1. 【1】人生が物語であるとすれば、世界もまた物語である。私たちの人生は、他者を
含む世界のなかで展開する。現象学のむずかしい議論に
頼るまでもなく、私たちは「人間は
彼の世界なしには存在せず、
彼の世界は
彼なしには存在しえない」ことを知っている。【2】私たちは「世界のなかでのみ、世界を通してのみ」、自分になりうるのであり、また自分であることができるのである(R・D・レイン『ひき
裂かれた自己』)。もちろん、ここでいう「世界」とは、実在的な
環境そのものではない。【3】人間によって、ある仕方で意味づけられ
秩序づけられた
環境が「世界」である。それゆえ、カルロス・カスタネダの一連の著書の主人公、メキシコのヤキ族の老
呪術師ドン・ファンがいうように、「世界がこれこれであったり、しかじかであったりするのは、要するにわれわれが自分自身にそれが世界のあり方なのだといいきかせているからにすぎん。【4】もしわれわれが世界はこのようなものだといいきかせることをやめれば、世界もそうであることをやめるんだ」(C・カスタネダ『
分離したリアリティー』)。
2. 現代の私たちの社会で、「世界はこのようなものだといいきかせる」最も重要な語り手は、各種のマスメディアであろう。【5】それらは、むろんメディアの種類によってそれぞれに性質の
違いはあるが、全体として、複雑で広大な現代社会に見合う一種の「物語提供機構」として作用し、私たちの世界像の形成と
維持に大きな役割を果たしている。
3. 【6】メディアの提供する物語はさまざまであるが、それらは必ずしも同じ平面に並んでいるわけではない。ある物語が提供され、広まると、しばしば別のメディアによって、その物語についての物語が提供され、さらにその第二の物語についての物語……というふうにつみ重なって、いわば多層化していくことが少なくないからである。【7】情報化社会において情報の多様化が進むとよくいわれるが、多様化は同時に「多層化」をともなっている。そして、こうした情報についての情報、物語についての物語といった一種のメタ情報は、しばしば、裏情報あるいは裏話の性質をもつ。
4. 【8】裏情報とか裏話というと、何かひそひそと
囁かれるものというイメージがあるが、マスコミの発達した現代社会では、むしろこの種の情報がメディア(とくに週刊誌やテレビ)の売り物となり、広∵く流通している。【9】
一般に近年のマスコミは「美談」を提供することが少なくなってきたが、たとえそのような美しい物語が提供されても、たちまち「あれは実は……」といった裏話的な情報があらわれ、はじめの物語をひっくり返してしまう。【0】裏話には「表」にあらわれているタテマエや理念を相対化し「
脱神話化」する働きがある。こうして、情報の「多層化」は、神話的あるいは
規範的な
含みをもつ物語の力を
衰弱させる。
5. 裏話によって
象徴され、かつ形成される世界観の根底には、一種のシニシズムがある。つまり、「表」にはいろいろきれいごとが示されても、結局のところ、人間も、人間の集団や組織も、利己的な動機で動く。どんなに立派にみえる行動も、裏の動機をさぐれば、必ずや権力欲、物欲、性的関心、保身や組織防衛の必要などにゆきつくだろう。そういうものの見方である。
6. しかし、裏話や裏情報というものは、ほんらい、意地の悪い仮面はがしだけでなく、おたがい人間的弱点を共有するものとして人と人とを結びつけてゆく働きや、遠い対象を身近にひき寄せて理解を深める働きなどをも
含んでいるはずだ。表と裏を対比するというよりは、表もあれば裏もある、ふくらみをもつ全体として人間と世界をとらえ、表と裏との複雑な
絡みあいに私たちの目を向けさせるところに、むしろ裏の物語の重要な意味がある。だが、現代のメディアが提供する裏話や裏情報は、すべてを利己的・
世俗的な動機に
還元することによって世界を明快に割り切る
傾向を強く示している。たしかに私たち自身、この種の裏の物語に接してはじめて「なるほどそうか」と納得する場合が少なくないことは否定できない。しかし、だからといって、裏からのシニカルな
解釈だけが現実で、表に出ているタテマエや理想はすべて
虚偽だというのは単純にすぎよう。現代人も決して理想を信じる能力を失ってしまったわけではないし、また、たとえそれが表面を
飾る仮面にすぎなくても、長くかぶっているうちに仮面と顔との区別がつかなくなるということもある。
7.(
井上俊「現代文化のとらえ方」より)