長文集  4月3週  ★分析とは外から見る立場(感)  nnza-04-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】分析とは外から見る立場です。とい
うよりも、外からものを知る方法として、分
析という仕方が生まれたのです。(中略)
 分析的方法の確立者とも言えるデカルトは
「研究しようとする問題のおのおのを出来る
限りの、そうして、それを最もよく解決する
ために要求される限りの、部分に分けること
」と言っております。【2】そうして、それ
こそ、対象、あるいは問題の要素と言われる
ものなのです。その意味で、分析とは要素へ
の還元であるとも言われるのです。
 例えば、水は水素と酸素からなるという場
合、水はたしかに水素とか酸素とか私達が名
づけるものから成り立っているのであります
が、【3】私達はそのもの自体を知るのでは
なく、水素とか酸素とか名づけることによっ
て、それを理解するのです。もちろん、それ
は水素とか酸素とかいう言葉で示されるとは
限らず、ドルトンが行ったように、【4】す
べての原子を白い丸とか黒い丸とか、中に線
を引いた丸とか中心に黒点を書き入れた丸と
かいった図形的記号で示すことも出来ますし
、さらにOとかCとかNとかHとかいういわ
ゆる化学記号を用いることも出来ます。【5
】そうして、科学の記号としては、一切が数
学的記号で示されるのが理想でありましょ 
う。が、ともかくいわゆる物質の要素も、分
析的認識としては記号的認識以上には出ない
のです。もっとも、ここにはさらに次のよう
な疑問が起るかも知れません。【6】それは
、水素、酸素などの原子ではまだ最後の要素
ではないとしても、その原子を原子核と電子
にわけ、さらに核を陽子とか中性子とか中間
子とかに分けてゆけば最後には真の物質的要
素に到達するのではないかという疑問です。
【7】しかし、物質の成分をどんなに小さく
分割していっても問題は少しも変りません。
というのは、認識の対象が外にある限り、言
い換えれば、外からものを眺める限り、やは
りそれをとらえるためには、立場と記号が必
要であるということには変わりはないからで
す。【8】むしろ、今述べたような極微の世
界では、それを知るのはもはや、日常的な感
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覚や知性では不十分で、数学的表現のみがそ
れを正確に表わしうるのであることを思う時
、分析的認識は記号的認識であるということ
は、一層明らかとなるのです。
 【9】以上お話ししましたことによって、
分析するとは対象を記号と∵しての要素にわ
けることであることは明らかになったと思い
ますが、そこで注意しなければなりませんこ
とは、その分析の要素とは、単にその対象だ
けにあるものではなく、他の多くのものにあ
る一般的要素であるということです。【0】
例えば、水素や酸素は水にだけ含まれている
ものではなく、アルコールにも、空気の中に
もあるのです。ということは、つまり、分析
するとは、特殊なものを一般的なもので理解
するということなのです。そうして、それ 
は、逆に言えば、もしユニークなもの、唯一
独自なものがあるとすれば、そのようなもの
は、分析出来ないということなのです。――
このことは、動きと分析についても言えるこ
とで、刻々に変化するものは分析出来ないも
のなのです。なぜかと言いますと、分析する
とは要素つまり、単位に分けることでありま
すが、単位とは、それが不変なもの変わらな
いものであればこそ単位と言えるのですが、
対象が刻々に変っているとすれば、それらす
べてに共通な単位というものは有りえないの
です。もし、一刻の休みもなく変わっている
ものを何らかの記号で示そうとするなら、逆
にその記号が次々に変わらなければならない
。それは単位が変わるということである。し
かし、それでは、それはもはや単位ではあり
ません。
 このように考えてきますと、分析という認
識方法は、すべての対象に適用出来るもので
はないことが明らかとなります。全く個性的
な、絶対に他のものによって置き換えられな
い唯一独自な、オリジナルなものと、刻々に
新たになるもの、すなわち正しい意味の「時
間」の認識には、分析的方法は適用出来ない
のです。

(澤瀉久敬(おもだかひさゆき)「哲学と科
学」)