長文 7.1週
1. 【1】社会学者の森真一によれば、心理主義とは、社会から個人の内面へと人々の関心が移行する
傾向、社会現象を社会や
環境からではなく個々人の性格や内面から理解しようとする
傾向、および「共感」や相手の「きもち」、あるいは「自己実現」を最重視する
傾向のことである。【2】心理主義は、かならずしも心の科学(心理学や精神医学、認知科学など)が生み出したものとは言えないが、その知識や技法が多くの人に受け入れられることによって生じてきた社会的
傾向である。【3】本来は社会的・政治的であるはずの問題を、その人たち個人の問題へと
すり替えて、問題を「個人化」することは政治的なプロパガンダ(宣伝)の典型的な手法である。
2. 【4】職場における精神
疾患の原因が、不健全な組織風土や
恒常的な勤務
過剰から生じているにもかかわらず、それを特定の個人の特異な病理として
扱おうとすることなどは、その一例である。【5】あるいは、理論心理学者のフィリップ・バニアードが『心理学への異議』で批判しているように、心理主義とは、内面化という手段によって
暗黙のうちに人々を統治する方法である。【6】バニアードによれば、意図的であれ、結果的であれ、心理学はこれに加担してきてしまったのである。
3. 心理主義は、自己への問いかけを不健全なかたちで内面化し、原理的に解答が出ないような議論や不毛な行動へとミスリードする。【7】そこで、心理主義がどのような場面で問題になるのか、その分かりやすい例をあげてみよう。
4. たとえば、就職を前にした学生に対して、学校はしばしば性格テストや自己
分析を行わせ、その結果から自分にあった職業や職場を探すように
勧める。【8】自己の性格に見合った職業を選ぶことが良い職探しだとされているからである。しかし、「自分の性格はコレコレだ」ということから、あるいは、自分はコレコレの能力に優れているということから、ただちに自分の職業を選ぶことができるのだろうか。【9】「外向的」な性格をしている人間は、サービス業の営業・
販売部門に向いている、その部門を担当することを好むなどと言えるだろうか。「内向的」な性格をしているがゆえに人と関わるすべを学びたくて、営業や
販売を選ぶ人がいるかもしれない。【0】内気だが誠実な性格が幸いして
顧客から信用を得て、営業や
販売が喜びとなってゆく人がいるかもしれないではないか。∵
5. あるいは、近年の日本では若年層にニート(無就学・無就労状態)が増えてきているというが、その原因を個々人の
怠惰ややる気のなさといった心理的な性向に求めるような説明方式は、典型的な心理主義である。ほとんどの若者は就職しないのではなく、できないのであり、その原因はおもに
企業が中高年の
雇用を
維持して、新規採用を
抑えていることにある。あるいは、やはり近年では社会の階層化が拡大しているというが、下層階級に位置する人々について、「コミュニケーション・スキルの未熟」や「対人関係における積極性が足りない」といった
指摘をすることも心理主義的
解釈である。多くの人のコミュニケーションがうまくなれば、下層階級がなくなるかどうか考えてみれば、この説明のおかしさが分かるであろう。失業者や下層階級という政治的課題が、
怠惰とかコミュニケーションという個々人の心理の問題へと
すり替えられているのである。
6. 自分が置かれている
環境を
分析することなく、やみくもに自己を「内省」させること。経験を豊かにさせるのではなく、ともかく内面に注意を向けさせること。これらは心理主義的発想の現れに他ならない。この
傾向にとらわれてしまって、的外れな「自分探し」をしている若者も多いはずである。
7.(河野
哲也「心はからだの外にある『エコロジカルな私』の
哲学」による)
長文 7.2週
1. 【1】
盆栽の話をしよう。
2. こう切り出せば好事家はともかく、おおかたの知識人は
眉をひそめるに
相違ない。【2】自然の樹の姿をねじまげるのは心ない仕業だ、のびのびと枝葉を
繁らせよ、という自然主義によって
盆栽のサロン芸的
矮小性を批判し、その前近代性をあばく前に、ともかくこの高度の園芸術の素性を見定めねばならない。
3. 【3】武蔵野の深い森に囲まれた皇居の
一隅に数百
鉢の
盆栽を保有する
御苑がある。日本史を
飾るお歴々の寄進した
逸品ぞろいのなかに三代将軍徳川家光の愛した五葉の松まで目にすれば、この国の園芸文化の
奥深さにただ
脱帽するしかない。【4】しかも
盆栽愛好の風潮は権門
貴顕に限らず広く
市井に
浸透している。愛好層の広さと息の長さはやはりただごとではない。今日、日本のどんな片田舎へ行っても一つや二つの
盆栽愛好会はあるものだ。人口が十万の都会となれば、その数は十は下らないだろう。
4. 【5】大衆文化としての
盆栽愛好に関するこの連綿たる事実は、戦後、俳句第二芸術論が知識人を
衝撃したにもかかわらず俳句熱はいっこう
衰えるどころか、ますます
市井において盛んなことを想い起こさせる。
5. 【6】いったい
盆栽とは日本の生活史のなかでどういう位置を
占めるのだろうか。
6.
