長文集  2月2週  ★(感)十九世紀の経済学には  nnze2-02-2
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】十九世紀の経済学には、経済活動を
支える要素のひとつとして、人間の欲望を説
いているものが多い。より豊かになりたいと
いう欲望や、新しいものをつくりだそうとす
る欲望、そんなさまざまな欲望が、経済を発
展させてきたと、多くの人々は語ってきた。
 【2】ところが、二十世紀に入ると、欲望
もまた人々が自然的につくりだしているもの
ではなく、つくられたものではないかという
見方が大きく広がってきた。
 たとえば日々流されているコマーシャルが
私たちの欲望をつくりだすうえで、一定の役
割をはたしていることは確かであろう。【3
】企業による新しい価値観の提案も、人々に
新しい欲望を生みださせる。いわば今年の流
行を企業が示すことによって、それが本当に
流行化してしまうような構造が、いたるとこ
ろで生まれているのである。
 【4】そして私たちはそれを手に入れるこ
とによって、それが必要な生活スタイルをつ
くり、それを手放すことができなくなる。た
とえば、電子レンジなどはそのひとつで、電
子レンジを使う生活がはじまったことによっ
て、電子レンジのない生活が不便なものにな
ってしまったのである。
 【5】考えてみればお米のない生活をして
いた縄文時代の人々 が、お米を食べたいと
思うはずはない。お米が入ってきたことによ
って、お米を食べたいと思うようになったの
であり、しかもそのお米が不足するとき、お
米への欲望は大きくなっていくのである。
 【6】とすると欲望の生産者とは誰なので
あろうか。
 はっきりしていることは、近代的な経済社
会は、生産と流通と欲望の相互依存的な拡大
の社会としてつくられていた、ということで
あろう。生産の拡大が流通を拡大し、逆に流
通の拡大がまた生産を拡大する。【7】商品
や情報の流通が欲望を拡大し、欲望の拡大が
また生産や流通を拡大していく。今日の経済
社会とは、こんな社会である。
 この社会は、経済を発展させていくうえで
は、きわめて便利な役割をはたした。そして
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ここには、次のような前提があったように感
じられる。【8】それは、人間の欲望は無限
に拡大していくものであり、経済もまた無限
に拡大していくという前提である。その結 
果、近代以降における経済と人間の自由の関
係は、無限に拡大しつづける欲望と経済を前
提にした社会での、経済活動の自由でありつ
づけた。【9】つまり拡大系の経済社会を基
盤にした経済的自由だったのである。∵
 ところが、このような経済社会観は、今日
になると、環境の面からほころびをみせはじ
める。なぜなら経済が無限に拡大できるのな
ら、資源もまた無限でなければならないにも
かかわらず、自然は有限なものであることが
はっきりしてきたからである。【0】もうひ
とつ、経済活動によって生まれる公害なども
、一定量をこえると自然が負担しきれないこ
とも明らかになってきた。自然と人間の活動
との調和を考えるなら、経済と欲望の無限の
拡大を前提にした社会も、その社会を前提に
した人間の自由も、間違いなく壁につきあた
っているのである。
 おそらくこのような認識が高まるにしたが
って、私たちは、新しい社会を作りだす試み
を開始しなければならないだろう。すなわち
生産と流通と消費とが大きな循環の中で実現
し、自然と人間とが循環的に支え合う社会の
創造である。
 とすると、そのような社会における、人間
の経済活動の自由とはどのようなものなので
あろうか。
 これまでの大半の経済学は、自然を無限の
ものとして扱い、そのことを前提にして、経
済と人間の自由について語ってきた。その結
果、自由な経済活動が自然を破壊したばかり
でなく、人間たちもまた欲望と消費の拡大と
いう渦のなかにまきこまれてしまった。私た
ちはいま、このような構造の外に出たいと思
っている。そして、労働や生活に関する、新
しい自由を作り出したいと思っている。

(内山節『自由論――自然と人間のゆらぎの
中で』より)