長文集  7月4週  ○言葉の裏返しを考える上で  nnzi-07-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/06/09 09:56:46
 言葉の裏返しを考える上でいつも思い出す
のは五味太郎の『あそぼうよ』というごく幼
い子向きの絵本である。
 登場するのはことりとおじさん風のきりん
だけ。ことりが「あそぼうよ」というと、き
りんが「あそばない」と答える。毎ページ、
このくりかえし。しかし、絵をみるとこのき
りんおじさんはなかなかふざけんぼで、首を
くるくるまわしたり、かくれんぼしたり、あ
げくのはてはことりを背中に乗せて泳いだり
、サービス満点の遊び相手なのだ。しかし口
にする言葉は徹頭徹尾「あそばない」。最後
にことりが「あした また あそぼうよ」と
うれしそうに飛び去るときも、きりんおじさ
んはとっぽい顔で「あした また あそばな
い」とこたえる。
 この絵本、まじめな保育園幼稚園の先生方
には評判はよろしくなかったらしい。どこか
の園長先生から「せめて最後だけはあそんで
ほしかった」という抗議の声が寄せられたと
いう話を聞いて笑ってしまった。が、このや
り取りの面白さを大人が理解して楽しく読め
ば、子どもたちはてきめんに喜ぶ。子どもた
ちはくり返しをすぐ覚え、きりんおじさんに
なって、わたしが「あそぼうよ」と呼びかけ
ると、みんなで声をそろえて「あそばなーい
」と叫び、くすくす笑うのである。意味の上
で反対のことを言っても相手と通じ合うとい
うコミュニケーション体験は、この相手なら
ばこそ、という濃厚な関係を互いに意識させ
る。だから、くすぐったい。子どもたちはき
りんおじさんになって、言葉の文字通りの意
味を超えて相手に触れるのである。そう、こ
こでは言葉は相手に触れる道具になってい 
る。そのためには文字通りの意味が過激であ
るほうが触れるという感覚を強くする。言わ
れた方は、はっと胸を突かれ、瞬間、立ち止
って、相手の意図を知って笑う。こんな触れ
合いが成り立つためにはなんといってもお互
いのゆるぎない信頼関係が前提になるではな
いか。
「ウソ」「マジ」もこれと同じだと思う。不
信の念を過激に表せば表すほど、言葉の意味
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を超えた次元での互いの信頼関係は強固に確
認される。言葉によるスキンシップといって
もいいかもしれない。∵電車のなかなどで数
人の若い人の会話を聞いていると、「ウソ 
ッ」「マジッ」がやたらと耳を打つ。どうや
ら会話の内容には重みはなさそうで、場をも
たせるのが大切らしい。ごにょごにょと話が
あると、間髪をいれず「ウソッ」、「マジイ
ー」と来る。謡曲の鼓のようにそれが「カー
ン」と響き、会話を支えている。「ウソ」「
マジ」は心の絆を確かめ合い、安心して次に
進む会話の青信号のようだ。「ほんと」より
もずっと相手の心のど真ん中を突いて親しさ
を盛り上げている。若い人たちの間で瞬(ま
たた)く間に広がっていったのもうなずける
。しかし、あいづちの言葉などは使う頻度が
高いから、使っているうちに洗いざらしにな
って、当然、色あせてくる。ショウ迫力も失
せてくる。中高生たちの会話に耳を傾けてい
ると、「ウソ」も「マジ」も、もうそんな鮮
度は失って、ごく自然に、普通に使われてい
る。昨日も塾に来ているおとなしい地味なタ
イプの中学生の女の子がふたり、仲良くなっ
て静かに会話をかわしていたが、「ウソ」や
「マジ」がささやき声で行き交っていた。た
った二十数年でこんなふうに言葉の命の変化
を見極められるなんて面白い。万が一「マジ
」が生き残ったら、五十年後、ふたりの老人
が日向ぼっこをしながら、互いに「マジッす
か」と静かに言い交わし、語り合う場面があ
るかもしれない。
 おやおや、どこかから高校生たちの声がす
る。「ありえな〜  い!」

(長谷川摂子()の文章による)