1. 【1】教養の危機を語るにつけて、現代人の
俗耳にもっともはいりやすい説明は、いわゆる情報化時代の
脅威であろう。その場合、問題の
焦点はおもにメディアの革命にあてられる。
2. 電子メディアの台頭によぶ活字文化の
衰退が
憂慮されるのがつねである。【2】
端的にいえば、人びとがテレビ映像に
耽溺して本を読まなくなり、関心は総合雑誌よりもインターネットの情報に向いているといった現象が、不安として
指摘される。(中略)
3. 【3】変化のポイントは、知の性質のなかで永遠性よりも新しさが価値を
占め、
脈絡よりは断片性が強められ、知がより多く時事的な
好奇心と実用性に
訴えるようになったことであった。写本の聖書よりは個人の著作のほうが、著作よりは雑誌論文や新聞記事のほうが、ときどきの移り行く関心に応え、その分だけ視野の
脈絡に欠けることは明らかだろう。【4】単行本の目次は、一つの論理の構成を示しているが、雑誌の目次や新聞のページ建ては、多様な主題を
緩やかに分類しているにすぎない。そして情報という言葉のもっとも常識的な定義が、この主題の多様性、
新鮮さと断片性、
猟奇性と実用性であることはいうまでもあるまい。【5】古い情報、役に立たない情報、論理の難解な情報などは、
誰の興味もひかないはずである。
4. ちなみに、知(knowing)を、その働きの方向によって分類すれば、情報(information)と反対の極をめざすのが、
知恵(wisdom)だと見ることができる。【6】聖書の
知恵、長老の
知恵、おばあさんの生活の
知恵という言い方が暗示するように、それは時間を
超えた真実を総合的にとらえるものとして理解されている。
知恵は深い意味で実用性を持つが、およそ新しさや多様性とは
縁がなく、それ自体が内部から自己革新を起こす性質にも欠けている。【7】
知恵は永遠であり
唯一であり、その内部にも多様化への余地を許さない統一性を保っている。そして、このように
比較すると、
普通に知識(knowledge)と呼ばれる種類の知は、∵構造と機能のどちらの面でも、この
知恵と情報の中間にあると考えられるのである。
5. 【8】知識は断片的な情報に
脈絡を
与え、できるだけ広い知の統一性を求めるとともに、できるだけ永く持続するものにしようとする。その点では、明らかに情報よりは
知恵の方向をめざしながら、しかし知識はその内部に多様な情報を組みこみ、全体としては分節性のある構造をつくりあげる。【9】全体を区切る細部があって、そのあいだに順序配列のある統一をつくるのである。知識はたえず新しい情報を受け入れて自己革新に努め、同時に古い知識との連続性を
維持しようとする。一方、内側にも外側にも複雑な
脈絡を持つ知識は、情報よりも
知恵よりもそれを理解するのに努力を必要とする。【0】さらに実用性という点から見ても、知識はこの二つに比べて効用をわかりにくくしたのが特色だといえよう。
6. こうした知識がにわかに拡大したのが十八世紀であって、自然科学を中心に
随所で神秘的な
知恵や経験的な
知恵を
駆逐して行った。青年の学ぶ新しい学問のほうが、村の長老やおばあさんの言い伝えよりも尊重されるようになったのである。だがその反面、知識は最初からたえず情報に背後を
脅かされ、体系的な統一性を試される宿命をおびていた。十八・九世紀は新発見の時代でもあって、理論的な知識は、それに合わせてたえず
組み替えを求められたからであった。知識が
増殖し視野が
分岐するにつれて、その全体を統一する中心的な価値が
揺らいだことは、先に述べた。二十世紀はこの
趨勢がさらに力を増して、ついにいっさいの求心性を欠いた情報の群れが優位を
占める時代になったのである。
7. (
山崎正和『歴史の真実と政治の正義』による)