長文 9.2週
1. 【1】そうした中で、「戦後史」の展望にかかわる事典を編むという作業に参加したことは、第一に自分の経験以外の細部に出会えるという機会であり、第二に全体像を見て取る、誤解を承知で言いかえれば、ある種の歴史の錯覚さっかくを得るためにも得難い機会であった。【2】私が担当した科学技術の分野について、多少の印象を述べる前に、一人の人間として、日本の戦後史とは何であったかという点を、簡潔に表現すれば、「生命と生活の安寧あんねいをお金で買い、その代償だいしょうとして、高潔さの徳を売り渡しう わた た」ということになる。【3】この売り物と買い物の組み合わせは、ほとんど必然であると思われるので、結局、戦後の日本の選択せんたくがまさにそれであったといってよいのだろう。良かれ悪しかれ、その選択せんたくが戦後の日本を造り、自分も含めふく て現在の日本人を造った。【4】私自身常にそのバーゲンのうちに身をさかれているのを覚える。戦後、身の内からわき出るような笑いを笑った記憶きおくを持たない自分に気づくとき、我が身のその分裂ぶんれつがどれほど深い抑圧よくあつであるかを、重ねて苦く知らされる。
2. 【5】そうしたバーゲンに決定的に貢献こうけんしたものの一つが、科学技術であった。とくに産業技術に関していえば、その成長ぶりは、想像を越えこ ている。早い話、自分が自分の自動車を持つことなど、一体どれだけの人が、例えば昭和二五年に信じられただろう。【6】無論、敗戦後、アメリカをはじめ戦勝国が食料・衣料や医薬品を放出してくれたことが、日本国民を救ったし、朝鮮ちょうせん戦争・ベトナム戦争では多くの国々の若者たちの血が流されたが、【7】日本だけは一滴いってきの血も流さなかったばかりか、特需とくじゅという形の経済的な利得だけを得たという、日本にとってまことに都合のよい事態が、続けて起こったことを見逃すみのが わけにはいくまい。
3. 【8】しかし、石油ショックを産業の体質改善に利用し、徹底てっていした省エネルギー化と合理化の中で技術を磨いみが たことは、確かに日本の自助努力であったと評価することができよう。【9】それは原料やエネルギー資源を国内に持たない日本だったからこそ可能な努力だったとも考えられるし、さらに敢えてあ  いえば、かのバーゲンをしてしまった日本だからこそ、そこにエネルギーを傾注けいちゅうできた、とも考えられる。【0】その結果、公害抑止よくし技術を含めふく て日本の技術が世界に貢献こうけんで∵きる余地は明らかに増えた。今のところ、日本のそうした関連の技術は、普遍ふへん的に利用できるほど廉価れんかではないが、地球環境かんきょう問題の深刻化を考えると、この分野での技術の多様化と徹底てってい化に率先して努力を傾注けいちゅうすることで、これまで海外から受けた様々な援助えんじょの返礼をすべき時が来ていることを痛感する。科学技術の領域をめぐって戦後史という観点から振り返っふ かえ て、見えてくる最大のポイントはそこにあるのであって、ノーベル賞受賞者の数をどうやって増やせばよいか、というようなことは、枝葉末節だと私は信ずる。
4. 他方、科学については湯川秀樹ひできのノーベル賞受賞は戦後最大のニュースで、それとともに湯川や朝永を中心にした素粒子そりゅうし論グループが世界をリードしたと思われる時期も僅かわず ながらあった。ただ、日本はもともと純粋じゅんすい科学のような理念を持ち難い体質の社会である。また、過度の平等化が進んで、突出とっしゅつした才能を発掘はっくつしにくい雰囲気ふんいきもあろう。最近とみに話題になる、いわゆる「センター・オブ・エクセレンス(その分野の研究者なら、行ってみたい、滞在たいざいしてみたいという吸引力を備えた、世界的な研究機関)」が、日本に全くといっていいほど存在しないのも、平等化の進んだ結果であろう。公立の高校が「学校群」などという馬鹿げばか た制度の採用で平均化されてしまったことが、現在の偏差へんさ値教育の元凶げんきょうであろうが、このような構造を一朝一夕には変えられないとすれば、問題は、そうした一面から見れば奇妙きみょうな学校教育に支えられた、日本の科学研究が今後どこへ進むべきか、という点であろう。
5. ノーベル賞受賞者を一人増やすよりは、世界の様々な場所で、人間の尊厳を全うできずに苦しんでいる人々の「生」を支えるような科学技術、次の時代に生きるはずの、まだ生まれ来ていないものたちが、少しでも生きていてよかったと思えるような地球を残すために役立つような科学技術、そうしたものの創造に力を尽くすつ  科学者が、日本から一人でも生まれることを、かつて人々が人間の尊厳を失い、外国の援助えんじょに助けられた、またその結果として、高潔さを売り渡しう わた て「生」の安寧あんねいを追求することを選択せんたくしてしまった「日本の戦後史」の総括そうかつとして、ここに望んでおこう。(村上陽一郎よういちろう「科学技術のポスト戦後」)