長文集  10月3週  ★高校進学率が(感)  nnzu-10-3
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/11 12:53:03
 【1】高校進学率が六〇%を超えるのが昭
和三六年。昭和四九年には九〇%を超える。
大学進学率が二〇%を超えるのが昭和四四 
年。昭和四八年には三二%になる。大衆受験
社会は昭和四〇年代後半にはじまった。【2
】週刊誌が大学合格者高校別一覧や受験関係
の記事を頻繁に登場させるようになるのが昭
和四〇年代である。
 この間の進学率の上昇によって親は子弟を
少しでもよりよい学校に入学させようとする
。【3】教師も進学先のない子どもがでない
ようにしなければならないという教育的配慮
を働かせる。となる と、入れる学校を確実
にみきわめねばならない。生徒の相対的学力
査定――偏差値が必要になる。【4】ところ
が、確実に入学できる学校を探すためにいっ
たん偏差値がつかわれると、それまで曖昧だ
った学校ランクが明確になり、固定化する。
教師が指導する学校には必ず入学できること
になるが、その反面、それまで曖昧だった学
校序列が偏差値によって、明確な学校ランク
となる。
 【5】こうして昭和四〇年代後半以後に「
輪切り」といわれる学校の総序列化が急速に
進んだ。職業高校が普通高校の序列の下に組
み込まれはじめるのもこのころからである。
昭和五〇年には「高校入試に跋扈する偏差値
」のような偏差値バッシング記事が登場する
ようになる。
 【6】学校が総序列化すると、受験競争へ
の焚きつけは、学歴社会や立身出世物語など
の外部に帰属させることなく、受験社会内部
で自己生産することができるようになる。学
校ランクや偏差値ランクがそれ自体として競
争の報酬になり意味の根拠となってしまうか
らである。【7】偏差値五十一と五十六の僅
差の学校ランクが将来の昇進や賃金に持ち越
されるわけではない。にもかかわらず、偏差
値やわずかな学校ランクが受験競争の誘因に
なってしまう。
 【8】しかも、すべての学校がランク化つ
まり総序列化状態におかれれば、事態は一部
の人々の間のエリート校をめぐっての競争に
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とどまらなくなる。平均学力の生徒も、相対
的上位校をめざしての競争に焚きつけられる
。∵【9】生徒は模擬試験などによって偏差
値五十五と知らされたとき、偏差値六十八と
される学校への志願はあきらめるだろう。し
かし頑張れば偏差値六〇の学校に進学できる
のではないか、というようにかえって焚きつ
けられる。【0】(中略)
 したがって、受験競争はすべての人を巻き
込み、熾烈になる。しかし、失敗感や挫折感
はすくないというパラドクシカルな状態にな
る。というのは、大衆受験社会においては、
模擬試験や受験情報で自分の学力の相対的位
置を早いときから知らされている。高望みし
ているわけではない。はじめからほどほどの
ところがめざされている。大きな目標もない
かわりに大きな挫折もないのである。そもそ
も偏差値受験体制は成功と失敗が断続的では
なく傾斜的である。上をみれば失敗であり下
をみれば成功である。
 また背後に立身出世や学歴社会のような大
きな物語があるわけではないから受験に失敗
することは立身出世物語の成就や失敗ではな
い。せいぜいがいまより頑張れば就職のとき
に多少有利かもしれないという「景品」程度
である。受験の成功や失敗によって心の傷を
残し青少年の人間形成に影響をあたえるとい
ったことははるかにすくなくなったのである
。(中略)
 大衆受験社会とは、受験がシステム化され
た社会である。受験が一回かぎりのものでは
なく、中学校受験、高校受験、大学受験とい
うように何回もある状態をいう。しかも学校
が総序列化されたなかでこういう競争がおこ
なわれると、目標と競争への焚きつけは主体
の欲望からではなく、受験社会のほうからや
ってくる。(中略)
 欲望は受験システムからやってくる。受験
システムの外部にある個人の野心や欲望は回
収され空白化する。だから大衆受験社会にお
かれた受験生は、「なぜか(自分でもわから
ないうちに)受験競争にそれなりに頑張って
しまう」ということにもなる。大衆受験社会
はシステムに飼育された(空虚な)主体の製
造工場である。
 
 (竹内洋「立身出世主義」)