盆栽の起源についてのこまかな
詮索はともかく、およそ平安末ないし
鎌倉期に発した
盆栽は、中世を通じて庭先の台または
縁に置かれ、庭の築山を背景として楽しむならわしだった。【7】その様子を書いた『
慕帰絵詞』などを見ると、
盆栽は庭の一部で、しかも
濡れ縁の延長でもある。築山と
盆栽の関係は、あたかも自然の
山峰とそれを借景した庭のような関係を成している。
盆栽は築山を背景として
眺めるものだったらしい。
7. 【8】また一方、室町期に
山峰の
叙景術として出現した立花は、次第∵に花への意識を集中させるため
抽象性を高めながら、一方で花の
床映りをよくするため庭の
花影は逆にこれをつとめて
抑制させる
渋好みの庭園を発展させた。【9】生け花もまた、庭との関係が常に強く意識されていたのだった。つまり、山、借景庭、
濡れ縁の
盆栽、
床の生け花という、野生から
掌中にいたる序列化された自然の
鎖が、日本人の生活空間を
貫いていたと思えてならない。この山水の美的序列は
座敷と庭との
不即不離な関係と並行していた。(中略)
8. 【0】自分の志操を山水に
託し、これを胸中に収めた日本人はたしかに自然を愛したが、しかし、原始のままの自然を身近に置いたりはしなかった。自然と人間の間のとり方が問題であった。
9. すなわち、太古の自然は敬して遠ざけ、しかるのち
邸内に築いた庭にこれを借景としてとり入れた。庭はやがて
軒下に
凝縮されて
坪庭となり、さらに
盆栽となる。自然を社会化するこの流れは、土を
払い落とした草木が
床の間へ上り、人々が
華の
幻をそこに見るまでやまなかった。
巧みに
巧まれてついに身辺へたぐり寄せられた山水は、作法美の域にいたってようやく人々の
掌中に収められたのだ。
10. 生命現象の次元では手つかずの自然は尊いが、文化現象の話になれば自然は作法化されなければならなかった。それは人間と自然との美的
黙約である。
11.(「風景学・
実践篇」(中村良夫)より)
長文 7.3週
1. 【1】あとになって水かけ論にならないように、
契約によって権利義務をあらかじめきちんとするという慣行は、日本ではまだ確立していないように思われる。【2】とくに身近な人との間では、
契約書をつくらず、口約束ですましている。よくいえば、日本人は人がよくて相手を信用しすぎるということかもしれない。しかし悪くいえば、ものごとのけじめをはっきりつけないで、ルーズにしておくということでもある。
2. 【3】しかし、人はあらかじめ
紛争が予見できるくらいならば、もともと
契約をむすばないものである。つまり、こういうことである。
契約をむすぶことは、それ自体つねに相手方を信用することであり、「まさかそんなことはおこるまい」と思うことなのである。【4】そしてまさに権利の行使が問題になるときは、つねに、そのまさかという信用がうらぎられたときのことなのである。だから、
契約の内容をきちんとしたうえで
契約書を交わすことは、権利を大切にする社会ではしごく当りまえのことである。
3. 【5】日本は、ウェットな社会で
情緒を重んじる。これはこれで、すぐれた日本人の資質である。しかし、それは反面、日本の
甘え社会を助長しているのではなかろうか。【6】個人的人間関係では
情緒が通用しても、
契約は通常、利害の対立する者の間のルールであるから、いわばビジネスの問題である。もちろんビジネスでも
情緒が
入り込むが、それが中心となったのでは
契約社会は
崩壊する。【7】友情は友情、ビジネスはビジネスなのである。ウェットな関係とドライな関係を使いわけることは、日本ではまだむずかしい。人びとはこの両者を混同し、そのためにものごとをあいまいにして生きている。これでよいのか、という根本の問いがここにはある。
4. 【8】客観的ルールの定立が人間の信用やメンツを傷つけるものであるかのように受けとる日本人の心理は、人間をはじめから信用のおける人間(善玉)と信用のおけない人間(悪玉)とに区別し、
状況に応じて変化するものとしてはとらえないという、固定的思想にもとづくものであろう。【9】しかし、
契約においては、相手方の人間の誠実さを疑うかどうかが問題なのではなく、疑おうと思っても疑うことのできない客観的
状況のなかに相手方をおく、という∵ことが問題なのである。だから、ここで要求される誠実さとは、ルールに
拘束され、それにしたがって行動するという誠実さにほかならない。
5. 【0】この点で、「
契約は
拘束する」あるいは「
契約は守らなければならない」という命題が、私たちの社会では今日なお
一般常識となっていないことが問題である。借金して返済の日が来ても、一日ぐらいはよいだろう」とか、「すこしくらい大目にみてくれるだろう」など、ルーズな気持ちがはたらく。
6. 約束やルールを守らないことは
恥ずべきことであるという意識、約束した以上は責任をもって守るという意識は、市民の間でも成熟していない。これは日本社会の根底にふれる問題を
含んでいる。そういう社会的
土壌の上に、政治社会の公約
違反がまかり通る。
7. 政党や立候補者の側にも国民の側にも、約束を守る意思、守らせる意思は
微弱である。政党も国民も「どうせ選挙のための道具だ」という程度にしか考えていない。国民に示した約束はかならず守るという責任感のきびしさを、日本の政党はまだ身につけていない。国民の側にも、公約を果たすことを政党・立候補者にきびしく要求し、公約を守らない議員は次の選挙で落とすというほどのきびしさを持っていない。やや大げさないい方になるが、日本人のルーズな
契約観は、この国の政治
腐敗をもたらす一つの要因となっている。
8. さらに、
情緒社会になれている日本人
相互の
契約ならば、ルーズであっても、それなりにうまく解決できる場合でも、
契約の
拘束力について日本人よりもきびしい考えをもっている外国人との
契約となると、そうはいかない。そこでは日本人的
甘えは通用しないからである。今後は、国際化の時代において、日本人も異文化との
接触がますます多くなるであろう。国際取引や世界市場に乗り出す
企業はもとより、私たち市民が外国旅行や留学する場合であっても、異文化
摩擦を生じないようにするためには、あらかじめ他民族やその国家の文化についてなにがしかの知識を持っていないと、誤解のもとになる。
9.(
渡辺洋三『法とは何か』)
長文 7.4週
1. 【1】社会的固定化と
儀礼化がすでに深く武士の生活様式をとらえていた
享保年代に、かつての戦国
