長文集  8月4週  ○「カセット」というと  nnzi-08-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/06/09 09:56:59
 「カセット」というと、いまではひとは普
通カセット・テープのことを考えるだろうが
、もともとは宝石などを容れる小箱、つまり
「宝石箱」のことである。だから、「カセッ
ト効果」というのは、外国語や外来語をカタ
カナで表記することで、ことばを、中の見え
ない宝石箱に容れて、明確な概念や意味より
も、いかにもありがたそうにムード化して示
す効果を意味している。
 しかも、それらの外国語のカタカナ表記は
、多くの場合、門外漢にとっては原語を調べ
ようにも調べられないかたちに縮約されてい
るので、たちまち隠語と化してしまう。この
ような隠語たるやしばしば専門家たちの合言
葉にもステータス・シンボル――これも外国
語のカタカナ表記だが――にもなるのだから
、手に負えないのである。原語の概念を明ら
かに示すためには、ときによっては、思い切
って翻訳した方がいい、と思うのである。
 その点で、日頃から私が感心しているのは
、現代中国語では、コンピュータのことを「
電脳」、プライマリ・ケアのことを「全科医
療」、ファジー工学のことを「模糊工程学」
と思い切って意訳していることである。この
うちコンピュータ→「電脳」は、脳機能の一
部の外化を示していて的確なだけでなく、英
語の「computer」やフランス語の「
ordinateur」が依然として「計算
機」に囚われていることを思えば、実体の表
現としてすぐれてい る。
 プライマリ・ケア→「全科医療」となると
、さらに傑作である。プライマリ・ケアのプ
ライマリは、プライマリ・スクール(小学 
校)のプライマリ、「基本の」ということを
表わすとともに、プライマリ・ゴール(主要
目的)のプライマリ、目的のうち「第一番目
に重要な」ということを表わしている。(こ
の全科といえば、かつて小学校の全教科の参
考書が『××全科』と呼ばれていたことを思
い出す。)日本語ではこれまでに決まった訳
語がない。「基本医 療」とか「一次医療」
とかという訳語はあるが、十分にその意味を
表わし切っていない。∵
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 もちろん、日本語の特徴は、漢字仮名――
この場合には、ひらがな――まじり文からな
る上に、どんな外国語・外来語でもカタカナ
で近似的に音写することで、自国語の構文を
壊さずにそのなかに取り込めることにある。
これはたいへん便利なことであり、このよう
な日本語の持つ柔軟性は、日本の経済発展や
諸外国の文化を採り入れる上で、少なからず
役立っている。しかし、その反面で、日本語
のなかにカタカナの外来語や外国語がとかく
感覚的、気分的に安易に導入され、意味がよ
くわからずに感じだけで使われることに対し
ては、野放しにしておくべきではなかろう。
 たしかに漢字によって意訳せずにカタカナ
で音写しておけば、原語の持つ多義性を保存
できた「気分」になれる上、新鮮な感じがす
るし輝いて見えることもある。だから、学術
用語としてばかりでなく、広告・宣伝用語と
しても、新社名としても、カタカナの外国語
が好んで使われるのである。この「カタカナ
の外国語」は、もうすでに日本語になってい
ると言ってもいいので、排除することなどで
きないが、それだけに、漢字による意訳に対
するのと同じくらいの「うるさい眼」を、「
カタカナの外国語」の使用法には持つべきで
あろう。

(中村雄二郎「インフォームド・コンセント
」による)