1. 生成という時、
死滅を反対
概念として
排除するかと思われるが、「おのずから」の
中核的意味内容としての生成は、死をつつみこえるものとしての生成である。元和年間(一六一五―二四)に書かれた『見聞
愚案記』に、「世話に、
自然と
呉音に
云へば自然天地の様に心得、
自然と漢音に
云へば、
若の様に心得るなり」とあるという。特に中世において
顕著であるが、自然はジネンと訓まれる時、今日
一般にいう自然・必然の意となり、シゼンと
訓まれる時、
偶然・万一の意となったことが知られる。このように、「おのずから」も自然も、一見、相反する二義を持っていた。特に「シゼンの事」が万一の最たる死そのものを意味することもあったことが注目される。
2. どうしてこのような相反する二義を「おのずから」・自然がもつことになったかが問題であるが、人間にとって死のような
不慮な事態も、あるいは
偶然と思われる事態も、高い次元に立つ時、成り行きとして当然のこととして受けとめられるという理解があったからではないかと思われる。高い次元に立つとは、宇宙的地平に立つことではないであろうか。宇宙的地平に立つ時には、人間に万一・
偶然として受けとられる事態も、当然の成り行きと受けとられる事態と何ら変るものではなく、したがって一つの「おのずから」、一つの自然に
統括しうると理解されたのではないだろうか。
3. たとえば、
世阿弥の
脇能『養老』に次のような
詞がある。「それ行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。流れに
浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結んで、久しく
澄める色とかや。」いうまでもなくこれは
鴨長明の『
方丈記』
冒頭の文をうけて、これを
云わば逆転させたものである。後半を長明は「
淀みに
浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし」と仏教的な無常観を語っていた。しかし、同じ『
方丈記』の「不知。生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」などとともに、ここには日本人のより
一般的な実存感覚が示されているのではないで∵あろうか。だが、ここで
云いたいのは、
世阿弥が、その実存感覚をつつみこえ、これを「久しく
澄める色とかや」と
無窮の流れを
謡っていることである。うたかたの
浮沈をつつみこえる
無窮の流れが語られている。それは人間の死をこえる宇宙の
無窮の生成を思うものであろう。「何方より来たりて、何方へか去る」も、『養老』においては、
無窮の生成から成り来たり、生成そのものへ帰することになるであろう。「おのずから」や自然の二義性も、このような事例によれば納得しうるであろう。
4. 宇宙を
無窮の生成とみるが故に、人間は万一の事態を、また死を「あきらめ」ることができた。「あきらめ」は、日本人の伝統的な死生観の最も根源をなすものであるが、それがこのように「おのずから」としての自然観によってはじめて可能であったことは注目される。ここに
云う「あきらめ」は、今日、日常的な場で
云われる消極的なものではなく、それなりに精神的な
緊張の高い「あきらめ」である。武士が強調し、その行動性の精神的な心構えとした
覚悟も、この「あきらめ」をふまえたものである。
5.「あきらめ」は、己れの願望、広くはこの世の生の
肯定をふくんでいる。
肯定しつつもなおそれを思い切るのがまさに「あきらめ」である。ところで日本人は、時に現実主義的な人間であると
云われる。しかしまた、日本人ほど生に
恬淡であり死に親近感をもつものはないと
云われる。この相い反するような二つの
指摘も「おのずから」の生成という宇宙観をもってくることによって統一的に理解される。それは、この世の生は
無窮の生成より成り現われたものであり、この世の生に生きること自体が
無窮の生成の
一齣に生きることであったからである。ここから現実
肯定的な姿勢が生れた。しかしまた、死は
無窮の生成そのものに帰することであり、生の終りを悲しみつつもなお「あきらめ」うるものであった。
6.(相良
亨「「おのずから」としての自然」(一九八七年)による)