華やかなりし武士道を無限のノスタルジアを
含めて回想した山本常朝の『
葉隠』を見ても(そこでは、戦国武士の解放性と
溌剌性が
歪められて
陰にこもった色調に
蔽われているとはいえ)、【2】その強調する主君への
純粋無雑な忠誠と「
献身」が、けっして
権威への消極的な
恭順ではなくて、むしろ
卑屈な役人根性や大勢順応主義に対して、
吐き気をもよおすばかりの
嫌悪感に裏うちされ、学問と教養の静態的な
享受にたえず
抵抗する行動的エネルギーを内包し、【3】
中庸でなくて「過度」、
謙譲でなくて「大
高慢」、――要するに「気力も器量も入らず候。一口に申さば、
御家を一人して
荷ひ申す志出来申す
迄に候。同じ人間が
誰に
劣り申すべきや。【4】
惣じて修行は大
高慢にてなければ役に立たず候」というような非合理的主体性とでもいうべきエートスに
貫かれていることを看過してはならないだろう。【5】ここでは
御家の「
安泰」は
既成の「和」の
維持ではなくて、行動の目標となる。こうした側面はとくに集団の危機感に
触発された際に
奔騰する。【6】忠誠が
真摯で
熱烈であるほど、かえって、「分限」をそれぞれまもる形での静態的な忠誠と、
緊急の非常事態に際して分をこえて「お家」のために
奮闘するダイナミックな忠誠とが、生身をひきさくような
相剋をひとりの
魂のなかにまきおこすのである。
2. 【7】たしかに徳川三百年の「文治」主義と「天下
泰平」とは武士の家産
官僚化を
広汎に
押しすすめ、後期に至っては忠誠の形式化と
偽善化をもたらした。【8】けれども幕末の動乱と
切迫した対外的危機意識は、「
封建的忠誠」のなかに
潜在していた、さきのような
名誉と責任感、それと結びついた「行動主義」を
奔騰させる最後のチャンスをよびおこすこととなるのである。【9】いわゆる激派
浪士たちの行動様式に戦国乱世の「
豪傑」的
気概と
奔放性とが再現していると∵するならば、他方でたとえば
吉田松陰に見られる「
没我的」忠誠と主体的自律性、絶対的
帰依の感情と
強烈な
実践性との逆説的な結合のうちには、あきらかに『
葉隠』的なエートスに通じる伝説を
窺うことができる。
3. 【0】さきに述べたように、武士の存在形態の変質と
封建的階層制の全国的な系列化は、社会的結合のベルトを、主従の「
契」や「
情誼」といった直接的人格関係に放置することを許さなくなり、そこに「
諸侯」とか「
卿大夫」とか「士」とかいった古典中国に由来する組織のカテゴリーが大規模に登場して、
五倫五常が体制
倫理にまで拡大されてゆく客観的な
基盤があった。けれども、一方で武士のエートスが家産
官僚的精神のなかに完全には吸収されなかったように、他方で
儒教的世界像の
浸透もけっしてたんに「
封建的忠誠」の静態化、固定化の役割だけを演じたわけではない。むしろ
一般的に言って、日本の思想史において、人間または集団への忠誠と関連しながら、しかもそれと区別された原理への忠誠を教えたのは、やはり中国の伝統的
範疇である道もしくは天道の観念であった。仏教の「法」の観念も、その元来の世界宗教の本質からすれば、
儒教以上に
普遍主義的な原理への忠誠をもたらしてよいはずであるが、仏教
哲学自体に積極的な社会
倫理としての側面が
比較的に
稀薄なことと、とくに日本仏教の伝統的性格のために、人間行動への独自な
規範的
拘束力はそれほど大きいとはいえない。神「道」や仏「道」は、公然もしくは
隠然と、「聖人の道」をとりこみ、これと
癒着したかぎりで
人倫の原理となりえたのである。
4.(丸山
眞男『忠誠と反逆』による)
長文 8.1週
1. 【1】
渓流に糸をたれた
釣人のすがたを見ると、変な連想だけれども、ぼくはいつもじぶんの張った
網でじっと
獲物のかかるのを待っている
蜘蛛のすがたを思い出してしまう。たんに、
獲物を待っているすがたが似ている、というのではないのである。【2】
釣りをしている人間が自然とのあいだにつくりあげようとしている一つの「関係」のようなものが、
蜘蛛が
網をとおして
蝿とのあいだにつくりあげようとしている「関係」と、とてもよく似ているとぼくは思うのだ。
2. 【3】
蜘蛛は
蝿とはちがったやりかたでまわりの世界を見、知覚し、その世界のなかを動きまわり食べながら、生きている。
蜘蛛と
蝿は生物としての構造が
違う。【4】だからそれぞれは、それぞれのちがったやりかたで自然の世界を生きている。ちょっと気どって記号論風に言えば、ふたつの生物は異質なコードをとおして、まわりの自然と交流しあっているのだ。【5】だから、もしも
蜘蛛が空中に張りわたしたあの
網さえなければ、
蜘蛛と
蝿とはおたがいのあいだになんの関係もつくりあげることのないまま、おなじ空間のなかの
違う世界を
棲みわけつづけることもできただろう(なにしろ、ふたつの生物は別種のコードをとおして、おなじ空間を別のもののように知覚しているのだから)。【6】ところが、ここに
網がある。
蜘蛛が長い生物進化のなかでつむぎだしてくるのに成功した
網がある。この
網が異質なコードのあいだの接続を実現してしまうのだ。
蝿は
網にかかる。この
瞬間に
蝿はいやおうなく、別種の生物である
蜘蛛のコードをうけいれざるをえなくなるのである。【7】またそれと同時に、
蜘蛛のほうも
蝿のコードをうけいれる準備をととのえておかなければならなかったはずだ。もし
蜘蛛が
蝿の生物学的なコードをまったく無視していたりすれば、
蜘蛛の張った
網はいつまでもむなしく風のそよぎばかりをうけとめていなければならないだろうから。
3. 【8】
捕食という生物の現象のなかには、いつもこういう「コード横断(transcodage)」がおこっている。つまり、ひとつ∵の生物が別の生物に出会い、異質なコードどうしが
接触する場所に、生物界のもっとも感動的な
瞬間が発生するのである。【9】「自然はひとつの音楽だ」と言われるときの「音楽」は、じつはこの
瞬間のことをとらえた言い方なのである。たがいに異質なコードどうしが
接触しあい、おたがいのあいだに横断がおこったとき、そこにはリズムが、メロディーが発生する。【0】雨が植物の葉っぱをうつ。そこに音楽が生まれる。だがこのとき葉は雨のコードを受け入れてしなり、雨は植物を受けとめて落下の方向を変化させていく。ここでも同じ現象がおこっている。生物が別の生物を待ちうけておたがいのあいだに決定的な
接触の状態をつくりだそうとするときと、おなじ「コード横断」の現象がおきている。
4.
