近代的
家政の象徴であることを裏返したら、こうい
うことになるだろう。それは木綿ぶとんの普
及する以前の、帳台構えなどとよばれるナン
ドの寝部屋での、ワラにもぐって寝た感覚の
残存であり、それであるから、万年床があた
りまえとされてきた。だが、そのような感覚
は、これをさらに煎じつめると、大昔、この
列島に特有の濃密な照葉樹の原生森のなかで
有形無形の外敵におびえ、神々といっしょに
つねに湿気をふくんだ薄暗い木陰に身をひそ
めていた時代の、もっとも根源的な生活感覚
にまで遡るように思われる。屋敷をめぐる屋
敷林、さらには森のなかにある村といってよ
いほどの木立に包まれた集落のたたずまいは
、その傍証といえるだろう。

(高取正男「生活学」 同志社大)