1. 【1】後世から
振り返ったとき、大山鳴動の「オウム」事件は、どんな意味をもって見えるだろうか。
追及されている
疑惑が実証されて、犯罪史上の一大事件として想起されるか。【2】あるいは手段と規模が特異なだけで、本質的には
平凡な
凶悪事件として語られているだろうか。なにしろ
狂信的な
閉鎖集団も、目的なき犯罪も、
浄化のための民族
抹殺も、歴史には多くの先例があるからである。
2. 【3】だが一つだけ、この教団が明白に特異な点は、それが工業社会の
漫画のような組織であり、裏腹に、宗教の持つ芸術的な表現力を完全に
欠如した集団だということである。
3. 【4】神域に工場群が林立し、
自称によれば、農業の生産性を工業なみにあげる農薬が製造されている。信徒の
悟りもヘッドギアと薬物で機械的に増産され、医師の手で効率よく管理される。【5】組織には正大師、正
悟師など
企業顔負けの地位序列が用意され、
お布施の営業成績をあげれば出世が保証される。弁護士の
威勢がいいのも工業社会の特色だろうし、幹部に工、医、法学部が目立って、文学部の
影が
薄いのは
象徴的である。
4. 【6】一方、この教団には通例の
豪華な
神殿がなく、修行場は
粗末なバラックだし、都心の本部は
凡庸な事務所ビルである。とくに神像が
発泡スチロール製で、工場の
目隠しに使われていたというのは宗教史上の
珍事だろう。【7】制服の
無趣味はよいとして、
儀式の演出の
稚拙は目を
覆うばかり、歌や
踊りは幼児なみである。当然、この教団には大衆的な祭典がなく、花火もマスゲームも
護摩供養もない。かつて総選挙に出た幹部の仮面
踊りなど、演劇的には「感情異化効果」の
極致に達していた。
5. 【8】要するに、この教団は初期工業時代の遺物にほかならず、ポスト工業社会の感性に欠けているのだが、おそらくそのこと自体、現代社会心理の
病弊を体現しているのである。
6. 【9】近代とは、個人にとっては業績達成の時代であり、財と地位による自己実現の時代であった。万人が「何者か」になりうるはずだ∵と教えられ、できなければ世の中が悪いのだと
扇動される時代であった。【0】これはもちろんきれい事の
嘘であるから、民衆は構造的に不満に
駆られるのであるが、しかし、
企業組織が確立すると事態はややましになった。
企業には人事評価の公平な基準があると信じられたし、人は身近の顔見知りと競争して、
互いの実力を見る機会が持てた。他人との具体的な
比較によって、己の「分を知り」、勝敗を納得することができたのである。
7. 不幸なのは、昨今この
企業が人の意識のうえで小さくなり、個人が海のような大衆社会にじかに
触れ始めたことであった。
脱サラやフリーターが流行し、休日が増え
寿命が延び、人が
企業外で生きる時間が多くなった。若者を中心に
企業への帰属感が弱まり、評価基準への
信頼も
薄まり、その分だけ消費による自己実現と、流行という
匿名世界への参加の機会が増えた。
誰もが自由になる半面、分を知ることが難しくなり、顔の見えない他人と自分を
比較して、限度のない自己実現を
迫られる程度が増したのである。(中略)
8. だとすれば問題の
抜本解決法は、自己実現社会の
転換であり、達成への
脅迫からの解放だろうが、それには近代のもう一つの原理である、自己「表現」を
奨励する以外にはあるまい。表現は実現と
違って、財や地位の量的な尺度で計られず、
魅力を理解する親しい他人の目があれば足りる。それは
閉鎖的な階層組織ではなく、
相互に顔の見える
柔らかな社交の集団を作り、人はその小世界で認められることで、「何者か」であることができる。例えば、黒人ゴスペルのあの
熱烈な合唱を
聴いた人なら、人に表現があるかぎり、どんな宗教的
熱狂も必ずしも暴力を生まないことを知るであろう。
9.(朝日新聞「
論壇」1995より引用)