長文集  2月1週  ★(感)実際に一九世紀前半において  nnze2-02-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】実際に一九世紀前半において、よう
やく始まった科学研究から得られた成果が、
社会の役に立つと主張できるような実例は、
化学の世界を除いてはほとんど皆無であった
。にも拘わらず、すでに科学者たちは、研究
から得られる知識が「役に立つ」という価値
を持っていることを、社会にアピールしよう
としたのであった。
 【2】しかし、一方で科学者は、研究は自
らの好奇心や真理探究心によるものであり、
それは純粋に知的な活動であることを主張し
続けたのである。「価値」という点からみれ
ば、ちょうど一九世紀ヨーロッパに「芸術の
ための芸術」という考え方があったのと同じ
ように、【3】科学的知識には、それ自体に
内在的な価値が備わっていて、したがって科
学というのは、社会的に有用な価値を追求す
るのではなく、知識を追求することそれ自体
が、人間にとって価値がある、という姿勢を
とった。別の言い方をすれば、「知識のため
の知識」こそ科学の姿である、ということに
もなる。
 【4】科学者たちは、この二つの主張を、
一九世紀の発足当時から、使い分けながら社
会に対処してきたと言える。社会もまたこの
ダブル・スタンダードをある程度は受け入れ
てきた。
 【5】したがって、科学者の立場からすれ
ば、自分たちの造り出す知識は、芸術作品と
は違って、豊富な社会的効用を備えているの
だから、社会は、そうした効用を備えた知識
を提供してくれる科学研究には、公的に支援
をして当然である、という主張を一方で抱 
え、【6】他方で、科学研究は純粋に「知識
のための知識」追求の営みなのだから、社会
の側から制約や管理を受けるべきでないし、
その必要もない、という主張を用意してきた
のである。
 この二面性は現在でも解消されていないば
かりか、むしろかえって現代により深刻な問
題を生み出している。
 【7】もしも、科学が、純粋に研究者集団
の内部に閉じ込められた、自己閉鎖的で、自
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己充足的な営みであるとすれば、倫理的な問
題が入り込むべき場所は、そうした集団の内
部のみということになるだろう。【8】しか
し、科学の成果が、社会的なインパクトを持
ち、社会における個々人の生活に善きにつけ
悪しきにつけ、直接的な力を発揮するように
なった現在においては、やはり、科学者の場
合も、内部規範だけでは明らかに不十分であ
ると思われる。【9】科学者は、好奇心に任
せて、どんな材料を使って、どんな方法で、
何を∵やっても、それが「研究」である限り
、許されるし、その結果がもたらす事態につ
いても、社会的責任や義務から免れる、とい
うわけには行かなくなったのである。
 【0】このように考えてくると、科学者と
いう概念もまた改めなければならないところ
が見えてくる。科学者とは、本来、自らの好
奇心の赴くままに、俗界を離れて、ひたすら
真理を探求することに勤しむものである、と
いうイメージがかつて存在した。そこでの倫
理は、ただひたすら真理に忠実であれ、とい
うことで済んだ。
 しかし、今や、科学者の研究という行動は
、望むと望まざるとに拘わらず、社会におけ
る他者、科学者という同僚以外の他者の生活
を、生から死までの全般に亘って、左右する
ような成果もしくは結果を導く可能性がある
ことを認識し、負の影響を避けるためには、
自分の好奇心を抑制し、研究の方向を制御す
ることも、ときには自ら決断しなければなら
ない、そういう倫理観が要求される存在とし
て、科学者があらためて認識されるに至って
いる。
 少なくとも、専門家として、自らの研究成
果の、社会に対する負の効果に対して、常に
敏感であり、それを制御する方法の案出にも
責任と義務を感じ、またそれを実践できるよ
うな、そういう研究者の倫理が、求められて
くる。
 同時に専門家としての経験と知識が、常に
そうした義務や責任の遂行に最適・最善であ
る、とは言えない、という事情に鑑みれば、
研究の世界で起こっていることを、常に一般
の社会に対して開示、説明する義務もまた、
そこに生まれてくる。一般の社会も、そこで
起こっていることを充分に理解した上で、専
門家と協力しながら、正の効果を増大させ、
負の効果を減少させるために、パートナーと
して働かなければならない。
 言い換えると、現代社会においては、一般
の社会もまた、ある種の倫理的綱領のなかで
、科学的研究を見つめ、協力し、共生してい
く途を探らなければならないのである。
(村上陽一郎の文による)