釣人が
渓流に
釣糸をたれているとき、そこにおこっているのも、まったくおなじ「コード横断」の現象だ、とぼくは思うのだ。人間はこのとき
釣竿をとおして水のなかの生物界と関係をつくろうとしている。(中略)
5.
釣りのもっとも感動的で
魅力的な
瞬間は、この「コード横断」のおこるカタストロフィの
瞬間なのだろう、とぼくは思う。その
瞬間に「人間─
釣竿─糸─
餌(針)─魚」という、それをひとまとめにしてみると、まったく
奇妙な混合生物ができあがっている。このとき、人間もふつうの生活のときとは
微妙にちがう生物に
変貌している。
彼は細心の注意をはらって、からだの動きや感情や知覚をコントロールして、じぶんの生物的コードの一部分を、魚のそれとの
接触と横断が可能になるような状態に変化させておかなくてはならないからである。
釣人はこのとき魚の生物コードの一部分をじぶんのなかにとりいれている。人間が水中に入りこんで乱暴に魚を手づかみにするときにはこういう
微妙な変化はおこっていない。
6.(
中沢 新一『
蜜の流れる博士』)
長文 8.2週
1. 【1】ともかく正しいこと、しかも百パーセント正しいことを言うのが好きな人がいる。非行少年に向かって「非行をやめなさい」とか、「シンナーを吸ってはいけません」とか、忠告する。
煙草を吸っている人には、「
煙草は健康を害します」と言う。【2】何しろ、
誰がいつどこで聞いても正しいことを言うので、言われた方としては、「はい」と聞くか、無茶苦茶でも言うより仕方がない。後者の場合だとすぐに、「そんな無茶を言ってはいけません」とやられるに決まっているから、まあ、
黙って聞いている方が得策ということになる。
2. 【3】もちろん正しいことを言ってはいけないなどということはない。しかし、それはまず役に立たないことくらいは知っておくべきである。たとえば野球のコーチが打席にはいる選手に「ヒットを打て」と言えば、これは百パーセント正しいことだが、まず役に立つ忠告ではない。【4】ところが、そのコーチが「相手の投手は勝負球にカーブを投げてくるぞ」、と言った時、それは役に立つだろうが、百パーセント正しいかどうかは分からない。敵は裏をかいてくることだってありうる。あれもある、これもある、と考えていては、コーチは何も言えなくなる。【5】そのなかで、
敢えて何かを言うとき、
彼は「その時その場の真実」に
賭けることになる。それが当たれば素晴らしい。もっとも、はずれたときは、
彼は責任を取らねばならない。
3. 【6】このあたりに忠告することの難しさ、面白さがある。「非行をやめなさい」などと言う前に、この子が非行をやめるにはどんなことが必要なのか、この子にとって今やれることは何かなどと、こちらがいろいろと考え、工夫しなかったら何とも言えないし、そこにはいつもある程度の不安や危険がつきまとうことであろう。【7】そのような不安や危険に気づかずに、よい加減なことを言えば、悪い結果が出るのも当然である。
4. ひょっとすると失敗するかもしれぬ。しかし、この際はこれだという決意をもってするから忠告も生きてくる。【8】己を
賭けることもなく、責任を取る気もなく、百パーセント正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。そんな忠告によって人間が良くなるのだったら、その百パーセント正しい忠告を、まず自分自身に適用して見ると良い。【9】「もっと働きなさい」とか、「酒をやめよう」などと自分に言ってみても、それほど効果があるものではないことは、すぐわかるだろう。
5. もっとも、自分はその通りにやっているし、効果もあげている、という立派な方も居られるが、そこまで立派な方は人間を通りこし∵て、
既にホトケになって居られるのだろう。【0】ホトケに「こころの
処方箋」など不要なのはもちろんである。実際、いつどこでも
誰にでも通じる正しいことのみを生きていては、「個人」が生きていると言えるのかどうか疑わしい。それは
既にホトケになっている。
6. 百パーセント正しい忠告は、まず役に立たないが、ある時、ある人に役立った忠告が、百パーセント正しいとは言い難いことも、もちろんである。考えてみると当り前のことだが、ひとつの忠告が役立つと、人間は
嬉しくなってそれを
普遍的真理のように思い勝ちである。たとえば、次のようなこともあった。
7. ある宗教家が「死にたいと言う人に、本当に死ぬ人はない」と
思い込み、(こんなことは決して断言できない。「死にたい」と言って自殺する人は
沢山ある)「自殺をしたい」と言う人に、それなら自殺の仕方を教えてやろうと
詳細に死に方を教えてやると、その人はびくついてしまって自殺を断念した。それに味をしめて、その宗教家が次の人にも同じ手を使ったら、その人が言われたとおりの方法で自殺をしてしまったので、自殺の方法を教えた宗教家は、すっかり
落ち込んでしまった。
8. これは
極端な例であるが、このようなことは、あんがいよく生じる。これは、一回目のときには、相当に自分を
賭けて言っているのに、二回目になると、前のようにうまくやってやろうと思って、
慢心が生じたり、小手先のことになって、己を
賭ける度合が軽くなっているために、うまくゆかないのである。前と同じようにやろう、などと言っても、考えてみると人生に、「同じこと」などあるはずがないのだ。もちろん、「昨日も七時に朝食を食べた、今日も同じように……」というレベルでなら、同じことは存在し、朝食のパンを毎朝正しく焼くことも可能であろう。しかし、ある個人の存在が深くかかわってくるとき、そこには同じことは起こらなくなってくるし、まさにそのときに、その人にのみ通じる正しいことが要求され、それは、
一般に人が考えつく、百パーセント正しいこととは、まったく内容を異にするのである。………
9. ここに述べられたことは、百パーセント正しいことである、などと読者はまさか思われないだろうが、念のために申しそえておく。
10.(河合
隼雄「心の
処方箋」の文章による)
長文 8.3週
