長文集  9月1週  ★もっとも肉食が(感)  nngi-09-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】もっとも肉食がぜいたくだといいだ
せば、本来なら、欧米諸国でも事情は同じで
ある。いくら一人当り農用地面積がひろくと
も、土地からの第一次生産物を直接人間の口
に入れる方が、はるかに安上がりなことに変
りはない。【2】にもかかわらずヨーロッパ
人のあいだでは、栄養問題がたいしてやかま
しくもない古い時代から、なぜ不経済な肉食
が高い比率を占めてきたのであろうか。【3
】実は、畜産物を食べるのがぜいたくだとい
うのは、食用作物の十分にとれる耕地をわざ
わざ割いて、飼料作物を人工的に栽培した場
合のことである。もし、家畜が、そこらに勝
手に生える、食用にならない草のようなもの
で育つぶんには、肉食はすこしも不経済では
ない。【4】ヨーロッパ人の家畜飼育は、も
ともとそういうところからでてきたのである
。日本とは、だいぶ事情がちがう。ヨーロッ
パの肉食率が古くから高かったのは、もとは
といえば、日本では考えられないほど家畜飼
育の容易な、牧畜適地だったからである。【
5】そして、ヨーロッパを牧畜適地にしたの
は、要するに、自然に生える草類が家畜飼料
にならないほど徒長するのを妨げる、独特の
気候条件であった。では、ある意味では植物
の生育に不適なそうした気候条件は、穀物生
産に対してどのように働きかけたのであろう
か。
 【6】ここでまず考えなければならないの
は、日本では穀物生産の主役が伝統的に水稲
であったのに、ヨーロッパでは麦類であった
という事実である。このことは何でもないよ
うで実は重大な意味をもつ。【7】とくに、
現在とちがって化学肥料がものをいわない時
代には、なおさらである。たとえば、無肥料
連作をつづけた場合、麦類は水稲の半分ほど
の収量比しか確保できない。【8】これは、
水稲であれば、自然の灌漑用水のなかにいろ
いろな養分があり、収穫はそれほどおちない
のに、麦の場合はそうはいかないからであ 
る。同じ稲でありながら、陸稲を無肥料連作
すると、麦類と同じくらいの比率で収量が低
下することからも、このことはわかる。【9
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】それならばヨーロッパでも水稲を栽培して
もよさそうなものであるが、ここでわたくし
たちは気候条件につきあたる。水稲の栽培に
は、成育期に三か月以上摂氏二〇度を越す気
温と、年間で一〇〇〇ミリを越す降雨量が必
要であるが、ヨーロッパでこのような条件を
満たすところ∵はほんのわずかである。【0
】水稲栽培が可能なのは、本来的には、役に
たたない雑草を繁茂させる、暑熱と湿潤のは
げしい所だけである。したがって、近代以前
のヨーロッパの穀物生産力はいちじるしく低
い。
 こうした低い生産力水準は、ときとともに
少しはましになる。べつに肥料をつぎこまな
くても、播種のまえに何回もたがやすように
すれば、収穫量はいくぶん増加する。それに
しても、上昇のテンポはゆっくりしたもので
ある。十三、十四世紀には、ヨーロッパのあ
ちこちで生産力の実態をつかむことができる
ようになるが、とくに条件のめぐまれた場合
を別にすると、収穫量の平均は播種量の三倍
から四倍ていどにすぎない。近世にはいって
も、ようやく五、六倍ぐらいである。十九世
紀はじめでも、たいていのところでは、五、
六倍のままである。これらの数字がいかにひ
どいものかは、日本とくらべるとはっきりす
る。日本の水田はふつう上田・中田・下田な
どに分類されていたが、徳川時代の農業書を
総合すると、平均値にあたる中田の収穫量は
、大体播種量の三十倍から四十倍である。ヨ
ーロッパをほぼひとけた上廻っている。徳川
時代というと、すぐ五公五民とか六公四民と
いった調子で、ひどくしいたげられた農民の
姿が浮かぶが、考えてみれば、その原因の一
半(いっぱん)は、水田のこうした異常な生
産力の高さにある。いくら政治権力が暴虐で
も、生産力の低いところでは、とても、収穫
物の半分以上を横取りすることはできない。
(中略)日本の農民は、生産力が高いがゆえ
にいじめられるという、妙なジレンマにおい
こまれていたわけである。ところで、ヨーロ
ッパの穀物生産力が、十九世紀はじめまで、
これほど低いものであるとすれば、日本のよ
うな主食観念はとうてい生まれようがない。
そこでは、ある意味で、「パンはぜいたく 
品」である。過去の日本人が動物性食品に対
して抱いた、「もったいない」という感じが
、いわば裏返しの形で存在する。だから、ヨ
ーロッパ人の肉食率が高いのは、考え方によ
ってはけっしてかれらがめぐまれていたため
ではない。風土的条件が、かれらに穀物で満
腹することを許さなかったのである。穀物で
あれ、畜産物であれ、主食・副食の別なしに
口にすることがかれらの生きる唯一の道だっ
たのである。 (東北学院大)