1. 【1】ニュートンが集大成したようなテクノロジー科学はたんに思想上の成果として学者たちの
規範になっただけではなかった。それは政治的・社会的にも支持を
獲得することができた。というより、政治的・社会的に同様のエートスがすでに生成され定着しつつあったために支持を得ることができたのである。
2. 【2】このことをもっと立ち入って論じてみよう。テクノロジー科学は十七世紀に登場した近代国家の中に受容された。何かを作れたりするという意味で有用であったから受容されたのだろうか? 必ずしもそうではない。【3】そう見るのは、
狭隘な実用主義的短見である。テクノロジー科学はいわば「イデオロギー」として近代的政体に取りこまれたのである。
3. 近代政治
哲学の伝統は、イタリアのニッコロ・
マキアヴェッリによって始められたと言われる。【4】
彼の政治
哲学は、政治の目的や理想をほとんど問題にしない。それは、
与えられた
状況下で君主がいかにして他の有力な
ライヴァルたちの
詐術にかかって敗北することなく、人民にほどよく
信頼され、すなわち
恐れられすぎもせず、かといってあなどられもせず、統治できるかの技法について論ずる。【5】『君主論』(一五三二年)は、君主の
闘争手段として、法と力をあげているが、
マキアヴェッリが主として考察の対象とするのは、力による統治である。
彼によれば、君主は
野獣性と人間性とを
巧みに使い分け、ともかく勝利しなければならない。それゆえ力の保持が重要である。【6】「武装せる予言者は勝利し、武力なき予言者は
破滅する」(第六章)のが政治の
冷徹な法則である。このような政治技法は、
マキアヴェッリを待たずとも、およそ政治が存在してからというもの現実に行われていたに
違いない。【7】けれども、
彼は政治悪を現実に認容し、自分の名前で、一書をもって理論化をあえてした点で
嚆矢をなすのである。(中略)
4. 近代自然
哲学は機械論的であると言われる。機械論的自然像とは自然を機械として見る考えをいう。【8】説明することが困難な生命的、有機的なことがらを可能な限り
排除しようとするのである。
抽象的言葉づかいでは、「自然は
微粒子の位置運動からなる」と∵言いかえられる。デカルトは、宇宙が
微粒子の集成で、それらを
統御しているのは数学的自然法則であると見る、機械論的宇宙像の最初の提唱者となった。【9】数学と自然学における波の最重要
概念は「
分析」であった。十七世紀には、最も
精緻な機械は機械時計であると考えられていたので、科学革命当時、自然は時計と類比的に見られた。(中略)自然は生きているに
違いないが、とりあえず機械と見てそれにアプローチしようとするのが、テクノロジー科学の方法論的合意なのである。【0】そうアプローチする方が、自然を理解しやすいからである。
換言すれば、技術的に操作することが可能になるのである。その点で、テクノロジー科学は
マキアヴェッリの政治
哲学に実によく似ている。
彼にとって政治とは人民の統治の技術なのである。「いかにして」の技術なのである。
5.
マキアヴェッリのリアリズムは、前述のようにベイコンによって高く評価され、さらにホッブズによって近代科学的よそおいをほどこされた。
6. ホッブズは国家を機械と見たのである。伝統的主権者(王権)は神秘的仮面をはがされ、国家をよりよく統治し、人民に
安寧を提供しうるもののみが主権者に値するとされた。ホッブズにとって、政治科学にアプローチする最も重要な
概念は、「
分析」であった。
彼によって、国家の成り立ちは個々人にまで分解(
分析)され、こうした個々人の安全(最悪の事態としての
突然の暴力死の
回避)を保障してくれる政治システムはいかなるものであるかが探究された。こういうアプローチの仕方から得られる帰結は、主権者は
誰でもよい、したがって、政体は君主制でも共和制でもどちらでもよい、要は、人民に安定した生活を約束してくれれば、政治の最低の役割は果たされる、ということである。このリアリズムの観点に立った政治科学は、
誰にでも評価されるはずであったが、現実認識があまりに
冷徹すぎたために、ホッブズは
彼の
先駆者
マキアヴェッリ同様みなから
嫌われた。今日でもあまりに正直すぎる者が
嫌われの的になるように――。