1. 【1】個としてのアイデンティティとクラス──性的・文化的・社会的・国家的・民族的、等々のクラス──という問題は、それこそ人間の生き死にに関わるテーマであったし、いまなおそうであり続けている。【2】しかも、クラス・アイデンティティはたんに個人の
選択の対象ではなく、しばしばマジョリティ(多数派)からマイノリティ(少数派)に
押しつけられるものでもある。【3】実際、あのナチによる「ショアー」においては、何百万人という人間が「ユダヤ人」というクラス、「ジプシー」というクラス、「障害者」というクラス、等々に分類され、最終的には「生きるに値しない存在」というクラスに一方的に「選別」されることによって、
殺戮されたのだった。【4】その意味で、ぼくらは「ショアー」を、個体としてのアイデンティティヘのクラス・アイデンティティのもっとも暴力的な
付与(
押しつけ)、と呼ぶこともできるだろう。
2. 【5】だがそれでいて、個としてのアイデンティティとクラスとしてのアイデンティティをきれいに選り分けることはおそらく困難であると思われる。【6】クラスとしてのアイデンティティ規定をどんどん
削ぎ落としてゆけば、その人間の個体としてのアイデンティティも次第に形式的なもの、
空虚なものとなってゆかざるをえないからだ(そして、この
空虚で形式的な「自己」こそを単位として、近代の国民国家はそこに自らの創出神話を
充填してきたとも言えるのだ)。【7】むしろ、個体としてのアイデンティティは、
大枠としては、さまざまなクラス・アイデンティティのそれ自体個性的な布置、という形で
捉えなおさざるをえない側面があるのではないだろうか。
3. 【8】しかし、その場合のクラス・アイデンティティはしばしばマジョリティ側からマイノリティ側に「
押しつけられた」ものである。【9】たとえば、プリーモ・
レーヴィは元来その生育
環境のなかでは「ユダヤ人」であることをさほど意識していなかったし、当時のルーマニア領
チェルノヴィッツに生まれたパウル・ツェランも、父親が「ユダヤ的」教育を
施そうとするのをむしろ
嫌っていたと伝えられている。【0】逆説的にも、ナチによって一方的に「ユダヤ人」という規定を
付与されることによって、
彼らは自らの「ユダヤ人性」を∵深刻に想起させられたのだった。その意味で
彼らにとって、「ユダヤ人」というアイデンティティには、最初からある種の他者性が付着していたと言えるのだ。そんな
彼らが「ユダヤ人である」という問題に、どう向き合おうとしたか。
彼らの表現を「ユダヤ人性」
一般に
還元することができないのと同様に、
彼らはユダヤ人である以前にひとりの書き手であった、というだけで済ますことができないのも事実なのだ(むしろ、
彼らは「ユダヤ人」であることによって、「書き手」であらざるをえなかった、と言うことも十分可能なのだ)。
4. 要するに、マイノリティの位置にある──あらざるをえない──人々にとって、アイデンティティをめぐる問題は、また、マジョリティ側の土俵、
圧倒的に「他者」の支配している
舞台でなされるほかない、という側面が
抜きがたく存在しているのである。自分が自由な個としてアイデンティティを選び取る以前に、マジョリティの無数の指先が自分に
突き立てられていて、自明のように帰属クラスを指定しているという
理不尽な事態。そこでは敵の
舞台で、敵の武器を逆手にとって、「固有の自己」をもとめての
暗闘が
繰り広げられる、という局面が現出せざるをえないのだ。
5.(細見
和之『アイデンティティ/他者性』)
長文 8.4週
1. 【1】
遊戯上のこの経験の
核心の部分に
影絵のように映っている「実物」は一体何か。すなわち
隠れん坊の主題は何であるのか。
窪田富男氏が訳業の労をとられたG・ロダーリの
指摘に従って
端的に言うならば、この
遊戯的経験の
芯に写っているものは「迷い子の経験」なのであり、【2】自分独りだけが
隔離された
孤独の経験なのであり、社会から追放された
流刑の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない
彷徨の経験なのであり、人の住む社会の境を
越えた所に広がっている
荒涼たる「森」や「海」を目当ても方角も分らぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである。【3】そして、そういう追放された
彷徨の旅の世界が短い
瞑目の後に
突然訪れて来るところに、ある朝
眠りから
醒めると
到来しているかもしれない日常的予想をはるかに
超えた出来事の想像がその
影を落している。(中略)
2. 【4】しかし他方、
隠れん坊が模型化している一連の深刻な経験は、実際の事実世界における経験そのものから写し取ったものではない。それは「実物」でも「原物」でもなく、
既に「おとぎ話」固有のある構図の中で物語られ
昇華されている経験からの写しであった。【5】ここで私たちは、もう
既に、「
孤独な森の旅」や「追放された
彷徨」や、そして一定の「
眠り」の後に起こる「異変」や「別世界の事」どもを、子供に向って物語っている様々な「おとぎ話」や「昔話」の数々を想い起こしているはずである。【6】先程来述べられたような「試練」や「他界の経過」を経て、日常的予想を
超えた在るべき結末(たとえば
結婚)に
到達することによって社会の中に改めて再生する物語は、決して
唯一つの表現形式に限られてはいないのだけれども、しかしその主題を子供の世界で展開するものは「おとぎ話」一つなのである。
3. 【7】しかも
隠れん坊とおとぎ話におけるその主題の消化の仕方は絶対的な軽さを持っている。主題は先に挙げた一連の基本的経験であったがその深刻な経験の質料から来る重圧感はここにはない。【8】
煩雑な細密
描写を全て
削ぎ取って明快簡潔に構図(構造というよ∵り構図)を
描き出すおとぎ話固有の方法が、経験の重量を消去してそのエキスを血清のように
抽き出しているからでもあったが、【9】それと同時にそのおとぎ話を台本とする寸劇が言葉の使用を
