長文集  9月4週  ○最近のローティーン以下の  nngi-09-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/06/09 09:55:56
 最近のローティーン以下の子供たちは、あ
れほど教師が「個性」「自立」「自立性」を
金科玉条のように主張しているにもかかわら
ず、目立つことを嫌う傾向が強いそうである
。彼らの間では、「他人に配慮ができる」気
配り型が人気で、「場の空気が読めない」外
し型が不人気だそうである。事実、うちの小
学生の娘を見ていて も、目立たないことの
重要性を学習していると感じている。
 「けっこうです」という言葉は頭が痛い。
高文脈言語である日本語を象徴する言葉であ
る。文脈を理解していないと、「イエス」か
「ノー」かわからないのである。日本人でも
文脈が微妙で、どちらかわからないことさえ
ある。最近の若者の間で、この「けっこうで
す」に代わる言葉のひとつに、「ビミョー」
があろう。明確な判断を避けているとの批判
もあるが、若者たちの間では、共有している
文脈のなかで、最近はとくに否定的な意見や
感想をできるだけ述べたくないので、推し量
れという高文脈言葉として使われている。ま
さに微妙なのである。
(中略)
 これを巨視的にはどう捉えるべきか。戦後
の一億総中流という平等幻想の上に築かれた
企業という名の大きな帰属集団が、いままさ
に崩壊せんとしており、日本的小規模帰属集
団への先祖返りが若者によってなされようと
している、と受けとれないこともない。この
意味においても、日本企業は若年層の企業へ
の忠誠心(この場合は英語のコミットメント
という語がふさわしい)を、どのように確保
するのかという大きな問題を抱えているとい
える。このまま企業 が、若者たちの企業へ
のコミットメントを喪失すれば、日本企業の
企業力、ひいては日本の国力は衰退していく
ことだろう。
 したがって、若者の行動の変化が個人主義
への移行につながるという議論は、明らかに
論理が飛躍している。利己主義化(わがまま
化)していることを個人主義化の根拠として
いるのかもしれない が、集団主義を否定す
れば個人主義になるというような単純な二項
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対立的な問題ではない。日本と西欧の自我/
自己構造の違いを考え∵れば、これが乱暴な
論であることは明らかである。
 にもかかわらず、日本的原理の崩壊=個人
主義への移行という極端な論を展開している
人が多いのは、そうした論者自身が日本人的
自己の前提構造の不安定さに苛立っているか
らと解釈したほうがよいのではないか。自己
の前提となる役割構造が崩壊してしまうとき
によく見られる日本的な態度、まるで振り子
のように「ゼロか百 か」に極端に振れる姿
勢が、ここにもあらわれているのである。そ
もそも、利己主義と個人主義を混同すること
自体、日本人が西欧的な意味での個人主義原
理に向かっていない証拠である。
 繰り返しになるが、若年層の行動を子細に
見ていくと、自己の相対的位置づけに基づく
内向きの思考メカニズムに、構造的な変化は
認められない。一見、個人主義原理へ移行し
つつあるように映る若年層の行動は、自己構
造にいたる手前のプロセスにおける、二つの
領域での変化と解釈すべきなのではないか。
 ひとつは、従来に比べて若年層の共通文脈
の設定領域が狭くなったことと、コミュニケ
ーション・スキルとその方法が変化したこと
である。もうひとつは、若年層の社会行動規
範の通念が、これまでに比べてかなり変化し
てきたことである。戦後の官僚が築き上げた
「一億総中流の平等幻想」がバブル崩壊によ
って破綻し、「一億総よい子化」に息苦しさ
を感じる若者たちが出てきたことによって、
社会通念が変化し、よい意味での階層化が進
んでいる。息苦しくなくいられる、自分のア
イデンティティとなるワーキング・クラスの
形成である。けっして裕福でもない家庭の子
供がニートの多くを占められるほど豊かな社
会では当然かもしれない。最近は「下流社 
会」とか「格差社会」という言葉がはやって
いるが、階層化をすべて悪と捉えるのは、社
会主義的官僚か、おせっかいな進歩的文化人
であろう。

(小笠原泰『なんとなく、日本人』による)