長文集  9月1週  ★現代の科学技術の(感)  nnzi-09-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2012/06/15 08:09:23
 【1】現代の科学技術のひとつである電気
的な通信手段が「フェイス・トゥー・フェイ
ス・コミュニケーション」ならぬいわば「テ
レ・コミュニケーション」を高度に可能にし
た。【2】たとえば、われわれは自分の眼前
には存在していない事象、場合によってはは
るか遠隔のところに存在している事象をテレ
ビジョンによって見 る。【3】こうした仕
方で、放送、新聞、週刊誌などを通して、つ
まりは、直接にではなく、メディアを介した
「写し(コピー)」によって、われわれは現
実を知っている。いや、知っているつもりに
なっている。「他の世界」も、このようなか
たちで知っているつもりになっている現実の
ひとつである。
 【4】しかし、「写し」は「オリジナル」
と同じではない。「写し」がどこまで「オリ
ジナル」に近いかは、一律には論じられない
が、「現実」が「オリジナル」である場合、
その「写し」としての情報はいずれにしても
いわば「擬似現実」である。
 【5】この「擬似」という重大な性格は、
情報という擬似現実の場合には、避けること
ができない。情報メディアというものは、単
なる伝送メディアではなく、必要に応じて変
形したり加工したりするメディアであるから
である。【6】この、必要に応じて変形した
り加工したりするメディアであるということ
と、情報メディアが科学技術的な電気メディ
アとして発達しているということとは、密接
不可分である。
 【7】情報という擬似現実は、伝送(具体
的には、電送)されてきたものであるだけで
はなく、必要に応じて変形されたり加工され
たりしてきている。
 (中略)
 【8】情報の変形と加工は、きわめて組織
的に、また「公的に」なされることすら、あ
りうる。それゆえ、現代のわれわれが「他の
世界」をどう見るか、見ているか、というこ
とは、重要な次元で社会体制とも関係がある
。情報メディアを制する者がひとびとの世界
観を制する、という事態にもなりかねない。
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 【9】「他の世界」というものの存在をこ
れほど強く実感し、「他の世界」のありさま
について、多くのひとびとがこれほどたくさ
んのことを知っているということは、過去の
どの時代にもなかったことであり、このこと
は、明らかに、現代のひとつの重要な性格で
ある。
 【0】現代の……と言っても、もちろん、
右のことは現代の全世界に共通に、同じ程度
に見られる事態ではなく右のことが顕著に見
られ∵るのは、いわゆる先進諸国においてで
ある。現代日本がその一例であり、いや、一
例と言うよりも、諸局面でさまざまな「他の
世界」が取り込まれて存在し、ひとびとがき
わめて身近なところでそれらに接しながら生
活しているひとつの顕著な例とも言うべきも
のが、今日の日本である。
 今日の日本のまず衣食住の場面に、実に多
種多様な「他の世界」が取り込まれている。
世界中に、あるいは地球上に、多くの地域や
国が存在し、さまざまな生活形態や文化、そ
して、ものの見方考え方が存在するというこ
とを、われわれはすでに衣食住の場面で、も
はやそのことをあらためて意識することがな
いという場合も少なくないほど、よく知って
いる。たとえば、「衣」。今日では、どんな
に珍しい民族衣装を着たひとに出会っても、
そのデザインや色柄に関して「珍しい」とい
う感じ方はするにしても、そうした衣装も存
在し、そうした衣装がふつうであるひとびと
も存在するということは、われわれはよく承
知している。「食」と「住」についても同様
であり、とくに今日の日本では、実にさまざ
まな「他の世界」の「食」と「住」に関心が
持たれ、その相当部分は自分たちの食生活と
住生活に取り込まれている。そして、このよ
うな衣食住のレヴェルでの実感に支えられて
、それより抽象的なレヴェルでの、「他の世
界」の文化やものの見方考え方というような
ものの存在もわれわれはよく知っている。(
中略)
 現代における情報メディアの発達は、その
根幹において、ネットワーク化というかたち
で進みつつある。われわれは、多種多様な情
報を多量に獲得して、「他の世界」について
の自分なりに知識を積み重ね、自分の責任で
判断をしているつもりになっている。「価値
観の多様化」というようなことが言われるの
も、そのような「つもり」の一局面である。
しかし、「どこかで、その必要に応じて、変
形されたり加工された、本質において同じ」
情報によって、多くのひとびとが同じ方向へ
と方向づけられているということになってい
るかもしれない。現代は、その意味で、「他
の世界」が実ははなはだ見えにくい時代であ
り、現代人が抱いている世界観は、少なくと
もこの意味で、はなはだ危ういものでしかな
い。

(増成隆士『(新訂)現代の人間観と世界観
』(放送大学教育振興会、一九九二年))