徹底的に
取り払うことによって、
玩具的に簡略な
即物性を倍加させたからでもあった。【0】経験はここでは
粘着的個性から解放されている。こうしておとぎ話が主題として語る経験は寸劇化されることによって一層重苦しさから解き放たれたエキスとなって、知らず識らずの間に血清として子供の心身の底深くに
注ぎ込まれ
蓄積されていく。将来訪れるであろう経験に対する
胎盤がこのようにして
抗体反応を起こすことなく形成されるのであった。
4. こうして見ると、家のすぐ外の路地で
隠れん坊が行なわれていることがいかなる意味を持つかがいくらか分って来るはずである。家の中で聞いたおとぎ話の主題は(あるいは部屋の中で読んだおとぎ話の主題は)、
隠れん坊に
翻案して遊ぶことによって、「聞く」こと(あるいはそれに加えて「読む」こと)と「演ずる」こと、という次元を異にした二つの通路を通して心身の
奥深くに受け入れられる。話を聞く際に受け取る
抑揚や
韻律の知覚、読む場合に自生的に起こる知的想像、無言演劇への
翻案を通して
滲み
込む身体感官的な感得、それらが一体となって統合的に主題が消化されるのである。
5. 経験が、前頭葉だけのものでなく身体だけのものでもなく感情だけのものでもなくて、心身全体の行う物事との
交渉である限り、心身一体の
胎盤が備わっていないところには経験の育つ余地はまずないと言ってよい。そういうところでは、経験となるべき場合においてさえ、そこから一回きりの
衝撃体験だけを受け取ることになるであろう。だとすれば、おとぎ話と
隠れん坊、話と
遊戯の統合的対応が失われている状態を放置することは取りも直さず経験の
消滅を
促進することにほかならないであろう。
6.(
藤田省三『精神史的考察』による)
長文 9.1週
1. 【1】建築について「
狭い」というのはたいてい負の評価であり、その延長上に「
狭苦しい」という表現がある。しかし私は、まぁ
状況によりけりであるが、しばしば
狭さを快適に感じる。【2】たとえば
寝台車がそうで、あの
狭い場所に身を置いて間仕切りカーテンを閉めると
妙に落ち着いた気分になり、深夜の停車駅で窓側のカーテンを細く開けて
人影のないプラットホームを
覗き見たりするとゾクゾクと
嬉しい。【3】これはたぶん、「あそこ」は広く
寂しいが、自分の居る「ここ」は、それから区分されて
狭いが心理的に保護された親しい場所になっていると感じるからだ。つまり「ここ」は「
狭楽しい」のである。
2. 【4】これと対照的に、だだっ広い空間はしばしば落ち着けない場所になるもので、たとえばシーズン・オフの観光地のホテルのロビーでたまたま自分一人だったりすると居心地が悪いが、これは自分の居場所が「あそこ」と区別された「ここ」になりにくいからだろう。
3. 【5】世の中には
狭い場所に閉じこめられるのを
嫌う人も少なくない。これが病的になると閉所
恐怖症(claustrophobia)になるわけだが、私のように広さが苦手な体質も
極端になれば、広場
恐怖症(agoraphobia)になる。【6】精神の病いというものは人にもともと内在する性向の
極端化である場合が多いから、私たちは
皆、病いの源を持っているわけで、
狂気と正常の間には広いグレーゾーンがあると考えれば人間は多かれ少なかれ広場
恐怖的、閉所
恐怖的のどちらかの
傾向を持っている。
4. 【7】このどちらが良いかは場合によりけりで定め難いが、どうも住宅の設計には前者、つまり「
狭さ」の快適さを理解する性向のほうが適しているような気がする。【8】対照的に「広さ」の快適さを味わえる人は
記念碑的建築や
儀式の場所の設計に
巧みだろうから、建築家としてはどちらが適性とも言えない。
5. 【9】なぜ住宅では
狭さが重要かというと、これは私の住宅観にもよるのだが、住まいとは、基本的に「何にもしない」場所だと思うか∵らだ。【0】そりゃ家事や仕事や勉強もしますよ。そういう「何か」をしている時には、広さのゆとりが便利だし快適でもあろうから、住まいにも広さを要する領域もある。しかし「何もしていない」時、自分の感覚で支配しきれない広さに身をさらすと、落ち着かないのではないか。そういう時「広さ」は、「
裸で身をさらす」感じになる。逆に「
狭さ」が時として快いのは、自分の感覚で支配し得る領域を「身体の延長として身にまとう」感じになるからだろう。
寝台車のブースを快適と感じる時、私はそれを「着ている」。その着心地が良いのは、旅という周囲がよそよそしい
状況の中で自分専用の場所としての「ここ」を確保したからで、自宅で
寝台車のブースのような
狭い場所に
寝て快適というわけにはいかないだろう。また
狭い場所に自分の意志に反して
幽閉されたら
耐え難いに
違いないので、快適さは自ら進んでそこに引きこもることからくる。
独房と
寝台車には、着衣で言えば
拘束衣と
外套のような差があるのだ。
6. 「ここ」性は、「あそこ」の広さと区別され対照される相対的な「
狭さ」から生まれる。つまり「
狭さ」とは必ずしも物理的、絶対的なサイズの問題ではなく、「ここ」を適度に限定するように「囲われている」ことである。そう考えると、住まいの本質は「囲い」なのだ。この囲いは、
拘束ではなく、「ここ」をつくり出すことによって人の心に安らぎを
与え、解放するのだ。
7. その意味でご同業の
畏友・益子
義弘の次の言葉は、まさに至言である。「人が自由になれるには、いくらかのものの支えが必要だ。
裸のままでは最早人は生きることはできない。(中略)適度な囲いが人の心を開く力は計り知れない」。
8.(
渡辺武信「空間の着心地」)
長文 9.2週
1. 【1】物にはことごとく名前がある。「何か」として命名できないものはない。たまに命名できないものがあると、その不気味さにだれもがおののくが、それでもそれはすぐに「何か」として
了解されなおし(物のばあいなら「何か」として、人間のばあいなら個人名はわからなくても「ひと」として)、やがていつもの世界のなかに収容される。
