長文集  7月3週  ★すでにみたように(感)  nngi-07-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2013/06/06 06:33:04
 【1】すでにみたように、人間関係とは結
局のところ二人の人間のあいだでの問題であ
るというよりは、むしろ、ひとりの人間の内
部での「こちら側の自分」と「もうひとりの
自分」との問題であった。【2】このふたつ
が、相互に刺激をあたえながら、つねにあた
らしい自我をつくってゆく過程、それが人間
関係のまさしく人間関係たるゆえんであった
。【3】ピストン運動の錆びつきは、そう考
えてくると、人間関係をむつかしくする最大
の障害であるといってさしつかえない。極端
な頑固、そしてその対極にある極端な浮遊型
人間、それはともに厳密な意味での自我喪失
というべきなのだろ う。
 【4】錆びつきが発生する、ということは
、それぞれの人間にとって不幸なことだ。ど
ちらの極に片よるにせよ、「ふたつの自分」
のうちのひとつに心が膠着してしまったが最
後、その人間の心は進歩することがないので
ある。【5】ひとりの人間の心の進歩という
ものは、結局のところ「ふたつの自分」のあ
いだの活発な会話からうまれる。その会話に
よって、自我がかわるからこそ、人間関係は
人間にとって大事なのだ。
 【6】自我のこの変化は、別の角度からみ
れば折衷のプロセスであるとも考えられる。
そこにあるのは「こちら側の自分」と「もう
ひとりの自分」のうちのどちらをとり、どち
らを捨てるかという二者択一なのではなく、
「ふたつの自分」の歩みよりによる、折衷の
立場の建設なのである。
 【7】他人、あるいは自分のなかにとりこ
まれた他人としての「もうひとりの自分」と
接触することで、「こちら側の自分」はすこ
しずつかわる。また同時に「もうひとりの自
分」もかわる。かわったものが互いに接近し
あって統合される。【8】それは折衷という
以外のなにものでもない。折衷の積みかさね
によって、人間はかわりつづける。人間関係
というものは、その理想的なすがたからいえ
ば、ひとりひとりの人間をかえるための方法
、というべきなのである。
 【9】人間関係を考えるにあたって、いち
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
41
42
43
ばん大事なのは、たぶんこの点だ。たしかに
人間関係というのは、ふたり以上の人間がお
互いに理解し、協力しあってゆくための方法
であり、また技術でもある。【0】だが、人
間の側からみるときには、人間関係はあくま
でも個人の成長のための跳躍台だ。人間関係
というネットによってより充実した存在にな
ってゆくのである。∵
 事実、反省してみればすぐわかることだが
、われわれひとりひとりの今日の存在は、こ
れまでの人生のなかでのさまざまな人間関係
の結果物としてとらえることができる。生ま
れたときから物心つくまでの母親と子どもの
人間関係、学校にはいってからの教師と生徒
の人間関係、友人との人間関係、そして結婚
後の夫婦の人間関係、職場の人間関係、近隣
の人間関係……かぞえあげていったらきりが
ない。そのきりのない人間関係のなかで、ひ
とりひとりの人間の精神がつくられてきた。
まわりの人間との記号を媒介とした交渉なし
に、ひとりの人間が形成されるというのはあ
りえないことなのだ。そしてさまざまな人間
関係を通じて、われわれはかわってゆく。
 人間の存在は、可塑的なものだ。今日の自
分はもはや昨日の自分ではない。すこしずつ
、人間はかわる。厳密にいえば昨日の自分は
すでに他人である。もちろん、どうでもいい
、とにかくかわるのが望ましい、というわけ
ではない。しかし、最近の医学の教えるとこ
ろによれば、人間は、その脳のなかの二十億
個の脳細胞のほんの一部を使って生涯をおえ
ているのだそうだ。大部分は未使用なのであ
る。人間の精神の可能性は、まだ、ほとんど
未開発なのだ。その未開発な部分をひらく手
がかりは、たぶん、生産的な人間関係、つま
り効率のよいピストン運動であろう。
 世間には、ひとつの俗信があって、創造的
な人間活動と他人との人間関係とは対立する
というふうに考える人が多い。しかし、それ
は、たぶん、あやまった考え方だ。他人(い
うまでもなくそれは、自分のなかにとりこま
れた「もうひとりの自分」をふくむ)とのか
かわりなしに、人間の創造はありえない。人
間関係なくして創造活動なし、なのである。
ピストンの錆びつきは、人物の可能性開発へ
の障害物だ。人間関係が大事なのは、相手と
仲よくするためではない。相手とうまくやっ
てゆくという意味での人間関係なら、誰だっ
てできる。ニコニコしていればよいのである
。人間関係の本当の問題は、それが自分の可
能性をどこまで跳躍させてくれるかという問
題だ。よく組まれた人間関係というものは、
当事者同士のピストン運動を活発にし、相互
に可能性を開花させうるような関係のことな
のだ。

(加藤秀俊『人間関係』より。関西学院大)