長文集  4月4週  ○私は『牡丹灯籠』の速記本を  nnza-04-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2015/03/15 14:41:15
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は
一番目の長文です。】
 【1】経済学の父アダム・スミスはこう述
べています。「通常、個人は自分の安全と利
得だけを意図している。だが、彼は見えざる
手に導かれて、自分の意図しなかった公共の
目的を促進することになる」。【2】ここで
スミスが「見えざる手」と呼んだのは、資本
主義を律する市場機構のことです。資本主義
社会においては、自己利益の追求こそが社会
全体の利益を増進するのだと言っているので
す。
 【3】経済学者の「悪魔」ぶりがもっとも
顕著に発揮されるの は、環境問題に関して
でしょう。多くの人にとって、資本主義が前
提とする私的所有制こそ諸悪の根源です。環
境破壊とは、私的所有制の下での個人や企業
の自己利益の追求によって引き起こされると
思っているはずです。
 【4】だが、経済学者はそのような常識を
逆なでします。私的所有制とは、まさに環境
問題を解決するために導入された制度だと言
うのです。
 【5】『かつて人類は誰のものでもない草
原で自由に家畜を放牧していました。家畜を
一頭増やせば、それだけ多く肉や皮やミルク
がとれます。草原は誰のものでもないので、
家畜が食べる牧草はタダです。【6】確かに
一頭増えれば他の家畜が食べる牧草が減り、
その発育に影響しますが、自由に放牧されて
いる家畜の中で自分の家畜が占める割合は微
々たるものです。それゆえ、人々は草原に牧
草がある限り、自分の家畜を増やしていくこ
とになります。【7】その結果、牧草は次第
に枯渇し、いつの日か無数の痩せこけた家畜
がわずかに残された牧草を求めて争い合う事
態が到来することになると言うのです。』
 【8】これこそ「元祖」環境問題です。そ
して経済学者は、それは、自然のままの草原
が誰の所有でもない共有地であるがゆえの悲
劇であると主張します。【9】環境問題とは
「共有地の悲劇」だと言うのです。
 『事実もし草原が分割され、その一画を牧
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場として所有するようになると、その中の家
畜はすべて「自分の」家畜となります。【0
】∵その時さらに一頭飼うかどうかは、その
一頭が新たに牧草を食べることによって、牧
場内の他の家畜の発育がどれだけ影響を受け
るかを勘案して決めるようになるはずです。
もはや牧草はタダではありません。他人に牧
場を貸したり売ったりする時でも、その中の
牧草の価値に応じた賃料や価格を請求するよ
うになるはずです。牧草は合理的に管理され
、共有地の悲劇から救われることになりま 
す。私的所有制の下での自己利益の追求こそ
が環境破壊を防止することになると言うわけ
です。」
 「悪魔」の一員だけあって、経済学者の論
理は完璧です(私自身この論理を三十年間教
えてきました)。実際、一九九七年の地球温
暖化防止に関する京都議定書は、この論理を
取り入れました。先進諸国に温暖化ガスの排
出枠を権利として割り当て、その過不足を売
買することを条件付きで許したのです。
 ここでは温暖化ガスが汚染する大気は家畜
が食べ荒らす牧草に対応し、各国が売買しう
る排出枠は牧畜家が所有する牧場に対応して
います。すなわち、それは大気という自然環
境に一種の所有権を設定することによって、
それが共有地である限り進行していく温暖化
という悲劇を解決しようとしているのです。
 では、これで環境問題はすべてめでたく解
決するのでしょうか?