2. 【2】「何か」であるそれらの物は、同時にしかし、ことごとく「だれかのもの」でもある。身のまわりを
眺めて、だれのものでもないものを見つけるのはむずかしい。【3】物だけではない。他人も(たとえばだれの子か)、そして自分自身についても(このからだ、この
記憶はわたしのものである)、だれのものかが問題になる。
3. 【4】わたしたちのまわりはいつのまにこのような光景になってしまったのだろう。あらゆるものが同時に、だれかある個人もしくは団体のものとしてある光景。
4. 【5】所有されてきたのは、土地・家屋・調度品・著作・作品や情報という知的財産だけではない。家族関係にも、さらには臓器移植から安楽死・
妊娠中絶、さらには売春まで「ひとの身体」の
処遇にも、「所有」の問題は複雑に
絡んでいる。
5. 【6】それは、「所有」の問題が、社会の
秩序のあり方、個人のアイデンティティーのあり方に基本的なところで結びついているからである。
6. 【7】考えてみれば、わたしたちの喜びも
哀しみもほとんどここから発生する。何かを失う、だれかを失う……もはやそれらはわたし(たち)のものではない、と。【8】またこれを
取り違えたり、無視したりすると、とたんに「社会」の事件となる。不動産や遺産、これをめぐる
抗争はもう果てしがない。トイレで
尿とともに自分が流れ出てゆくと感じれば、それは病気とされる。
7. 【9】「わたし」は、わたしが所有するところのものである。身体、能力、業績、財産、そして家族。わたしたちの社会では、わたしはだれかという問いは、わたしは何を自分のものとして所有しているかという問いにほとんど重なる。
8. 【0】近代社会は、そういう所有の境界を示し、その権利をたがいに
契約によって承認し、かつ保全しあうという理念の下になりたってきた。しかもその権利は、基本的には個人もしくは法人を単位とし∵た「私的」所有のそれだとされてきた。その
擁護とその制限とが、自由主義体制と社会主義体制の対立の基本的なかたちをなしてきた。所有の配分ということが社会のさまざまなかたちを決めてきた。
9. その所有の制度が、しばらく前から、いろんな場面できしみだしている。災害後のマンションの
建て替え、銀行の救済、知的所有権の権益調整などにもその問題が顔をのぞかしている。公共性をめぐる議論やボランティア活動の活発化、私的所有権の無際限な承認によるさまざまな
葛藤と、それにともなう個人生活の
閉塞ヘの強い意識から発しているようにみえる。
10. 所有の意識と制度は、その対象を
交換や
譲渡が可能なものとみなす。そういう視線が物の世界の細部にまで
浸透してゆくなかで、リアルな物のもつ独特の
抵抗感を
蝕んでしまい、さらにその反照として身体のみならず「わたし」という存在すら
取り替え不能な決定的なものとは感じられなくなってゆく。自分にしかないものとは何かというふうに、所有の
根拠ヘの問いを自分のうちに向ければ向けるほど、内部の
空虚も
膨らんでゆくことを、ひとは日々思い知らされてきたはずだ。
11. 私的所有の制度が個人の存在を保護するものとしてあるのは言うまでもない。が同時に身体ひとつとっても、個人の存在は、誕生から病や老いをへて死にいたるまで、その過程でだれかの
庇護・
介護を得てはじめて可能である。「わたしが事物を意のままにすることを可能にしてくれるその当のものが、現実にはわたしの意のままにならない」とは、
哲学者G・マルセルが身体をネントウにおいて述べた言葉である。そのとき、従来の所有権の思想が考えてきたように、何かが自分のものであるということは、その何かを意のままにできるということとはたして同じか、そのことがいま、あらためて問われているように思う。
12. 自分のものでありながら自分の意のままにならないもの……そういう地平で「所有」というものを設定しなおす必要がある。これは家族や学校、
企業や国家と個人のかかわりという、社会関係の基本的なありようを考えなおす長い行程でもあるだろう。
13.(
鷲田清一「キーワードで読む21世紀」より)
長文 9.3週
1. 【1】近代以前の伝統社会では、こんにちのような青年期はなかった。母のもとで暮らしていた子供は、ある
年齢に達すると母親のもとから
切り離されて、いくばくかの集団的な訓練をうける。【2】そして
彼らは、子供としては死んで・大人として再生することを
象徴する、特別の
儀式(通過
儀礼)に参加する。この
儀式を終えると、
彼らは、そのまま大人として、共同体の成員になる。
2. 【3】しかし、近代化とともに、社会は複雑になり、社会の成員となるために身につけねばならない技能・知識は、しだいに
膨大になってきた。それらを習得するには、長い時間が必要になる。【4】こうして、「もはや子供ではなく、さりとて未だ大人でもない」
過渡期が長くなる。あいかわらず親に養育されていて、労働・納税・兵役の義務を
免れている、という意味で、未だ大人ではない。【5】しかし、家庭とべつのところで、大人になるための技能・知識を身につけるよう、訓練をうけている、という意味で、もはや子供ではない。こうしたどっちつかずの「境界人」という不安定な時期が、「青年期」なのである。
3. 【6】しかし、「社会的な役割を表わす言葉による自己確認」という意味での「アイデンティティ」の確立が、青年期の課題とされるようになったとき、その背景には、出自と役割の
分離という、近代化のもう一つの姿がある。【7】近代以前の伝統社会では、出自(生まれ)によって、役割は自動的に決まった。小作農の家に生まれれば、自分もそのまま小作農という役割を
引き継ぎ、商人の家に生まれれば、そのまま商人という役割を
引き継ぐ。【8】このように生まれによって、引き受ける役割も決まる。伝統社会では、そうであった。しかし近代化とともに、職業の
選択は個人の自由となり、宗教の
選択も、政治的立場の
選択も、個人の自由に委ねられるようになる。出自と、引き受けるべき役割が、
切り離されたのである。
