長文集  11月2週  ★人生が物語であるとすれば(感)  nngu2-11-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】人生が物語であるとすれば、世界も
また物語である。私たちの人生は、他者を含
む世界のなかで展開する。現象学のむずかし
い議論に頼るまでもなく、私たちは「人間は
彼の世界なしには存在せず、彼の世界は彼な
しには存在しえない」ことを知っている。【
2】私たちは「世界のなかでのみ、世界を通
してのみ」、自分になりうるのであり、また
自分であることができるのである(R・D・
レイン『ひき裂かれた自己』)。もちろん、
ここでいう「世界」とは、実在的な環境その
ものではない。【3】人間によって、ある仕
方で意味づけられ秩序づけられた環境が「世
界」である。それゆ え、カルロス・カスタ
ネダの一連の著書の主人公、メキシコのヤキ
族の老呪術師ドン・ファンがいうように、「
世界がこれこれであったり、しかじかであっ
たりするのは、要するにわれわれが自分自身
にそれが世界のあり方なのだといいきかせて
いるからにすぎん。【4】もしわれわれが世
界はこのようなものだといいきかせることを
やめれば、世界もそうであることをやめるん
だ」(C・カスタネダ『分離したリアリティ
ー』)。
 現代の私たちの社会で、「世界はこのよう
なものだといいきかせる」最も重要な語り手
は、各種のマスメディアであろう。【5】そ
れらは、むろんメディアの種類によってそれ
ぞれに性質の違いはあるが、全体として、複
雑で広大な現代社会に見合う一種の「物語提
供機構」として作用し、私たちの世界像の形
成と維持に大きな役割を果たしている。
 【6】メディアの提供する物語はさまざま
であるが、それらは必ずしも同じ平面に並ん
でいるわけではない。ある物語が提供され、
広まると、しばしば別のメディアによって、
その物語についての物語が提供され、さらに
その第二の物語についての物語……というふ
うにつみ重なって、いわば多層化していくこ
とが少なくないからである。【7】情報化社
会において情報の多様化が進むとよくいわれ
るが、多様化は同時に「多層化」をともなっ
ている。そして、こうした情報についての情
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報、物語についての物語といった一種のメタ
情報は、しばしば、裏情報あるいは裏話の性
質をもつ。
 【8】裏情報とか裏話というと、何かひそ
ひそと囁かれるものというイメージがあるが
、マスコミの発達した現代社会では、むしろ
この種の情報がメディア(とくに週刊誌やテ
レビ)の売り物とな り、広∵く流通してい
る。【9】一般に近年のマスコミは「美談」
を提供することが少なくなってきたが、たと
えそのような美しい物語が提供されても、た
ちまち「あれは実は……」といった裏話的な
情報があらわれ、はじめの物語をひっくり返
してしまう。【0】裏話には「表」にあらわ
れているタテマエや理念を相対化し「脱神話
化」する働きがある。こうして、情報の「多
層化」は、神話的あるいは規範的な含みをも
つ物語の力を衰弱させる。
 裏話によって象徴され、かつ形成される世
界観の根底には、一種のシニシズムがある。
つまり、「表」にはいろいろきれいごとが示
されても、結局のところ、人間も、人間の集
団や組織も、利己的な動機で動く。どんなに
立派にみえる行動も、裏の動機をさぐれば、
必ずや権力欲、物欲、性的関心、保身や組織
防衛の必要などにゆきつくだろう。そういう
ものの見方である。
 しかし、裏話や裏情報というものは、ほん
らい、意地の悪い仮面はがしだけでなく、お
たがい人間的弱点を共有するものとして人と
人とを結びつけてゆく働きや、遠い対象を身
近にひき寄せて理解を深める働きなどをも含
んでいるはずだ。表と裏を対比するというよ
りは、表もあれば裏もある、ふくらみをもつ
全体として人間と世界をとらえ、表と裏との
複雑な絡みあいに私たちの目を向けさせると
ころに、むしろ裏の物語の重要な意味がある
。だが、現代のメディアが提供する裏話や裏
情報は、すべてを利己的・世俗的な動機に還
元することによって世界を明快に割り切る傾
向を強く示している。たしかに私たち自身、
この種の裏の物語に接してはじめて「なるほ
どそうか」と納得する場合が少なくないこと
は否定できない。しかし、だからといって、
裏からのシニカルな解釈だけが現実で、表に
出ているタテマエや理想はすべて虚偽だとい
うのは単純にすぎよ う。現代人も決して理
想を信じる能力を失ってしまったわけではな
いし、また、たとえそれが表面を飾る仮面に
すぎなくても、長くかぶっているうちに仮面
と顔との区別がつかなくなるということもあ
る。

(井上俊()「現代文化のとらえ方」より)