長文集  8月3週  ★第一に、歴史においては(感)  nnzi-08-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】第一に、歴史においては、過去の事
実は自然における事実と性質をことにする、
ということです。過去の事実はすでに述べま
したように、歴史家が直接観察したり、実験
により再現することができない、一回性の「
事実」です。【2】それに歴史家が到達でき
るためには、史料といわれる証拠に頼るほか
ありません。
 史料は人間の過去の行為の記録であり、そ
こには記録という人間の加工が介在していま
す。【3】歴史家は、行為者・記録者などの
人間の行為そこに表明された思想を、自己の
思想により理解し識別してはじめて過去の時
日に到達することができるのです。【4】で
すから、ジョージ・クラークに従って、「過
去の知識は、ひとりあるいはそれ以上の人間
の心を通じて伝えられ、かれらの手で『加工
』されたものであって、したがって、何もの
も変更を加えることができないような根源的
・非人格的原子からできているということは
ありえない」ということができます。【5】
歴史家にとって事実とは、事実一般ではなく
「歴史家の事実」なのです。
 「関係の客観性」の意味する第二の論点は
、歴史家は時日とは完全に別の存在なのでは
なくて、かれ自身が「歴史過程の一部分」と
である、という位置確認です。【6】歴史家
は認識の対象である歴史過程の外にある存在
でなくてその一部であることから、歴史的制
約をうけざるをえません。あるいは、歴史家
が歴史過程において占める位置から生れる「
偏向」とか「党派性」を歴史家は免れること
ができません。
 【7】そのことを意識し、自己の認識の限
界不完全性をつねに自覚することによってこ
そ、歴史家は客観性に近づくことができるの
です。そういう意識をもたない歴史家は、え
てして公正とか不偏不党を口にするのですが
、じつは時代の支配的価値観の拘束を無自覚
に受けているのです。【8】歴史認識におけ
る「偏向」は、客観性の否定ではなくその限
界、不完全性、一時性を指示するものにすぎ
ません。歴史家はいまでは、過去を概念的に
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把握するというような大それた企てを意図す
ることはありません。【9】なしうること 
は、過去についてなにをいうことができるか
、を示すことで、そうしたつつましい限度を
越えることはありません。【0】(中略)∵
 歴史における客観性の意味を以上のように
把握するなら、「歴史は時代とともに書き換
えられる」ことの意味はより理解しやすいも
のになるでしょう。過去の事実は歴史家の事
実であり、歴史家は歴史過程の一部である、
という相互関係にあるとすれば、過去はつね
に現在、歴史家が置かれている現在に生きて
いることが了解されるでしょう。「過去が現
在に生きる歴史過程と、過去が死んで現在が
生れる自然過程の区別」(コリングウッド)
がこうして現れるのです。
 歴史においては、過去において.「既知」
とされたものが時代の変化によって「未知」
へと転化すること、歴史の目的は、単に新し
い事実の収集にあるのではなく、「未知」へ
と転化した主題を証拠と推論によって解明す
ることを目指すことが、ここに理解されるで
しょう。この点において歴史家も科学者も違
いはありません。しかし歴史過程においては
自然過程とは違って過去が現在に生きつづけ
ます。過去はつねに新しい文脈のなかで問い
直されるのです。(中略)
 このようにいうことは、決して歴史懐疑論
への同調を意味するのではなく、「歴史家自
身が自身の研究対象たる過程の一部であり、
同過程中にかれ独自の位置を保持し、現在の
瞬間においてかれが占有している観点からの
み同過程を見ることができる」という歴史認
識の特殊性を指示するにすぎません。歴史が
時代とともに書き直されるという命題は、歴
史が単なる過去の記憶ではなく、あるいは、
歴史家の偏見と憶測の産物でもなく、時代が
新たに提起する問題を証拠と推論によって解
決する学問的認識方法のひとつであるとする
規定になんら背反するものではありません。

(E.H.Carr(一八九二〜一九八二)
 イギリスの歴史家)