1. 【1】昭和の時代は、戦前を知る人たちが身近に多くいたため、戦後の日本社会の「外側」を意識することが容易であった。また、国外には社会主義体制が、未だ大きな勢力として存続していたため、資本主義の世界の外側を意識することも容易であった。【2】つまり私が物心のついた八〇年代は、自分が生きている世界に外側があり、外側の世界から自分が生きる世界を相対化して考えることが容易な時代であったといえる。
2. しかし昭和から平成に元号が変わり、バブルが
弾け、冷戦体制が
崩壊すると、このような「外側」を想像することが難しくなっていく。【3】チェーン店の接客マニュアルのような
言葉遣いが全国
津々浦々に
浸透するようになり、できる限り「外側」と
接触しないですむような「デオドラントなコミュニケーション」が社会へと
浸透してきたのである。
3. 【4】このため私たち「平成育ち」の若者は、チェーン店のマニュアルのように、感じよく、当たり障りのないコミュニケーションを行うことに慣れている。【5】しかしその一方で、他人と
衝突したときに「オン」「オフ」の回路でキレたり、他人と
衝突した後始末をするときに逆ギレしたり、「想定」の「外側」でコミュニケーションを行うことが下手くそである。
4. 【6】つまり平成期に入り、グローバリゼーションとIT革命が進行し、世界が「外側」へとどんどん広がったのとは対照的に、「平成育ち」のコミュニケーションは「内側」へとどんどん閉じてきたのである。
5. 【7】また、「有史以来最も分かりにくい戦争」といわれた
湾岸戦争が暗示していたように、冷戦が終わり、グローバリゼーションとIT革命が進行したことで、世界は未だかつてないほど「分かりにくく」なった。
6. 【8】しかしこれとは対照的に、平成期に入ると「分かりやすさ」を全面に打ち出し、
視聴者も議論に参加できる「
平な報道番組」が流行してきた。番組の討論にファックスで
視聴者が参加するのが
一般的になったのも、平成五年前後である。
7. 【9】そしてこのような番組を通して「分かりやすい歴史観」や「分かりやすい世界観」が広まるようになり、戦前の歴史や社会主義体制など、昭和期には「外側」にあったものが、容易に
超克可能な∵「内側」とみなされるようになった。
8. 【0】今日から
振り返れば、コスモ星丸というキャラクターは、この点でも時代の変化を予見するキャラクターであったといえる。当時、ボイジャー二号の
到達点は土星であり、当時の科学が測定できる最果ての地は、輪っかのかっちょいい土星であった。つまりコスモ星丸は、私たちが
把握できる世界の「外側」と「内側」の境界に、異形のキャラクターとして
屹立していたのである。
9. 平成期を通して私たち「
平成人」は、「外側」に存在する星々から自己の位置を測ることができず、「何時の何処だか分からないような平成日本」の「内側」を迷走してきた。
10. 宇宙が広がり続けているのと同様に、グローバリゼーション下の世界は「外側」へと複雑に広がり続けているが、私たち「平成人」の世界は「内側」へと
狭まり続けているのである。
11. (
酒井信『平成人(フラット・アダルト)』(
文藝春秋)より)