長文集  9月2週  ★そうした中で、「戦後史」の(感)  nngi-09-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2013/06/06 06:38:54
 【1】そうした中で、「戦後史」の展望に
かかわる事典を編むという作業に参加したこ
とは、第一に自分の経験以外の細部に出会え
るという機会であり、第二に全体像を見て取
る、誤解を承知で言いかえれば、ある種の歴
史の錯覚を得るためにも得難い機会であっ 
た。【2】私が担当した科学技術の分野につ
いて、多少の印象を述べる前に、一人の人間
として、日本の戦後史とは何であったかとい
う点を、簡潔に表現すれば、「生命と生活の
安寧をお金で買い、その代償として、高潔さ
の徳を売り渡した」ということになる。【3
】この売り物と買い物の組み合わせは、ほと
んど必然であると思われるので、結局、戦後
の日本の選択がまさにそれであったといって
よいのだろう。良かれ悪しかれ、その選択が
戦後の日本を造り、自分も含めて現在の日本
人を造った。【4】私自身常にそのバーゲン
のうちに身をさかれているのを覚える。戦後
、身の内からわき出るような笑いを笑った記
憶を持たない自分に気づくとき、我が身のそ
の分裂がどれほど深い抑圧であるかを、重ね
て苦く知らされる。
 【5】そうしたバーゲンに決定的に貢献し
たものの一つが、科学技術であった。とくに
産業技術に関していえば、その成長ぶりは、
想像を越えている。早い話、自分が自分の自
動車を持つことなど、一体どれだけの人が、
例えば昭和二五年に信じられただろう。【6
】無論、敗戦後、アメリカをはじめ戦勝国が
食料・衣料や医薬品を放出してくれたことが
、日本国民を救ったし、朝鮮戦争・ベトナム
戦争では多くの国々の若者たちの血が流され
たが、【7】日本だけは一滴の血も流さなか
ったばかりか、特需という形の経済的な利得
だけを得たという、日本にとってまことに都
合のよい事態が、続けて起こったことを見逃
すわけにはいくまい。
 【8】しかし、石油ショックを産業の体質
改善に利用し、徹底した省エネルギー化と合
理化の中で技術を磨いたことは、確かに日本
の自助努力であったと評価することができよ
う。【9】それは原料やエネルギー資源を国
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内に持たない日本だったからこそ可能な努力
だったとも考えられるし、さらに敢えていえ
ば、かのバーゲンをしてしまった日本だから
こそ、そこにエネルギーを傾注できた、とも
考えられる。【0】その結果、公害抑止技術
を含めて日本の技術が世界に貢献で∵きる余
地は明らかに増えた。今のところ、日本のそ
うした関連の技術は、普遍的に利用できるほ
ど廉価ではないが、地球環境問題の深刻化を
考えると、この分野での技術の多様化と徹底
化に率先して努力を傾注することで、これま
で海外から受けた様々な援助の返礼をすべき
時が来ていることを痛感する。科学技術の領
域をめぐって戦後史という観点から振り返っ
て、見えてくる最大のポイントはそこにある
のであって、ノーベル賞受賞者の数をどうや
って増やせばよいか、というようなことは、
枝葉末節だと私は信ずる。
 他方、科学については湯川秀樹のノーベル
賞受賞は戦後最大のニュースで、それととも
に湯川や朝永を中心にした素粒子論グループ
が世界をリードしたと思われる時期も僅かな
がらあった。ただ、日本はもともと純粋科学
のような理念を持ち難い体質の社会である。
また、過度の平等化が進んで、突出した才能
を発掘しにくい雰囲気もあろう。最近とみに
話題になる、いわゆる「センター・オブ・エ
クセレンス(その分野の研究者なら、行って
みたい、滞在してみたいという吸引力を備え
た、世界的な研究機関)」が、日本に全くと
いっていいほど存在しないのも、平等化の進
んだ結果であろう。公立の高校が「学校群」
などという馬鹿げた制度の採用で平均化され
てしまったことが、現在の偏差値教育の元凶
であろうが、このような構造を一朝一夕には
変えられないとすれば、問題は、そうした一
面から見れば奇妙な学校教育に支えられた、
日本の科学研究が今後どこへ進むべきか、と
いう点であろう。
 ノーベル賞受賞者を一人増やすよりは、世
界の様々な場所で、人間の尊厳を全うできず
に苦しんでいる人々の「生」を支えるような
科学技術、次の時代に生きるはずの、まだ生
まれ来ていないものたちが、少しでも生きて
いてよかったと思えるような地球を残すため
に役立つような科学技術、そうしたものの創
造に力を尽くす科学者が、日本から一人でも
生まれることを、かつて人々が人間の尊厳を
失い、外国の援助に助けられた、またその結
果として、高潔さを売り渡して「生」の安寧
を追求することを選択してしまった「日本の
戦後史」の総括として、ここに望んでおこう
。(村上陽一郎「科学技術のポスト戦後」)