長文集  4月1週  ○野球で「二年目のジンクス」ということが  nnza-04-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2017/03/14 10:49:43
【長文が二つある場合、音読の練習はどちら
か一つで可。】
 【1】近代合理主義の精神は、思考の過程
、あるいはものを考える過程で、さまざまな
夾雑物、余計な要素を取り除き、いくつかの
単純な原理にしたがって論理を進めようとす
る思考法をとる。【2】その過程で仕掛けら
れる判断の基準も、できうるかぎり単純であ
ることが望まれる。そして、その考えられる
単純な原理こそが、ふたつのものからそのい
ずれかを選択するという判断基準であった。
 【3】すなわち、真と偽(ぎ)、善と悪、
美と醜(しゅう)、正と否など二者択一の論
理こそ、近代合理主義が旨とする判断の方法
にほかならない。真なる前提から始まって、
真なる判断を繰り返していけば、真理に到達
すると固く信じられたのである。【4】デカ
ルトが、数学的方法に思考方法のあるべき姿
を認めたのも、伝統的な数学がこの真偽二者
択一の方法に絶対的に依っていたからだ。
(中略)
 【5】しかし、真偽の弁別を繰り返してい
って世界全体の判断に達するという演繹的な
論理は、世界全体を判断の傘下に収めようと
するのだから、当然のことに、判断の普遍妥
当性を要求することになる。【6】つまり、
ある部分では当てはまるが、べつの部分にな
ると当てはまらない理論は、斉一的な世界像
を求める近代の科学的合理主義のなかでは市
民権を得ることはできないのである。【7】
たとえば、科学実践の現場でも、理論にそぐ
わない実験結果や現象が現れたときに、それ
らを無視し捨象(しゃしょう)して理論の斉
一性を守るということが日常茶飯におこなわ
れるのである。【8】しかし、そうした例外
に属する現象が無視しえなくなれば、それを
取り込むことのできない理論そのものを変え
る必要がでてくるわけで、こうして理論の転
換がおこなわれるようになる。【9】これ 
が、「科学革命」あるいは「パラダイム・シ
フト」と呼ばれる現象のひとつである。
 こうした現象は、しかし、世界に対する理
論の普遍妥当性という信念ないし確信にも似
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た意識に由来するものだということがわか 
る。【0】あらゆる理論は、数学の原理がそ
うであるように、∵いついかなるところでも
当てはまらなくてはならないと固く信じられ
てきたのである。そうしたなかで、理論に妥
当しない例外的な現象は、偶然的なもの、あ
るいは蓋然的なものとして貶められてきたの
である。そして、不確定性原理の出現に見ら
れるように、現象をもれなく網羅し説明する
理論の普遍妥当性そのものが揺らぎ出してく
ると、方法としても、もはや確率統計的な方
法をとらざるをえなくなってきたのである。
つまり、現象の世界に対し人間の側がなしえ
るのは、一定の法則を世界に押しつけること
ではなく、現象のあるがままの姿を記述する
ことと考えられるようになったわけだ。
 理論や法則の普遍妥当性という近代科学の
絶対主義的傾向は、相対性理論や量子力学な
ど二十世紀の初頭に相次いで現れる新たな潮
流によって、おおいに揺さぶりをかけられた
。これらは、学問や理論の世界のなかだけで
起こったことのように思われているが、そう
ではない。われわれの日常生活にも、少なか
らず影響を与えているのだ。影響を与えてい
るというよりは、むしろ、同じ大きな流れ 
が、理論的世界にも、また日常生活にも現れ
ているというべきなのだろう。
 とにかく、「すべての……は……である」
といった論理学の全称判断のようなものに見
られる、普遍性への意識をもった思考法は、
個の意識が昂揚し、多様性が横溢するように
なった社会的意識や日常生活のレベルにおい
ては、もはや妥当性を失いつつあると考える
べきだろう。

