長文集  8月4週  ○戯上のこの経験の核心の部分に  nnzi2-08-4
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2010/06/15 17:45:26
 【1】遊戯上のこの経験の核心の部分に影
絵のように映っている「実物」は一体何か。
すなわち隠れん坊の主題は何であるのか。窪
田富男氏が訳業の労をとられたG・ロダーリ
の指摘に従って端的に言うならば、この遊戯
的経験の芯に写っているものは「迷い子の経
験」なのであり、【2】自分独りだけが隔離
された孤独の経験なのであり、社会から追放
された流刑の経験なのであり、たった一人で
さまよわねばならない彷徨の経験なのであり
、人の住む社会の境を越えた所に広がってい
る荒涼たる「森」や「海」を目当ても方角も
分らぬままに何かのために行かねばならぬ旅
の経験なのである。【3】そして、そういう
追放された彷徨の旅の世界が短い瞑目の後に
突然訪れて来るところに、ある朝眠りから醒
めると到来しているかもしれない日常的予想
をはるかに超えた出来事の想像がその影を落
している。(中略)
 【4】しかし他方、隠れん坊が模型化して
いる一連の深刻な経験は、実際の事実世界に
おける経験そのものから写し取ったものでは
ない。それは「実物」でも「原物」でもなく
、既に「おとぎ話」固有のある構図の中で物
語られ昇華されている経験からの写しであっ
た。【5】ここで私たちは、もう既に、「孤
独な森の旅」や「追放された彷徨」や、そし
て一定の「眠り」の後に起こる「異変」や「
別世界の事」どもを、子供に向って物語って
いる様々な「おとぎ 話」や「昔話」の数々
を想い起こしているはずである。【6】先程
来述べられたような「試練」や「他界の経過
」を経て、日常的予想を超えた在るべき結末
(たとえば結婚)に到達することによって社
会の中に改めて再生する物語は、決して唯一
つの表現形式に限られてはいないのだけれど
も、しかしその主題を子供の世界で展開する
ものは「おとぎ話」一つなのである。
 【7】しかも隠れん坊とおとぎ話における
その主題の消化の仕方は絶対的な軽さを持っ
ている。主題は先に挙げた一連の基本的経験
であったがその深刻な経験の質料から来る重
圧感はここにはない。【8】煩雑な細密描写
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を全て削ぎ取って明快簡潔に構図(構造とい
うよ∵り構図)を描き出すおとぎ話固有の方
法が、経験の重量を消去してそのエキスを血
清のように抽(ひ)き出しているからでもあ
ったが、【9】それと同時にそのおとぎ話を
台本とする寸劇が言葉の使用を徹底的に取り
払うことによって、玩具(がんぐ)的に簡略
な即物性を倍加させたからでもあった。【0
】経験はここでは粘着的個性から解放されて
いる。こうしておとぎ話が主題として語る経
験は寸劇化されることによって一層重苦しさ
から解き放たれたエキスとなって、知らず識
らずの間に血清として子供の心身の底深くに
注ぎ込まれ蓄積されていく。将来訪れるであ
ろう経験に対する胎盤がこのようにして抗体
反応を起こすことなく形成されるのであっ 
た。
 こうして見ると、家のすぐ外の路地で隠れ
ん坊が行なわれていることがいかなる意味を
持つかがいくらか分って来るはずである。家
の中で聞いたおとぎ話の主題は(あるいは部
屋の中で読んだおとぎ話の主題は)、隠れん
坊に翻案して遊ぶことによって、「聞く」こ
と(あるいはそれに加えて「読む」こと)と
「演ずる」こと、という次元を異にした二つ
の通路を通して心身の奥深くに受け入れられ
る。話を聞く際に受け取る抑揚や韻律の知覚
、読む場合に自生的に起こる知的想像、無言
演劇への翻案を通して滲(し)み込む身体感
官的な感得、それらが一体となって統合的に
主題が消化されるのである。
 経験が、前頭葉だけのものでなく身体だけ
のものでもなく感情だけのものでもなくて、
心身全体の行う物事との交渉である限り、心
身一体の胎盤が備わっていないところには経
験の育つ余地はまずないと言ってよい。そう
いうところでは、経験となるべき場合におい
てさえ、そこから一回きりの衝撃体験だけを
受け取ることになるであろう。だとすれば、
おとぎ話と隠れん坊、話と遊戯の統合的対応
が失われている状態を放置することは取りも
直さず経験の消滅を促進することにほかなら
ないであろう。

(藤田()省三『精神史的考察』による)