 答えは「否」です。わが人類は不幸にも、
経済学者の論理が作動しえない共有地を抱え
ているのです。
 それは「未来世代」の環境です。

(岩井克人()「未来世代への責任――経済
学の「論理」と環境問題の「倫理」――」に
よる)∵
 【1】私は『牡丹灯籠(どうろう)』の速
記本を近所の人から借りて読んだ。その当時
、わたしは十三、四歳であったが、一編の眼
目とする牡丹灯籠(どうろう)の怪談の件を
読んでも、さのみに怖いとも感じなかった。
どうしてこの話がそんなに有名であるのか 
と、いささか不思議にも思う位であった。【
2】それから半年ほどの後、円朝が近所(麹
町区山元町)の万長亭(てい)という寄席へ
出て、彼(か)の『牡丹灯籠(どうろう)』
を口演するというの で、私はその怪談の夜
を選んで聴きに行った。作り事のようである
が、あたかもその夜は初秋の雨が昼間から降
りつづいて、怪談を聴くには全くお誂え向き
の宵であった。
【3】「お前、怪談を聴きに行くのかえ」と
、母は嚇すようにいった。
「なに、牡丹灯籠(どうろう)なんか怖くあ
りませんよ。」
 速記の活版本でたかをくくっていた私は、
平気で威張って出て行った。ところが、いけ
ない。【4】円朝がいよいよ高座にあらわれ
て、燭台の前でその怪談を話し始めると、私
はだんだんに一種の妖気を感じて来た。満場
の聴衆はみな息を嚥(の)んで聴きすまして
いる。伴蔵()とその女房の対話が進行する
にしたがって、私の頸のあたりは何だか冷た
くなって来た。【5】周囲に大勢の聴衆がぎ
っしりと詰めかけているにもかかわらず、私
はこの話の舞台となっている根津のあたりの
暗い小さい古家のなかに座って、自分ひとり
で怪談を聴かされているように思われて、と
きどきに左右を見返った。今日と違って、そ
の頃の寄席はランプの灯が暗い。【6】高座
の蝋燭(ろうそく)の火も薄暗い。外には雨
の音が聞こえる。それらのことも怪談気分を
作るべく恰好の条件になっていたには相違な
いが、いずれにしても私がこの怪談におびや
かされたのは事実で、席の刎ねたのは十時頃
、雨はまだ降りしきっている。私は暗い夜道
を逃げるように帰った。
 【7】この時に、私は円朝の話術の妙とい
うことをつくづく覚った。速記本で読まされ
ては、それほどに凄くも怖(おそ)ろしくも
感じられ∵ない怪談が、高座に持ち出されて
円朝の口に上ると、人を悸えさせるような凄
味を帯びて来るのは、実に偉いものだと感服
した。【8】時は欧化主義の全盛時代で、い
わゆる文明開化の風が盛んに吹き捲くってい
る。学校に通う生徒などは、もちろん怪談の
たぐいを信じないように教育されている。【
9】その時代にこの怪談を売り物にして、東
京中の人気を殆ど独占していたのは、怖い物
見たさ聴きたさが人間の本能であるとはいえ
、確かに円朝の技倆に因るものであると、今
でも私は信じている。【0】(中略)
 前にもいう通り、話術の妙をここに説くこ
とは出来ないが、たとえばかの孝助が主人の
妾(めかけ)お国の密夫源次郎を突こうとし
て、誤って主人飯島平左衛門を傷つけ、それ
から屋敷をぬけ出し て、将来の舅たるべき
相川新五兵衛の屋敷へ駈け付けて訴える件な
ど、その前半は今晩の山であるから面白いに
相違ないが、後半の相川屋敷は単に筋を売る
に過ぎないであまり面白くもない所である。
速記本などで読めば、軽々に看過ごされてし
まう所である。ところが、それを高座で聴か
されると、息もつけぬほどに面白い。孝助が
誤って主人を突いたという話を聴き、相手の
新五兵衛が歯ぎしりして「なぜ源次郎……と
声をかけて突かないのだ」と叱る。文字に書
けばただ一句であるが、その一句のうちに、
一方には一大事出来(しゅったい)に驚き、
一方には孝助の不注意を責め、また一方には
孝助を愛しているという、三様の意味がはっ
きりと現れて、新五兵衛という老武士の風貌
を躍如たらしめる所など、その息の巧みさ、
今も私の耳に残っている。団十郎もうまい、
菊五郎もうまい。しかも俳優はその人らしい
扮装をして、その場らしい舞台に立って演じ
るのであるが、円朝は単に扇一本をもって、
その情景をこれほどに活動させるのであるか
ら、実に話術の妙を尽くしたものといってよ
い。名人はおそるべきである。

(岡本綺堂『岡本綺堂随筆集』による)