長文集  11月1週  ★言語記号を(感)  nnzu-11-1
    毎日1ページ音読しましょう。漢字はふりがなをつけずに読めるようにしておきましょう。  2014/09/11 13:07:29
 【1】言語記号を用いるという人間独自の
能力は、あたかも翼をはばたいて空中を飛ぶ
鳥類の能力と同じように、人間の住む環境世
界のイメージを他の動物のそれとは比べよう
もないほど拡大することになる。【2】現在
生存しているイヌやネコは、三百年以前の江
戸の街のイメージ、ましてや五万年以前の原
人がどのような生活をしていたかのイメージ
をもつことができない。しかし、人間にはそ
れができる。【3】そのイメージは、時代や
場所や人によって異なるかもしれないが、ど
のようなばあいでもイメージそのものはもつ
ことができる。これは人間の知覚での意識、
すなわち眼や耳のような感覚器官で知覚し分
かっている環境の風景が、【4】現に知覚さ
れているものの意識から、現に知覚されてい
ないが、かつて一度知覚されたものの記憶、
想像による過去や未来のイメージの意識にま
で――言語活動を通じての――拡大延長され
た例である。
 【5】このような風景の意識の拡張に基づ
いて、人間の心の他の働き、例えば感情や情
緒の働きも拡張される。人間でも他の動物で
も、自分が手に入れた食物が他の動物に奪わ
れたときに生じるであろう感情は同じであり
、種の維持のために行なう性行動の瞬間の感
情も同じようなものであろう。【6】しかし
日々の食物は一応不足なく食べてはいるが、
社会が経済不況になり雇用が悪化し失業の恐
れからくる生活の不安とか、人間の生態系の
悪化に伴って将来起こるであろう人類の滅亡
という観念が、【7】ある人びとに与えた未
来へのユートピアを奪われた希望のない終末
への不安のような複雑な感情、あるいは日本
の文学的な表現のある様式に伴う「わび」と
か「さび」といった情緒は、言語表現の能力
をもたない他の動物には起こりようのない感
情情緒の人間独特な言語による拡張であろ 
う。
 【8】また人間以外の動物でも、例えば必
要とする食物が多いか少ないかの違いは判断
でき、獲物を追いかけて行動するとき、その
獲物がどのように行動するかを前もって推理
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することはできるだろう。【9】――しかし
、この多いか少ないかを数記号(言語記号と
同じである)を用いて四倍多いとか、一・五
倍多い、などという算数的計算はできないし
、また推論を現に眼の前で起こっている出来
事のなかで行なうことから離れて一般的、形
式的に表現することはできない。【0】∵こ
れができる人間の心の働きは、言語記号ある
いは数記号を用いる事ができるようになった
大脳の拡大された働きに応じて、大脳の感情
や情緒を生じさせる部分が適応的に働くよう
になったことから生じる、心の拡張された部
分の働きである。(中略)
 人間の心の一部には他の動物の心とは違う
部分がある。それは言語である。このことは
別に新しいことではなくて、だれでも知って
いることに過ぎない。しかし重要なのは、こ
のだれでもが知っている現在の事実を宇宙全
体の進化のなかでどのように位置づけるかと
いう、いわゆる「宇宙における人間の地位」
と従来よくいわれてきた哲学上の問題として
この事実を改めて見なおすことである。(中
略)
 人間の言語は遺伝子と同じように(否それ
以上に)この宇宙の進化のなかで新しいもの
をつくり出すという宇宙的効果をもっている
ということができる。その意味で私は人間の
言語を、遺伝子と同じ系列の、より進んだ力
として語伝子という、私自身が創った用語で
表現した。力が物質となり、物質から遺伝子
をもった生物が生じ、この生物のなかから人
間の語伝子による文化を生じた。これは、宇
宙の進化のなかの大きな三つの段階の最後の
(少なくとも現在までは)段階というべきだ
ろう。「言語をもつ」ということを宇宙の進
化のなかでこのように位置づけることができ
ると思う。最近、宇宙論学者のなかでいわれ
ている人間原理の意味をこのような文脈のな
かで、より拡大して物理学から人間諸科学へ
とつなぐ橋とすることができるのではないだ
ろうか。