(山本雅男()『ヨーロッパ「近代」の終焉
』より)∵
 【1】野球で「二年目のジンクス」という
ことがよく言われる。一年目は好成績を残し
たのに、二年目はさっぱりダメという場合で
ある。イチローのような特段に優れた選手は
例外で、ほとんどが並の実力の持ち主だから
、一年目は誤差でたまたまいい成績となった
だけで、二年目からは平均に戻ったと考えた
方が正しいだろう。【2】にもかかわらず、
スウィングが悪い、モーションが悪いと指摘
され、自分もそうではないかと思い込んでフ
ォームを崩してしま い、結局大成しなかっ
た選手が多くいる。数年間を見て実力を見極
める度量が欲しいものである。

 【3】以上、判断の各過程におけるエラー
について述べてきた が、それらに共通する
心理を整理しておこう。
 まず、「認知的節約の原理」がある。限ら
れた情報から欠けた部分を経験や先入観や単
純な類推によって補い、効率よく事態を処理
しようとする心理のことだ。【4】本人にと
って負担が少ない思考法だが、そこにエラー
が生じてしまうのだ。
 続いて、「認知的保守性の原理」を挙げよ
う。すでに持っているスキーマを保ち維持し
ようとする傾向で、反証を無視したり、無理
にでも自分の描像に合わせてしまう心理であ
る。【5】自分は一貫した考え方をしている
と自認できるので心理的な安定感が得られる
ことになる。だからこそ間違いやすいとも言
える。自分が安心できる思考法でつい安住し
てしまうからだ。
 【6】もう一つは、「主観的確証の原理」
で、どちらともつかない証拠だけでなく明ら
かな反証であっても、自分の予期を積極的に
支持していると勝手に解釈する心理傾向であ
る。「いやよいやよも好きのうち」と身勝手
に思い込んでセクシュアルハラスメントに及
ぶ人間がその典型と言える。【7】自分の身
勝手さに気づかず、全て他人のせいにして安
閑としている人にお目にかかることが多いの
はこのためだろう。被疑者に対して状況証拠
しか見つかっていないのに犯人と決めつけ、
すべてその仮定の下で解釈したがる例もあ 
る。【8】犯人が見つかっていないと不安だ
が、強引にでも決めつけてしまえば安心する
のだ。(早く安心したいという気持が底に潜
んで∵いることもある。)この心理には、思
考の経済性や一貫性なども絡み合っている。
こうなるともはや自省する気持を失ってしま
う。
 【9】さらに付け加えるとすれば、「偶然
性を拒否したい心  理」、言い換えれば「
確固とした因果関係として説明したい心理」
もある。偶然に起こったことであっても必然
だと思い込み、それをきちんとした因果関係
で説明しようとすると科学的な理由が見つか
らず、ついに超常的現象だと考えてしまうケ
ースである。【0】予知夢がテレパシーしか
ないと解釈し、たまたま当たったのを透視で
きたと受け取り、そのまま信じ込んでしまう
のだ。認知的エラーを自覚しない人ほど、自
分の体験を絶対化して信じ込む傾向が強い。
「しょせん、体験したことがない人にはわか
らない」として、他人の意見や忠告を受け入
れなくなってしまうのだ。そして、自分の意
見を強調すればするほどその信念はいっそう
強くなっていき、もはや後戻りが不可能にな
る。
 むろん、人間の認知エラーが多いと言って
も、私たちは日常生活において大きな支障な
しに生きている。それを無意識のうちに矯正
したり、または大きな問題が起こらないので
気づかないままやり過ごしている。ときには
認知エラーが人間の生存にプラスにはたらい
ていることもあると知っておくべきだろう。
あまりに気にし過ぎると神経症を病むことに
なりかねないからだ。
 ただ、突発的な事件が起こって即座の判断
を迫られたり、すぐに合理的な解釈ができな
い事象に遭遇したりしたとき、認知過程には
誤りが多いことを自覚して、自分の推論を絶
対化しないことが肝腎なのである。それは疑
似科学に騙されていないか自らを点検するこ
とにも通じるからだ。

(池内了『疑似科学入門』による)