長文集  3月3週  ★そういう「定着文化」というか(感)  nnze-03-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】そういう「定着文化」というか、う
ごかないことがよしとされる日本で育ったわ
たしは、長じてアラビアでのフィールドワー
クをするようになったとき、そうではない文
化、「移動文化」ともいえるものにぶつかり
、ある種のショックを受けた。【2】といっ
ても、それは異文化からきたわたしだから「
ショック」なので、その人たちにとってはご
く当り前のこと。おどろきでもなんでもな 
い。【3】わたしのフィールドのように自然
条件・社会条件がきびしいところでは、しん
どいことの連続なのだが、こういうおどろ 
き、異質さの魅力というものに惹かれてなん
とか今日までやってこられたようにおもう。
 【4】アラビアの砂漠では、昼間の暴君で
ある太陽が、夜のやさしさにその支配権を渡
し、やっとおだやかな夜がおとずれると、わ
たしもみなといっしょにほっとしたものだっ
た。【5】砂の上に横たわり、ねぶくろから
顔だけ出してアラビアの星たちと交信するの
も、楽しみのひとつだった。研究の対象はも
ちろん天の星ではな く、地上の遊牧民、ベ
ドウィンだったが、かれらの移動について調
査していて、どうもよくわからないことがで
てきた。【6】なぜ移動するのだろう。うご
く必要はないではないか。水、草、子どもた
ちの学校、そのほかの生活の条件は同じ、あ
るいは悪くなるかもしれないのに、うごくこ
とがあるのだ。
 【7】このあたりのことは、先に「アラビ
ア・ノート」(NHKブックス、一九七九年
)で少しふれたが、「どうしてなの」ときく
わたしに、「なにもかもよごれてしまったか
らね」という答えがかえってきた。これだけ
ではどういうことかよくわからなかった。【
8】フィールドワークをしていると、言葉の
やりとりだけではわからないことがたくさん
あった。当然のことである。人は、言葉だけ
でわかりあうわけではない。
 一年ほどいっしょにくらすうち、砂のまじ
った食事も気にならなくなるのと同時くらい
にかれらの「移動の哲学」がわかってきた。
【9】体系的なものを哲学としてもっている
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わけではないが、かれらは人間がひとつのと
ころにじっとしているのは退行を意味すると
感じているのである。
 ひとつのところで生活をしていると、ごみ
が出てくるとか、死人が出たというような物
理的なよごれもあるのだが、人間の心のほう
もよごれてくる、よどんでくるように感じて
いるようなのだ。【0】うごくことによって
浄化されるという感覚をもっている。これは
セム族の中に古くからあるものとつながって
いるようでもある。「旧約∵聖書」にも、荒
野を放浪し、きよめられたもののみカナンの
地に入れるという思想がみいだされる。いず
れにしろ、うごくことによって浄化されるの
だというおもいが、ふつふつとからだのなか
にわいてくるようなところがあるようだ。 
(中略)
 そういう元遊牧民たちだけでなく、オック
スフォードやハーバードに留学したようない
わゆる「都会の遊牧民」といえるアラビア人
たちのなかにも「動の思想」はビルトインさ
れているようである。政府の役人でも、一カ
所にじっとしている人は少ない。あちこちに
港すなわちオフィスをもっていて、風のよう
に来ては去るのでつかまえるのに苦労する。
ポケットベルがよく売れており、コードレス
電話も日本で普及するよりはるか前から人び
とのあいだで使われていた。よくうごくかれ
らは、これらを使ってビジネス上の連絡をと
るというよりは、家族や友人、親類と連絡を
とり、おしゃべりを楽しんだりするのである
。職をかえることも日常的なことである。
 日本人の終身雇用の話をすると、目をまる
くしておどろき、就職するときに「絶対うご
きません」というような契約をしてしまうの
かとたずね、けげんな顔をする。いや、そん
な契約はしないが、ほとんどの人はうごかな
い、一生、同じ職場で仕事をするのだという
と、ますますおどろかれてしまう。
 からだも心もうごいていくことを前提とす
るかれらは「ハサブ・ル・ズルーフ」という
言葉を日常生活のなかでよく使う。「そのと
きの状況しだい」という意味である。すべて
の「時間」は「現在」に集約されると考え、
大事なのは、同じ時間を同じ空間でわかちあ
っているこの瞬間、現在しかないのだという
。明日はこうしようとおもっていても、次の
朝起きてみると状況がうごいているかもしれ
ない。母が危篤とか、本人が熱を出したとか
、そういうときはその状況にしたがって行動
するしかない。そこで約束事には、日本では
悪名高い「インシャーアッラー」(神の御意
志あらば)という言葉をそえて処方箋とする
。人間の意志だけで、ものごとはうごくわけ
ではない。昨日が今日をしばることもできな
い。晴耕雨読感覚で生きるということになる
だろうか。
 それでは困ると考えられるときには、第二
の処方箋、契約にもち∵こむ。古来より、恋
の詩歌を愛し、ロマンスをこのむアラビア人
だが、恋の炎もうつろうことを認識している
。うつろうからこそロマンティックなのだと
考えているようである。そこであらかじめ、
うつろったときのことを考えて、結婚も契約
とする。離婚にいたったときの処置も決めて
おくのである。結婚契約書をとりかわし、そ
こに契約解除のときの具体的事項もかきこま
れるのだ。
 カナダのエジプト人調査のおり、手に入れ
たムスリム(イスラーム教徒)の結婚契約書
にも、解約事項をかきいれる欄が大きくあけ
られてあった。
 「うごく」あるいはうつろうことを前提と
した書類と、さきにのべた「うごかない」こ
とを前提とした日本の書類とをくらべてみる
と、文化の差異が象徴的にわかるようにおも
う。アラビアから地理的にたいへん遠いカナ
ダにまで、さかんに移動していることを知っ
たのもおどろきであったが、そのような遠隔
地で、しかも文化のまったく異なる環境にあ
っても、自分たちの「動の文化」を大切にし
て生きている人たちがいることを、フィール
ドワークは、あきらかにしてくれたのだった


 (片倉もとこ「『移動文化』考イスラーム
の世界をたずねて」)