4. 【9】こうなると青年期は、大人として必要な技能・知識を身につけるだけではすまなくなる。【0】自分は、どの役割をどう引き受けるのか。社会的な役割を表わす言葉を、どう組み合わせて、自分を定義するのか。農民らしく、それとも職人らしく、……教徒らしく、それとも……、国民らしく、それとも……。どのような「らしさ」を、どのように組み合わせて、「これが自分だ」と名乗って出るのか?∵ 青年期とは、こうした
選択を
迫られる時期となったのである。
5. 簡単におさらいする。近代化とともに、社会的な役割を習得するための訓練期間が長くなったこと。社会的な役割の
選択が、出自を問わず、個人の自由に委ねられるようになったこと。この二つが合わさって、個人の人生に「青年期」という段階が生まれ、「社会的な役割を表わす言葉による自己定義」が、青年期の課題となったのである。
6. 現代社会は、近代化された社会である。したがって、いま見たような「アイデンティティの確立」が青年期の課題であることに変わりはない。学歴・職業・宗教・
国籍・政治的立場のみならず、「男である・女である」という述語も、いまや生物としての性別から切断され、自由に
選択される役割を表わすようになる。これもまた、役割と出自の切断という、近代化の延長線上の事象である。
7. しかし現代は、近代の延長だけでもない。近代の延長線上にありながら、近代の
枠組みが、確実に、ゆるみ・
崩れはじめてもいる。それとともに、アイデンティティの問題も、少しずつズレはじめている。近代のアイデンティティ
概念は、いっさいから自由な個人、という観念を前提としていた。出自を問われることも(あるいは、すら)なく、自分の意のままに、自由に役割を
選択する、自由な個人……。しかし、いまや、そのようにいっさいの
絆を切って自由になったことが、一人の・取り
替えのきかない個人であるということの土台をヒタヒタと
侵食しつつある。
8.(大庭健『私という迷宮』より)
長文 9.4週
1. 【1】
阻害語の代表的なものが、「ムカツク」と「うざい」という二つの言葉です。
2. この言葉は、このところ若者を中心にあっという間に定着してしまった感のある言葉です。【2】「ムカツク」とか「うざい」というのはどういう言葉かというと、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情をすぐに言語化できる、非常に便利な言語的ツールなのです。
3. 【3】つまり、自分にとって少しでも異質だと感じたり、これは苦い感じだなと思ったときに、すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を
即座に
遮断してしまう言葉です。しかもそれは他者に対しての
攻撃の言葉としても使えます。【4】「おれはこいつが気に入らない、
嫌いだ」ということを
根拠もなく感情のままに言えるということです。ふつうは、「
嫌いだ」と言うときには、「こういう理由で」という
根拠を
添えなければなりませんが、「うざい」の一言で済んでしまうわけです。【5】自分にとって異質なものに対して
端的な
拒否をすぐ表現できる、安易で便利な言語的ツールなわけですね。
4. だから人とのつながりを少しずつ
丁寧に築こうと思ったとき、これらの言葉はなおさら非常に問題を
孕んだ言葉になるのです。
5. 【6】どんなに身近にいても、他者との関係というものはいつも百パーセントうまくいくものではありません。関係を構築していく中で、常にいろいろな
阻害要因が発生します。他者は自分とは異質なものなのですから、当然です。【7】じっくり話せば理解し合えたとしても、すぐには気持ちが伝わらないということもあります。そうした他者との関係の中にある異質性を、ちょっと
我慢して自分の中になじませる努力を最初から
放棄しているわけです。
6. 【8】つまり「うざい」とか「ムカツク」と口に出したとたんに、これまで私が幸福を築くうえで大切だよと述べてきた、異質性を受け入れた形での親密性、親しさの形成、親しさを作り上げていくという可能性は、ほとんど根こそぎゼロになってしまうのです。【9】これではコミュニケーション能力が高まっていくはずがありません。
7. もっとも、流行語になるずっと以前から、「むかつく」とか、「うざったい」という言葉はありました。でもあまり日常語として
頻繁に現れるということはありませんでした。【0】なぜかといえば、∵現在の
状況のように、すぐに「ムカツク」とか「うぜー」と表現することを許すような、場の
雰囲気というものがなかったのです。でも今はあります。
8.「ムカツク」「うざい」が
頻繁に使われる以前はどうしていたのでしょうか。私たちの世代でも今の若い人たちと同じように、ムカついたり、うざいという感情を持つことはあったはずです。でもそれを社会的に表現するには、それだけの理由、相手に対するそういう
拒絶を表現してもいいのだという
根拠を
与える理由がないと言えないという
雰囲気があったわけです。
9. それが今は、主観的な心情を簡単に
発露できてしまうほど、社会のルール性がゆるくなってしまったのだと思います。昔は、そんな言葉はきちんとした正当性がない限り、言ってはいけないという
暗黙の
了解がありました。だから、いくらムカついてもグッと言葉を
飲み込んでおくことによって、ある種の
耐性がうまく作られていったと思うのです。
10. さて、ここで私の
娘の話に
戻るのですが、こうした言葉を言わなくなってから人に対する
彼女の態度がハッキリ変わりました。自分が気に入らない
状況やまるごと
肯定してはくれない他者に対してある程度
耐性が出来上がったようなのです。それは単に
年齢が上になったからとか、少し大人になったからといった自然成長的な変化ではありません。
彼女の内面で確実に何かが変ったのだと思います。
11. 友だちとのコミュニケーションを深くじっくり味わうためにも、自分の内面の
耐性を
鍛えるためにも「ムカツク」「うざい」という言葉はやはり使わないほうがいいでしょう。
12.(
菅野仁『友だち
幻想 人と人の「つながり」を考える』)