長文集  8月4週  ○俗に言う重箱のすみを  nngi-08-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/06/09 09:55:43
 俗に言う重箱のすみを突っつくたぐいの学
術論文は別にして、歴史書を書くほどの人は
学者でも、ということは世界的に有名な大学
の教授の地位にある研究者でも、その人たち
の歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁
句ではないということがわかる。
 もちろん彼らでも、カエサルがブルータス
らに殺されずにあと十年生きていたら、ロー
マはどうなっていたか、とは書かない。しか
し、カエサルの暗殺以後のローマの分析は、
「イフ」的な思考を経ないかぎり到達不可能
な分析になっている。ということは、書かな
くても頭の中では考えていたということであ
る。
 では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭
の中だけにしてももてあそぶのか。
 それは、歴史を学んだり楽しんだりする知
的行為の意義の半ば が、「イフ」的思考に
あるからである。ちなみに残りの半ばは、知
識を増やすことにある。「誰が」、「いつ」
、「どこで」、「何 を」、「いかに」、行
ったか、だけを書くならば、今や流行りのイ
ンターネットでも駆使して、世界中の大学や
研究所からデータを集めまくれば簡単に書け
る。ところが史書が簡単に書けないのは、こ
れらに加えて「なぜ」に肉迫(にくはく)し
なければならないからである。
 ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』の最後を
、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープ
ルの陥落で終えた。だが、五十余日にわたっ
た攻防戦を日々刻々記録したあるヴェネツィ
アの医師が残した史料は、ギボンの死んだ後
で発見されたのである。それを基にして今世
紀、現在では世界的権威とされているランシ
マン著の『コンスタンティノープルの陥落』
が書かれたのだった。
 この二書を読み比べてみると、たしかにラ
ンシマンの著作のほうが、五十余日の移り変
わりが明確になっている。だが、本質的には
まったく差はない。ギボンの鋭く深い史観は
、一級史料なしでも歴史の本質への肉迫(に
くはく)を可能にしたのである。つまり、「
なぜ」の考察に関しては、データの量はおろ
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か質でさえも、決定要因にはならないという
ことだ。歴史書の良否を決するのは、「な 
ぜ」にどれほど∵肉迫(にくはく)できたか
、につきると私は確信している。
 そして、史書の良否に加えて史書の魅力の
面でも、「なぜ」は大変に重要だ。誰が、い
つ、どこで、何を、いかに、まではデータに
属するが、それゆえに著者から読者への一方
通行にならざるをえないが、「なぜ」になっ
てはじめて、読者も参加してくるからであ 
る。その理由は、「なぜ」のみが書く側の全
知力を投入しての判 断、つまり、勝負であ
るために、読む側も全知力を投入して、考え
るという知的作業に参加することになるから
だ。書物の魅力は、絶対に著者からの一方通
行では生れない。読者も、感動とか知的刺激
を受けるとかで、「参加」するからこそ生れ
るのである。
 そこで、「なぜ」という著者・読者双方に
とっての知的作業に は、必然的に「イフ」
的な思考法が必要になってくる。
 私の言いたいのは、なぜ信長は本能寺で死
なねばならなかったのか、の「なぜ」ではな
く、生前の信長はなぜ、これこれしかじかの
政策を考え実行したのか、に肉迫(にくはく
)する「なぜ」であ る。
 それには、信長の立場に立って考えること
が必要だ。彼だって、本能寺で死ぬとは予想
していなかったのだから。ゆえに、もしも信
長があそこで死なずに十年生きていたら、と
考えることではじめ て、生きていた頃の信
長の意図に肉迫(にくはく)できるようにな
る。反対に「イフ」的思考を排除すると、話
は本能寺で終ってしまい、日本史上空前の政
策家信長の真意も、連続する線上で捕えるこ
とが困難になってしまうのだ。
 われわれは大学から給料をもらっている身
でもないし、それゆえに学術論文を書く義務
もない。彼らが禁句にしているからといっ 
て、われわれまでが恐縮して従う必要はない
のである。歴史を、著者・読者双方ともが生
きる現代に活かすのにも、「イフ」的思考は
有効である。

(塩野七生「『イフ』的思考のすすめ」)