ザクロ の山 6 月 3 週
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○自由な題名
○ペット

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★このように、一七世紀から(感)
 【1】このように、一七世紀から一八世紀にかけて、すでに地球や自然界の歴史的展開ということは何人かの人びとにとっては当然のこととなってはいたが、しかも、一つ大切な点は、そうした時期における「自然界の歴史的展開」は、「進歩」すなわち「悪い状態から良い状態へ」という価値スケールのなかで考えられていたわけではないという点である。【2】むしろ、自然は人間の堕落に見合うように神が悪い状態に造り変えているのであり、それが破局の積み重ねとなって最後の審判にいたるのだ、という考え方が強かったと言えよう。
 【3】こうした終末論的な悲観論を逆転させた、地球、生物界、そして人間社会の歴史が「悪い状態から良い状態へ」の「進歩」の歴史である、という楽観主義は、まさしく啓蒙主義と産業革命の所産であったと言えよう。【4】一七世紀までの神の支配する自然という考え方から、人間の支配する自然へという一八世紀啓蒙期の考え方への転換が如実に示すように、歴史は自分たちの手で築くものであり、また世界の歴史は、より良い方向に向かってつねに進んでいるという「進歩」の思想がヨーロッパ世界を強く支配し始めた。【5】それが「生物の進化」、すなわち下等動物から高等動物へという価値尺度を歴史が昇りつめてきた、という思想を下から支えることになったのである。
 したがって、生物進化論はそうした「社会進化論」と密接に連なっている。【6】たとえばのちに見るように「適者生存」や「生存競争」など進化論の概念として使われているものは、もともと資本主義の理念としての「自由競争」に由来していて、「社会進化論」の強力な推進者として知られているスペンサー(一八二〇−一九〇三)の用語であったし、【7】ダーウィンやウォーレスの生物進化論のきっかけが社会学者としてのマルサス(一七七六−一八三四〉の『人口論』であったことも、生物進化論と社会科学的思想との強い関連を物語っている。(中略)
 【8】ダーウィニズムは、すでに述べたように、社会思想から重要なフィード・バックを受けていたが、ダーウィニズム自身が今度は、人類の「社会」的問題を扱う思想領域へ逆にフィード・バックすることになった。
 【9】「最適者生存」の「最適者」という概念を、きわめて恣意的∵に、自分の都合のよいように解釈して、それを倫理や社会思想の面に応用しようとする態度が、『種の起源』以後急速に拡がっていくのがそのことを示している。【0】自由競争という資本主義の理念こそ、その競争のなかで最良のものが生き残るという生物学的原理が保証する社会進歩の原理なのであって、競争を否定する社会主義では、人類社会の進歩は希めない、という社会主義批判も、「科学」の名のもとに横行したし、「天賦人権論」など万人が平等な権利をもっているとする発想も、ダーウィニズムの名で攻撃された。たとえばチェンバレン(一八五五−一九二七)は元来はイギリス人(一九〇八年ドイツに帰化)でありながら、一八九九年に『一九世紀の基礎』という書物をドイツ語で書いたが、この書物は、人種の優劣を生物学的に証明しようとし、とくにゲルマン民族の優秀性を強調して、そこに暗に「優勝劣敗」というダーウィニズムの通俗的スローガンを示唆したし、ダーウィンの従弟ゴルトン(一八二二−一九一一)が始めたと言われる「優生学」は、一方において、遺伝的操作のなかで悪性の素質を排除すると同時に、他方では「優れた」素質を伸ばすという考え方を基にしており、「人種改良」や「人間の進化」が現実の問題として浮かび上がってくることにもなった。
 しかし、このように、「人間」が「人間」の素質の善・悪を判断し操作するという思想がきわめて危険であることは、ナチズムの例が鮮やかに教示してくれており、「優生学」が一部には進化論を中心とする純粋の科学理論に根を下しているだけに、これまでになかった「人間の手による人間の人為淘汰」という思想の合理化さえ行なわれるようになったことは注意しなければならない。そして、このような「人類」の進化や、「人類の改良」という着想から、いわゆる一九世紀末の「超人思想」も現われてくることになると言えよう。

 (広重 徹・伊東俊太郎・村上陽一郎 『思想史のなかの科学』 村上氏執筆部分より)