長文 4.2週
1. 【1】教養の危機を語るにつけて、現代人の俗耳ぞくじにもっともはいりやすい説明は、いわゆる情報化時代の脅威きょういであろう。その場合、問題の焦点しょうてんはおもにメディアの革命にあてられる。
2. 電子メディアの台頭によぶ活字文化の衰退すいたい憂慮ゆうりょされるのがつねである。【2】端的たんてきにいえば、人びとがテレビ映像に耽溺たんできして本を読まなくなり、関心は総合雑誌よりもインターネットの情報に向いているといった現象が、不安として指摘してきされる。(中略)
3. 【3】変化のポイントは、知の性質のなかで永遠性よりも新しさが価値を占めし 脈絡みゃくらくよりは断片性が強められ、知がより多く時事的な好奇こうき心と実用性に訴えるうった  ようになったことであった。写本の聖書よりは個人の著作のほうが、著作よりは雑誌論文や新聞記事のほうが、ときどきの移り行く関心に応え、その分だけ視野の脈絡みゃくらくに欠けることは明らかだろう。【4】単行本の目次は、一つの論理の構成を示しているが、雑誌の目次や新聞のページ建ては、多様な主題を緩やかゆる  に分類しているにすぎない。そして情報という言葉のもっとも常識的な定義が、この主題の多様性、新鮮しんせんさと断片性、猟奇りょうき性と実用性であることはいうまでもあるまい。【5】古い情報、役に立たない情報、論理の難解な情報などは、だれの興味もひかないはずである。
4. ちなみに、知(knowing)を、その働きの方向によって分類すれば、情報(information)と反対の極をめざすのが、知恵ちえ(wisdom)だと見ることができる。【6】聖書の知恵ちえ、長老の知恵ちえ、おばあさんの生活の知恵ちえという言い方が暗示するように、それは時間を超えこ た真実を総合的にとらえるものとして理解されている。知恵ちえは深い意味で実用性を持つが、およそ新しさや多様性とはえんがなく、それ自体が内部から自己革新を起こす性質にも欠けている。【7】知恵ちえは永遠であり唯一ゆいいつであり、その内部にも多様化への余地を許さない統一性を保っている。そして、このように比較ひかくすると、普通ふつうに知識(knowledge)と呼ばれる種類の知は、∵構造と機能のどちらの面でも、この知恵ちえと情報の中間にあると考えられるのである。
5. 【8】知識は断片的な情報に脈絡みゃくらく与えあた 、できるだけ広い知の統一性を求めるとともに、できるだけ永く持続するものにしようとする。その点では、明らかに情報よりは知恵ちえの方向をめざしながら、しかし知識はその内部に多様な情報を組みこみ、全体としては分節性のある構造をつくりあげる。【9】全体を区切る細部があって、そのあいだに順序配列のある統一をつくるのである。知識はたえず新しい情報を受け入れて自己革新に努め、同時に古い知識との連続性を維持いじしようとする。一方、内側にも外側にも複雑な脈絡みゃくらくを持つ知識は、情報よりも知恵ちえよりもそれを理解するのに努力を必要とする。【0】さらに実用性という点から見ても、知識はこの二つに比べて効用をわかりにくくしたのが特色だといえよう。
6. こうした知識がにわかに拡大したのが十八世紀であって、自然科学を中心に随所ずいしょで神秘的な知恵ちえや経験的な知恵ちえ駆逐くちくして行った。青年の学ぶ新しい学問のほうが、村の長老やおばあさんの言い伝えよりも尊重されるようになったのである。だがその反面、知識は最初からたえず情報に背後を脅かさおびや  れ、体系的な統一性を試される宿命をおびていた。十八・九世紀は新発見の時代でもあって、理論的な知識は、それに合わせてたえず組み替えく か を求められたからであった。知識が増殖ぞうしょくし視野が分岐ぶんきするにつれて、その全体を統一する中心的な価値が揺らいゆ  だことは、先に述べた。二十世紀はこの趨勢すうせいがさらに力を増して、ついにいっさいの求心性を欠いた情報の群れが優位を占めるし  時代になったのである。

7. (山崎やまざき正和『歴史の真実と政治の正義』による)